破李拳竜・日記

ここでは私・破李拳竜が行ってきた仕事やお遊びとかの日記を、つらつらと載せてあります。

石川賢先生、逝去「東京ファンタまんがまつりだ!」の想い出

2006年11月17日 00時31分58秒 | Weblog
[エンターテインメント ニュース]

  石川賢氏(いしかわ・けん、本名・賢一=けんいち=漫画家)15日、急性心不全で死去。58歳。喪主、告別式の日取りは未定。

 漫画家永井豪氏のアシスタントを経て1970年デビュー。代表作に「ゲッターロボ」「魔獣戦線」「虚無戦記」など。(読売新聞 - 11月16日 22:41)
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         またしても訃報、突然のニュースだった。石川賢先生とは1998年.11/3(火)「東京ファンタスティック映画祭」の 「永井豪デビュー30周年記念・東京ファンタまんがまつりだ!!」で司会を依頼され、お会いしたのが一番の思い出だった。
  この時のゲストは永井豪先生、石川賢先生をはじめ、桜田吾作先生、作画監督・小松原一男さん、剣鉄也役の声優・野田圭一さん、巴武蔵役・西尾徳さんと太地琴恵(旧名江川菜子・弓さやか役)さん、豪先生の奥様といったメンバー。また、マジンガーシリーズのテーマ曲のコーナーでは、渡辺宙明先生と水木一郎アニィの登場といった内容だった。(UPした写真は左から、野田圭一さん、手前・小松原一男監督、奥・桜田吾作先生、石川賢先生、永井豪先生、手前・太地琴恵さん、私・破李拳竜、西尾徳さん。)
  楽屋裏では太地琴恵さんにビジンダーの声を演じた時の事を訊ねると、「あの頃は、ハカイダーをやってた飯塚昭三さんに、怒られながら演ってたんですよ。」と当時のエピソードをおっしゃって頂けたり、スーツアクターの岡田ゆういち君が手製のデビルマンの着グルミを持参していたので永井先生と共に登場してもらう事となり、私が臨時で声をアテたのだが、デビルマンが敬語を使うとおかしいので、永井先生に「先生、タメ口ついていいですか?」と言うと永井先生は、「うんと不良っぽく演って下さい。」とおっしゃったので、デビルマンが登場すると、「永井先生、こっちへ来るんだ!・・・なんたって先生は、俺の生みの親だからなァ!」と言うと会場も大受け!また、「マジンガーZ対暗黒大将軍」が上映される時、「昔、テレビ欄で『マジンガーZ対暗黒大将』って書いてあった事があったんだよね」と想い出を話すると、またまた大受けした。西尾さんや桜田吾作先生もとても社交的な方で、私もゲストの方々も、楽しくアドリブトークにも花が咲いた。
  ・・・そんな中で、石川賢先生のみ台本にセリフが書いてあり、台本のセリフ通りに会話が進行していたのだった!・・・実は石川賢先生、とても無口でシャイな方で、フリートークはまったくダメだそうで、開催側の苦肉の策で台本を作成、セリフ通りに喋って頂く事で出演をOKしてくれたという。・・・自分の作品では、あんなに激しく情念を燃やし激情型のドラマを描いてきた作家であられたが、その素顔があまりにおとなしく、温厚で口数が少ない控えめな漫画家さんというのは、以外というしかない。本当に、激しい作品とは対照的に、とても静かで優しい人物だった。
 そんな無口で台本がなくては喋れなかった石川先生が、この「東京ファンタまんがまつり」で「OVA真ゲッター」を観て、「ゲッターはやり尽くしたと思っていたが、OVA見て、まだ描ける」と唯一の自己発言をして再び「ゲッターロボ」を描いていただけに、続きが読めないというのは本当に残念でならない。・・・そしてまた、この時のメンバーで、小松原一男監督、西尾徳さんもすでに鬼籍に入られている。

   石川賢先生の、強烈なインパクトに溢れた作品と、優しい笑顔を見る事はもう出来なくなってしまったのか・・・石川賢先生の御冥福をお祈り致します。

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