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ふれるほどやさしくなる立谷沢川流域

山形県庄内町の観光スポットやイベント情報を紹介するサイトです。
四季折々の写真や流域の今をアップします♪

回天の道と清川歴史の旅に参加してきました!

2013年06月12日 | 流域紹介 ―清川地区

こんにちは!立谷沢川流域振興係のしほぴーです

先日、清河八郎顕彰会が主催する『回天の道と清川歴史の旅』に参加してきました

清河八郎記念館のホームページはこちら

少し曇っていましたが、暑くもなく寒くもなく、

ちょうどいいお天気でした

まず、清河八郎記念館にて『清河八郎』という名前の由来についてお話を聞きました

『清河八郎』という名前は本名ではないのです

本名は斎藤正明といい、

故郷の『清川』を流れる最上川を大河の意味の『河』に変えて

『清河』と自ら名付けたそうです

なぜ『八郎』というのかは、ぜひ清河八郎記念館を訪れて聞いてみてください

その後歩いて移動し

(清川の町中は全て徒歩で移動でした

歓喜寺で清河八郎、妻お連、八郎の両親・祖父母のお墓をお参りしました

清河八郎は、東京にある「伝通院」の墓地に埋葬されたのですが、

明治2年に、八郎の弟・熊三郎により歓喜寺の斎藤家墓所に改めて葬られました

そして御諸皇子神社へ

御諸皇子神社は、源義経が平泉へ逃れる途中に立ち寄ったと「義経記」に記されている、

由緒ある神社です

その後、松尾芭蕉が上陸した庄内藩関所跡へ

松尾芭蕉は本合海より、この地(現:庄内町清川地区)へ向かう舟の中で、

かの有名な「五月雨を 集めて早し 最上川」

という俳句を詠んだといわれています

清川歴史の旅の最後に、御殿林へ行きました

ここは、戊辰戦争の時に清川口古戦場として

庄内藩と新政府軍の激戦地となった場所です 

そしていよいよ回天の道へ

ここを清河八郎が通ったのか~と歴史に思いを馳せながら散策しました

最後に展望台へ

晴れていたためとても眺めがよく、庄内平野を一望することができました

その後はバスで北月山荘へ

温泉に入ってお肌つるつるになった後、

主婦レストラン「やまぶどう」にておいしい昼食をいただきました

 

たくさんの歴史的なところへ行けて、たくさんのことを知れて、とっても充実した1日でした

回天の道と清川歴史の旅は、紅葉が美しくなる秋にも、もう1回開催する予定です

みなさん、その際はぜひ参加してくださいね

しほぴーでした

 

お問合せ先

≪庄内町商工観光課 立谷沢川流域振興係≫TEL(0234)56-2213

≪清河八郎記念館≫TEL&FAX(0234)57-2104


清河八郎回天の道に行ってきました!

2013年05月08日 | 流域紹介 ―清川地区

こんにちは!立谷沢川流域振興係のしほぴーです

先日、清河八郎回天の道に行ってきました

5月26日(日)に企画されている、清河八郎顕彰会が主催の「回天の道と清河歴史の旅」の下見のためです

清河八郎記念館のホームページはこちら

 

ここが入口です

回天の道を歩きやすくするため木をどかしたり

枝を切ったりしてきました

がまだ少し残っていましたが、

ショウジョウバカマや、山桜など綺麗なお花も咲いていました

少し曇っていたのですが、展望台からの眺めはすごくよかったです

晴れたらもっときれいなんだろうなあ

みなさんもぜひ、『清河八郎回天の道』へ行ってみてくださいね

しほぴーでした

 

お問合せ先

庄内町商工観光課 立谷沢川流域振興係TEL(0234)56-2213

≪清河八郎記念館≫TEL&FAX(0234)57-2104

 


清河八郎記念館にて『西遊草』特別展を開催しています!

2013年05月01日 | 流域紹介 ―清川地区

こんにちは!立谷沢川流域振興係のしほぴーです

今回は清河八郎記念館で開催している、『西遊草』特別展のお知らせです

清河八郎記念館では、平成25年度特別企画展として、安政2(1855)年、清河八郎が母を伴って伊勢参りの旅に出た時の日記文『西遊草』を特集します

『西遊草』は、八郎26歳、母42歳の時、約半年169日間、行く先々で1日も休むことなく、老後の母の思い出の1つに、あるいは、姉妹が旅に出かけた時に騙されないようにと、母と姉妹が読めるように、分かりやすい文体とひらがなを使っている旅行記です

また、八郎親子が立ち寄った場所の中から著名な寺院等を選び、日記文と写真でA1パネル17枚に編集して紹介しています

これが山形県指定文化財『西遊草』全8冊です

開催日程

展示期間/平成25年4月26日(金)~平成25年9月8日(日)

開館時間/午前10時~午後5時

休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)・冬季(12月~2月)

入館料/大人400円・高校生300円・中学生200円・小学生100円

      団体10名以上1割引

皆様のご来館を心からお待ち申し上げております

しほぴーでした

 

お問合せ先

≪庄内町商工観光課 立谷沢川流域振興係≫TEL(0234)56-2213

≪月の沢温泉 北月山荘≫TEL&FAX(0234)59-2137


清河八郎・回天の道・文学散歩の旅と観桜会開催のお知らせ(5月7日~8日)

2011年04月26日 | 流域紹介 ―清川地区

イベントのお知らせです!

【清河八郎・回天の道・文学散歩の旅/観桜会】

NPO法人である元気・まちネットさんの企画によるもので、藤沢周平氏の著作である『回天の門』の題材となった幕末の志士、清河八郎の生誕180周年記念事業の一環として、彼が江戸に上る際に踏破した山中の古道を追体験する行事です。ちなみに、筆者も去る4月21日の下見に同行して参りました。画像にもあるように残雪や倒木が道を阻んではおりましたが、急な坂があったかと思えば開けた林があったり、霊峰月山と鳥海山、さらには飛島を一望できるところがあったり、物語性に富んだとても楽しい行程でありました。開催までには改めて道の整備を致しますので、安心してご参加頂ければと思います。

 また、併せて道中の山桜の観賞会も行われます。4月21日時点では桜が徐々に芽吹き始め、厳しい冬を乗り越えた遅い春の訪れを感じさせました。おそらく催行当日には花開いた山桜が見られるでしょう。よりロマン溢れる散歩になること間違いなしです!

それでは以下に旅行の詳細がございますので、もし宜しければご参加頂ければ幸いです。

皆様のご参加を心からお待ち致しております。

 

【Aコース:1泊2日】

催行日:5月7日(土)~8日(日)

費用:14,500円/1人

費用に含まれるもの:湯田川温泉「隼人旅館」宿泊費(男女別相部屋)、食費(朝1回・昼2回・夕1回)、交通費(貸切バス)、案内人費用

行程:9:00清河八郎記念館集合~満願寺~山伏峠(展望台)~添川~玉川寺~湯田川温泉(宿泊)~藤沢周平記念館(見学・セミナー)~14:00現地解散

【Bコース:日帰り】

催行日:5月7日(土)

費用:4,700円/1人

費用に含まれるもの:食費(昼1回)、交通費(貸切バス)、案内人費用

行程:9:00清河八郎記念館集合~満願寺~山伏峠(展望台)~添川(地蔵の湯で休憩)~清河八郎記念館~16:40現地解散

【募集人員】

 両コースともに20名 

【お申込み締切日】

 4月30日(土)※ただし、定員になり次第締め切らせて頂きます。

【お申込み・お問合せ】

 株式会社日本海トラベル(担当:後藤 電話:0234-43-4312)

 又は、立谷沢川流域振興プロジェクト協議会(電話:0234-43-0571)

【企画】NPO法人元気・まちネット(東京)

【実施】株式会社日本海トラベル

【後援】庄内町 庄内町観光協会 清河八郎顕彰会 立谷沢川流域振興プロジェクト協議会


立谷沢川流域の入口!! 清川関所

2010年03月15日 | 流域紹介 ―清川地区
この間初めて 山形のアンテナショップにオープンした「ヤマガタ サンダンデロ」が
山形産だんでろ~?だということを知った さかなべです。
東京出張のため大変ごぶさたしておりました

さて久々の今日は、立谷沢川流域の入口をご紹介しようと思います。

清川は、昔からの最上川交通の要路で、
最上義光時代にも関所を置かれていました。
その後の酒井藩でもここに関所を設けて藩に出入りする人を厳重に調べていたそうです。
酒井藩の関所は、
有耶無耶(うやむや)関・清川・大網・念珠関(ねんじゅぜき)の4か所
最上氏時代には、当時の亀ヶ崎城主(酒田)志村伊豆守が
新興屋をたてて関所を設けていたそうですが、
酒井藩になってから、ここを廃止して清川だけになりました。

 

清川関所は現在の旧清川小学校の地で、
校舎の東裏、川岸にある井戸は、関所の番所で使ったものだそうです
番所は川に向かって建てられていて、
柵をめぐらし、川岸には、しだれ柳の並木を、
徳川時代、一里塚に植えられた榎も植えられました。




関所は、中央に巾九尺の関門があって、
その左右両側に柵をめぐらし、その左側に番所がありました。

番所の中央の部屋は面番といって、
その右室は上役の役所、左室は下役の役所でありました。
上役は上番といって家中から一人勤務
清河八郎の少年時代、経書を習ったという関吏の畑田安右ェ門は、この上番だったそうです
下役は下番といい給人二人の勤務で、その外に下番の命によって日夜の警戒の任に当たる者が村から一人使われていました。
番所の左側前には警護のために常に槍(やり)五本・さすまた一本・つくぼ槍一本・からめ槍一本を立てて置いてあったそうです。怖い…

門の開閉は午前六時に開扉、午後六時には閉扉。通行には必ず手形が必要で、出判には士格以上の身分は御家老判、その他は御町奉行判を番所にだして検査を受けてここを出なければなりませんでした

明治維新によって廃藩置県となり、関所の制度は明治二年に廃止。
番所の建物は明治七年、清川小学校として開校されましたが、明治12年の洪水で流出して今はありません。




関所当時を偲ぶものとして今に残っているものは井戸と昔ながら流れている最上川と対岸の蘭山(あららぎやま)だけなんですね