破李拳竜・日記

ここでは私・破李拳竜が行ってきた仕事やお遊びとかの日記を、つらつらと載せてあります。

遂に発売「緯度0大作戦」と、岡田眞澄さんの訃報

2006年05月31日 23時11分49秒 | Weblog
 東宝特撮映画作品で、ビデオやLD化されなかった最期の作品「緯度0大作戦」のDVDが遂にやっと発売された。この作品は、製作・田中友幸、監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二という東宝特撮黄金トリオ最期の作品であり、日米合作作品であり、あのガイナックスがアニメ「ふしぎの海のナディア」でかなりインスパイアした元ネタでもある作品だ。

 【STORY】
 南太平洋で海流調査をしていた田代博士、ジュール博士、ペリー記者の3人は、突然の海底火山に巻き込まれ、潜水球に乗ったまま海底に沈んでしまう。
 その潜水球を救出したのは巨大な潜水艦アルファ号。アルファ号艦長のマッケンジーは3人を収容すると緯度0へと向かう。

 緯度0、そこは人工太陽に照らされた別天地だが、マッケンジーの宿敵、マリク博士の操る潜水艦・黒鮫号による攻撃を受ける。
 時を同じくして緯度0へ向かっていた岡田博士親子がマリクに捕まったことを知ったマッケンジーたちは、マリクの本拠地ブラッドロック島へと博士たちを救出に向かう。

 マッケンジーたちの前に立ちはだかるグリホン、大ネズミ、コウモリ人間!
 そして海底から空高く飛翔するアルファ号と黒鮫号の壮絶なバトルの果てに、彼らが見たものは・・・!?
                                         (東宝公式DVD作品解説より。)

・・・しかし実情は、合作相手の「ドンシャープ・プロ」が製作中に倒産し、東宝独自の出資で製作するハメとなったり、当時の契約で、出演者のジョセフ・コットンらハリウッド・スター達や、脚本のテッド・シャードマンとの関係で「今世紀中には2次使用は不可能」と云われ、ビデオなどは発売されなかったのだが、21世紀の「新世紀」となった現代ではその契約も切れ、やっと晴れてDVDが発売されたというわけである。
 そう思った矢先、「緯度0大作戦」のメイン・キャストの一人で、私らの年代にとってはマモル君のパパ俳優というイメージの岡田眞澄さんが死去された・・・。「緯度0大作戦」の海外バージョンのオーディオ・コメンタリーも務めていただけに無念としか云い様がない。
 「マグマ大使」に出演された時は、自分のお父さんも、こんなにダンディでハイカラでカッコ良かったらいいなぁと、当時全国の子供達の憧れの「パパ像」(父親やオヤジ像ではないイメージ)を抱かせた方だった。・・・まあ、そういえばテレビでは理想のパパ像を演じ、素敵な親子関係だったマモルとパパだったが、現場では岡田さんは江木俊夫さんに悪い事ばかり教えて・・・いや、オトナの遊びを色々教えていたそうだ。これも男として江木さんを対等の、男同士の関係として認めていたからなのだろう、やはり岡田さんのダンディズムを感じるエピソードだ。
  アニメ「W3」のお兄さんもカッコ良かったが、マモルのパパはそれが実写になったカッコ良さを感じた。それで「緯度0大作戦」を当時観た時は、岡田さんは マモルのパパの延長として観ていた。本当にカッコ良かったです。

 後年は「仮面ノリダー」のファンファン大佐役で、おやっさんの小林さんと同時に再びチビッ子達の人気者になった。「仮面ノリダー」の最初では「ジョッカー将軍」だったが、シリーズ化の際にファンファン大佐に格下げ(?)になったのね、懐かしく思い出される。
 とんねるず主演のドラマ最終回で、冷酷なプロデューサー役で登場した直後に「ノリダー」出演だったので、そのキャラクターの落差と芸の幅の広さを見せられた。そして「仮面ノリダー」でファンファン大佐が「ノリダーめ!あんまり悔しいから、『マグマ大使』でも観よう。」と言って、「マグマ大使」のマモル・パパの活躍シーンがモニターに映し出され(同じフジテレビだから。)それを観ながら「ああ~この頃は、道を歩いていても笑われずに良かったぁ~・・・。」と言ってる回が、ファンファン大佐のエピソードでは印象深い。
 また後年風貌がスターリンそっくりになると、舞台でスターリン役も演じ、俳優として幅広い活躍をされていた。
 TVのクイズ番組「サルヂエ」では猿の特殊メイクに挑戦していたから、まさに本格特撮俳優とも言えると思う。本当にどんな役でも挑戦していたから、それだけ演技の幅が広い証拠なのだろう。
 曽我さんといい、本当に残念だ。曽我さんとの関係と云えば、「マジレンジャー」の天空聖者マジエル役が最初岡田さんにオファーしたそうだが、入院されていたので曽我さんに代わられたそうらしい。今となってはお二人とも居なくなられて淋しい限りだ。
 お子さんと「ふたりはプリキュア」を観るのが楽しいと言っていた岡田さんの笑顔が残っている。

 「緯度0大作戦」のDVDもやっと発売された矢先の訃報、まことに残念。
         心より御冥福をお祈り致します。

かにゴールキーパー撮影日誌の後半!

2006年05月27日 00時12分55秒 | Weblog
いよいよ本日、劇場公開とDVDが発売される「かにゴールキーパー」!その撮影日誌の後半ですッ!
              

2月28日
 地元での雑用を片し即効、猛ダッシュで電車に飛び乗ると、午後駒沢競技場に到着。かにのサッカー入団テストのシーンの撮影中だが、かに役をバトンタッチした安藤君がヘバッている。着グルミを被ったままボールを追い駆け走り回ってへバったそうだが、台本を渡し、どんな役で何を演るかも分かっているのに走り込みしていなかったようだ。途中から私がかに役に元ると安藤君ホッとした様子。さっそくボールをキャッチしたりへディングしたり、かにのカニ鋏みも面白く出来た。
           
 夜、ヤクザの事務所シーン。6年前「恋身女子校生パティ」や「リスペクト探Q大図鑑」を撮ったスタジオ。教室のセットでスタッフが机を寄せ合い食事をしていると、本当の学校の給食の時間みたいだ。
 ヤクザ役は実在の武闘派極道・竹中正久を演じた小沢仁志さんという本格派だ。本人曰く「オレは警視庁が製作した防犯ビデオにも出演した、警察公認のヤクザ俳優だからね(笑)」と豪語する。しかし小沢さん、着グルミとカラむのが楽しいようで、「一緒に写真撮ってもいいですか?」と、かにとの記念写真撮ってゴキゲンのご様子。事務所で泡を吹いて倒れる芝居はガラモンを意識して演じた。

3月1日
 かにがソープランドで働くシーン。ソープ譲役は小泉彩ちゃん。泡を吹くのでソープランドでかにが働くという設定なのだが、泡がどうも上手く出ない。着グルミの横で噴出したり、あげくは私が着グルミの中からストローにシャボンを付けて噴出したりしてようやくOKとなる。
 午後、巣鴨の商店街でロケ。カニ歩きのシーンだが、歩いていると足が落ちてしまった!すると通りすがりのオバちゃんがわざわざ足を拾ってくれた、さすがオバちゃんの銀座と呼ばれる巣鴨だ、人情の街である。
 続いてかにが魚屋に出現シーン。買い物に来た主婦役は「コアラ課長」の時のOL三人娘の一人・裕美役を演じた高嶋ひとみさん。次回公開予定の「ズラ刑事」ではちょっと小悪魔キャラを演じるなど、多彩な役どころを見せている。かにを見て失神するシーンでは、「私が背中を押さえてますから安心して気絶して下さい。」と言ったら、本番は全身脱力で本当に倒れかかるから、本当に本格女優だなと感心した。
   かにが捕獲されるシーンでは、またまた怪獣演技。エキストラにこの近所の人達が集まってくれたので、野次馬の中に入って行って暴れると面白くなるぞ、と狙い、本番ではリハーサルにない動きで人々の群れへ向かって暴れ込む!おかげで皆さんのナマの驚きの表情やリアクションが撮れ、予想以上の効果が出たと思う。
  そこへ小沢さん達ヤクザが乱入するという演出になるのだが、エキストラに出てもらった商店街のオバちゃんや子供達、それまでノリノリだったが、リハーサルでいきなり小沢さん達が割って入って来たので、本物のヤクザが乱入して来たのか?と、すっかりビビってしまい、本番の時はエキストラ数が半分に減ってしまった。
       
 最期はタイアップの魚屋のご主人が親切に、監督以下スタッフにお茶を振舞ってくれたので、皆ご馳走になり本日も無事終了。明日はいよいよ藤岡弘、さんとメインのカラミの撮影だ!

3月2日
 本日再び駒沢競技場で撮影。藤岡さんの到着を待ち身を引き締め道着の帯も締め直す。そして藤岡さんグラウンド・イン!いよいよ絡んでの芝居だ。あいかわらず藤岡さんは現場に台本を持って来ない。台詞を単なるセリフとしてではなく、意味を租借して頭に入っているので、言葉の意味の通ったアドリブも利くのである。
 出番待ちの時は、芝生の上でおもむろに股割り柔軟を始められたが、芝生の上に広げた脚に耳が付いてしまう程の、年齢をまったく感じさせない体の柔らかさだ。しかし本番前、耳に芝生が付いたままで、ヘアメイクさんに「藤岡さん、ちょっと、芝生が耳に・・・。」とチェックを入れられ「おお、そうか・・・。」といったオチャメな部分も(笑)
それで藤岡さんとかにの会話シーンだが、歩きながらの掛け合いとなると、当然かにだから横歩き。それを見た藤岡さん、「そうか、かになので横に歩くか、そういう芝居だとは思わなかったなぁ・・・。」と、かにとの演技を楽しんでいた。そしてかにの目がギミックが仕込んである物とノーマルの物と取替えられるのだが、その作業の様子を見て藤岡さん、興味深く覗き込み「よく出来てますねえ。」と、ひさびさに着グルミとカラむ芝居に楽しんでいる様子で、「最初の『仮面ライダー』は私が被ってアクション演ってましたからねぇ。」と当時を思いを馳せる様子だった。
     
 それで昼休みは藤岡さんと昔話に花を咲かせた。藤岡さんは一時期「仮面ライダー」の事に触れられる事を拒絶していたがそれは「仮面ライダー」を切り離そうとしたわけではない、当時のマスコミは「たかがジャリ物番組で人気になっただけのヤツじゃないか。」というナメた悪しき態度があり、藤岡さんにとって「仮面ライダー」はまさに、役者どころか人間として再起不能の危機のドン底から這い上がりスターとなった作品であり、スタッフや共演者に支えられ今日の礎を築いた記念碑的作品である。そんな「仮面ライダー」に対して心無いマスコミのバカにした態度は「仮面ライダー」への冒涜に他ならない!それで・・・
 「お前らにいったい『仮面ライダー』の何が分かると言うんだ?『仮面ライダー』の話なら、一切断る!」と怒った事によるものだそうだ。
 「いや~ぁ、当時は私も若かったからねぇ。」と目を細めて当時を振り返る藤岡さんの顔が胸に熱く染み込んだ。・・・一部のファンの間では、藤岡さんは「『仮面ライダー』に出演していた事を闇歴史にしていた」といった声があったがそんな事はけっしてなく、「『仮面ライダー』の話なら、一切断る!」と言っていた真相も上記した通りだった。そしてライダー時代の仲間への恩義は深く、「野獣死すべし・復讐のメカニック」「エスパイ」といった自分の主演作では、殺陣相手には必ず大野剣友会のメンバーを指名していたのだから。

 午後の撮影再開となり、再びグラウンドに出るが、そのまま藤岡さんと、「今の日本は平和ボケしているッ、安全神話が崩壊したというのに!」「エゴイズムというウィルスが若者達に蔓延しているッ!」と話題を熱く語っていると、取材に来ていた関西テレビが我々の様子を撮影、観てくれる視聴者が我々の感銘を受けてくれれば良いがと願う。
 敵チームのとてつもない反則の連発に怒る藤岡さんの演技は迫真のもので、怒りに自らフィールドへ飛び出そうとする藤岡さんを引き止める霊波サトー氏も必死の演技となる。
 そしていよいよ監督の藤岡さんはかにを指名!。「選手交代ッ、キーパー…かにッ!!!!!!」
 これぞこの作品のありえない出来事をシリアスに描く世界観の頂点だ!「いかレスラー」は岩田貫一という人間が変身した姿、「コアラ課長」は人間と同等な扱いで、「田村」という名前と人格が与えられているキャラ。だが今回はただの「かに」なのだ、名前すら無い。だからその「かに」がゴールキーパー・デビューするこの瞬間が藤岡さんの熱演でシリアスに盛り上げてもらうのだった!!!私はアリーナへ飛び出し客の声援を受けながら、チームのフィールドへ向かう。

 なべやかん氏がレポーター役でやって来たので、出番の合間に控え室でひさびさに怪獣談議。ほぼ同時間にエキストラもスタンド・インして声をかけたPマンの野村武将君も来てくれた。観客席の客を背景に入れた藤岡さんがらみの画をメインに撮影して、無事藤岡さんの出番は終了。観客席に手を振りながら藤岡さんは退場して行く。
 そして観客のリアクションや、それぞれのチームのサポーターを演じてもらい、本日の撮影終了。エキストラに野村君の他に「電エース」で弟役で河崎組の役者としても常連の加藤礼次郎君も夫婦同伴で来ていたので、楽屋へ呼んでしばし雑談。帰りは加藤君の奥さんの車で新宿のホテルまで送ってもらう。
  ・・・おりょ、夜、ホテル近くのゲームセンターでボヤ騒ぎが起こったぞ、火事になって燃え移らんで良かった。いよいよ明日はクランクUPの日、最後の試合シーンでもある。

3月3日
  本日ひな祭りであるが、「漢」のドラマである「かにゴールキーパー」は関係なくクランクUP最終日、本日はヒロインも居ない、トホホ・・・(泣)競技場フィールド内で一日中試合シーンの撮りである。
 敵チームの凶悪反則でカニ味噌無くしてロボトミー状態になるシーン、更に乱闘、リンチでかにが解体されるシーン。かにの着グルミもボロボロになるが、本日で最期なので遠慮なく破壊している。とはいえリハーサルの段階から本気で殴る蹴るの行為を行っているので、思わず「リハから本気で着グルミ壊すなよ!役者だろ、壊しているような演技が出来ないのかよ!」と水口チーフ助監督からクレーム入る。
 また、敵チームの反則で、他の選手に飛びヒザ蹴りを見舞うカットでは、安全かつ迫力が出る飛びヒザ蹴りのやり方を指導。
            
   昼食は撮影監督の永野泰隆氏と談笑。永野氏も河崎組常連スタッフで、私とはフジテレビ721「リスペクト探Q大図鑑」で一緒に仕事をして以来、もう6年もの付き合いだ。彼はカメラマンだけでなく、撮影監督として照明の指示・演出もする。普通「撮影班」と「照明班」は別々のグループに分かれているが、撮影と照明の両方が行えるスタッフを抱えているチームは珍しいが、たしかに合理的だ。
 昼食休み明け・・・だが天候不順で、雨が降ったり止んだりなので、雨の止んだ合間を見ながらの撮影となった。かにのやられるシーンの後は、かにのサッカー・プレイをまとめ撮り。しかし着グルミを被りながらオーバーヘッド・キックをやって、リハーサルでは上手くマットの上に落ちたのだが、本番では真っ逆さまに頭から落ちてモロ地面に頭から激突してNG。もう1テイク行ったら、今度はカメラの上に頭から落ちて激突!すっかり頭がカニラリラ~ン!になって、肩がズレてしまったが首は折れなかったので大丈夫。
 そんなこんなでケガもなく無事終了~!。・・・しかしカメラにぶつかり壊してしまったのは、初めての経験、痛恨のミスだ・・・(反省)
そしてクランク・アップ。
 夕方、皆より一足先に河崎監督と共に千駄ヶ谷の飲み屋へ入ると、各々のかたずけ作業を終えたスタッフが入って来たので、全員揃った頃、河崎監督の音頭で打ち上げ会を開き、労をねぎらう。今回、雨に祟られたが、それを効果的な画に出来た、仕上がりが楽しみだ、といった声が上がる。私も楽しみだ。
 
 そして今回は都合で試写会へ行けなかったので、本日はいよいよの封切日、劇場でこの作品を堪能したいと思う。

選手交代ッ、キーパー…かにッ!!!!!!かにゴールキーパー・撮影日誌

2006年05月26日 00時21分05秒 | Weblog
     ワタクシ今回かにの中身です。いよいよ週末5月27日(土)21:00~から私が演じた「かにゴールキーパー」公開されます!
   以前3月6日のブログ「ロケ終了、只今帰還!大和心復権!」でお知らせ・紹介した、藤岡弘、さんと共演した作品というのが「かにゴールキーパー」だったのです!「いかレスラー」「コアラ課長」に続く河崎実監督がおくる「どうぶつ、海産物映画作品」なのだっ!
 現場も楽しかったし、なにより藤岡弘、さんと四つに組んで芝居が出来たのが良かった。
 一部では「人の良い藤岡さんを騙して出演させた」(笑)などと揶揄する意見も出ているがそんな事は決してなく、藤岡さん御本人「いや~ぁ、こういう映画はドンドン作られなきゃダメだよ!」とおっしゃってノリノリで気合入ッていた。
 作品もお笑いのおちゃらけギャグみたいに思われるが、実は「ALWAYS三丁目の夕日」みたいな昭和三十年代テイストを出し、あぶれた漁師の夫婦とその息子、駄菓子屋の娘、ソープ嬢、ヤクザ達とかにの交流を描いた作品なのだッ。いわば実際は「もしも〇〇が~」という異形のモノが人間界に係わって来たら?という「ifーSF」作品なので、ドラマは極めてシリアスです(笑)
  そういった製作意図はとーぜん藤岡さんはお見通しの出演なので、騙されたなんて事はありませんよ~(゜∀゜)

 超豪華キャストが勢揃い!!
春山幹介 / 紗綾 / 田代さやか / 小泉 彩 / 清水昭博 / 清水ミチコ / 須藤為五郎 / なベやかん(友情出演) / 黒田アーサー(特別出演) / 元日本代表・森島寛晃 セレッソ大阪(特別出演) / 小沢仁志 / 竹中直人 / 藤岡 弘、

 現場では武士道の話とか、色々藤岡さんとお話ができたのが良かった。藤岡さんの気合の一言にも乞う期待!。
    「選手交代ッ、キーパー…かにッ!!!!!!」
と、いう事で「かにゴールキーパー・撮影日誌」を掲載。

06年1月~2月上旬
 「いかレスラー」の頃から通っている要町にある造型会社「アレグロ」で、「かに」も造型されるので、いつもの体型合わせ。それから仮組みの動き、ギミックの具合等のテストのため、何度か通う。
 着グルミが完成すると、その怪獣然とした口元を見て造型者の坪井氏は「コイツ、宇宙ステーションとか食っていそうな口してるな!」だって。自分で創ったのに(笑)更に河崎監督もいつものようにチェックして要求を出していく。台本が渡されたので読むと、右田昌万氏の筆による、社会の底辺で生きる人々の人情ドラマに仕上がった感がある話だ。
 河崎監督が自前のサッカー・シューズを私に渡し、「これに履き慣れておくように。」との指示があったので、家に帰るとこのサッカー・シューズを履いてサッカーの自主練を行った。サッカーをやるなんて、学生時代以来だ。

2月24日
 本日より「かにゴールキーパー」クランク・イン。2月末~3月初旬にかけて行うという撮影スケジュールは、04年「いかレスラー」、05年「兜王ビートル」そして今年の「かにゴールキーパー」と、これで3年連続だな。
 私は昼からの入り時間なので、西池袋のカクテル・バーへ向かい、予定より早く到着したのでセッティングの前ノリ部隊と共に先に昼食のロケ弁当を頂く。
 午前中の撮影で、藤岡弘、さんと竹中直人さんの激論シーンを撮ったそうで、台本を読むと、かにを一流のゴールキーパーにしようとするありえない出来事の会話を、藤岡さんと竹中さんが真剣に激論するところが得に好きだな。チーム監督役の藤岡さんが「私は本気でかにを立派なゴールキーパーにしたいんです!」の言葉を受け、チェアマン役の竹中さんが言う「くるったか、藤村!」のセリフが的を得て最高!この映像も早く観たいものである。
 今回の竹中さんの役名は「飛山(とびやま)」というのだが、その昔二十年前、同じ河崎監督作品「イコちゃん3」でやはり竹中さんは「トビヤマ隊長」という役を演じていたので、二十年後の今回、再び「飛山」役を演じた事になる。これも河崎監督の遊び心だね(笑)
 で、私にとってのファースト・シーンはいきなり藤岡さんとのカラミとなる。昼食後スタッフ皆くつろいでいたが、開始時間の時、助監督の「藤岡さんはいります。」の声で現場のムードは引き締まる!そして藤岡弘、さん現場入り登場。助監督に紹介され私は藤岡さんに、以前東宝映画「ヤマトタケル」で共演した件を挨拶したら、「おお、その節は・・・。」と、深く頭を下げられた。業界人でここまで礼儀正しい人間は初めてで、こっちが恐縮してしまい、私も慌てて礼を返す。
 芝居が始まると以前申し上げたとおり、藤岡さんは台本を持ち歩かない。しかもカメラが廻っていなくても、そのワン・シーンを撮り終えるまではキャラクターに入ったまま。この時はディフェンスの強化に悩む監督として、ずっと難しい顔をつくったままだった。コーチ役の霊波サトー氏と議論するが、藤岡さんとカラむサトー氏は撮影前から凄い緊張しており、この日が彼の人生の頂点じゃないかな?とか河崎監督と話す(笑)。藤岡さんだけの単体の画だけをモニターで観ると、まるで「日本沈没」か「エスパイ」の一場面のような画面の引き締まりを感じる。
 そして私のかにの出番。着グルミの着付けを手伝うのは演出部の助監督達の役目だが、最近は女の子スタッフが増え、助監督もチーフの水内宏征氏の下は女性ばっかりになっている。かにの着付けは重い着グルミを持ち上げたりするから、この先大丈夫かな?とも感じた。演技はバー・カウンターの中をかにが高速で走り廻るというシーンだが、その様子を藤岡さんはにこりともしないで真剣に見ている。やがておもむろに立ち上がるとこちらへゆっくり近づいて来るだけでも迫力がある。そしてかにへ向かって「君ィ、ゴールキーパーにならんかね!?」と声をかけスカウトする。見事本番一発OK!
 本日の藤岡さんとの共演はこれで終了し、別の現場へ移動。しかし野外ロケを行うというのに雨が降り出してきた。チーフ助監督の水口氏「誰か雨女か雨男がいるぞ!」と呟く。

 ロケ先の団地の公園で、本作のヒロイン役の田代さやか君と合流。ブランコに乗りながら語り合うシーンだが、団地の人々が見学で集まる。しかし本番の頃は雨が本降りになってしまったので、団地見学者もいなくなり、雨の中で撮影を強行。続いて路上のゴミを田代君があさるシーン。彼女が演じる悦子という女性は純朴な田舎娘で、他人に騙されてホームレスにまで落ちぶれてしまうというシチュエーションなので、雨の中の撮影は惨め感が強調されて良いシーンになった。
                         

 初日の撮影はこれで終了。私は新宿のホテルに泊まる事とした。

2月25日
 朝いつものスバルビル前で集合。今日は江古田のスタジオで一日中室内撮影。しかしスタジオと言っても一軒家そのものとなっている所で、まさに昭和30年代の建物だ。室内にはお約束のちゃぶ台とチャンネル式テレビが鎮座していた。
イギリスBBC放送から取材が来て、河崎監督へのインタビューだったら、私が平成ゴジラシリーズでキングギドラやゴジラジュニアのスーツアクターだと知り、昼休み中に私もインタビューを急遽受ける事となった。
 主人公・真一役の春山幹介君は、中学生なのにテンション低い。俺が中学生だった時は、もっと元気だったぞ!とハッパを掛ける。彼の父親役は清水昭博さんで母親役は清水ミチコさんだから、ダブル清水というか、本当の夫婦みたいだ。そして描かれる姿も本当に昭和30年代の貧乏夫婦そのものになっている。
かにの口を動かすギミックは、内部から私が手動で動かすのだが、カメラがアップになると、口の隙間から私の手が透けて見えてしまうと撮影監督の永野泰隆さんが言うので、助監督の女子達に、黒い手袋を買ってきてもらう。
 唯一の「控え室」のみ21世紀していてエアコン完備、快適だ。春山君、休憩中お母さんと一緒にずっと世界フィギュアを観ていたが、荒川静香選手のイナバウアーを観てるうちに鼻血を出してしまった。慌てたお母さん、「荒川選手の色っぽい姿に興奮したのかしら?」と言うので、私は「男の子として正常な反応だから大丈夫ですよ。」と答え安心させたのだった(笑)
 
2月26日
 本日は朝から雨。ヒロイン・田代さやか君の出番なのだがチーフ助監の水口氏「・・・そうか、田代さやかが雨女か!」と決定。まあ、最初はロケじゃなくてスタジオ内での撮影なので、雨が止む事を期待。電車内のセット。キャバクラ控え室のセット。昼、本物のキャバクラへ移動して撮影。及川奈央さんに会う。
 及川さんは元AV嬢だが今は本格女優として活躍されている。芝居も上手く演技が実にナチュラルだ、いずれ大物女優として大成するだろう。更に社交的で明るく、AV時代の仕事をもオープンにしている。私が以前、及川さんが主演でヒットアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のパロディ「新精子エヴァナオン」というDVDを観て面白かったですよ!と言うと、「あれは監督が凄くエヴァンゲリオンにコダワリを持ったマニアで、『この場面はこうじゃなければ違うんだ!』って、熱っぽく演出してたんですよ~。」と楽しそうに話してくれた。
 キャバクラでかにがケンカに巻き込まれ、ビール瓶で殴られるシーンでは、お約束の飴製のビール瓶が用意された。で、殴られたら派手に破片が飛んだほうが画ズラも良いだろうと考え、ビール瓶で殴られた瞬間、ブルっとかにの身をゆすり破片を飛び散らせるアドリブを行った。こういう一瞬の演技は東宝特撮の現場で、カメラスピード3倍速、4倍速度の演技を行ってきたので体で反応出来る。
 夕方水道橋での野外ロケだが雨は止むどころか更に激しく本降りになった、田代さやか君の恐るべき雨女パワーだ!・・・でも豪雨の中、河崎組は強引に撮影を強行したのだった!
                  

2月27日
 渋谷パンテオン跡地集合して移動だが、かにの声の渡辺君が遅刻してるので、後続のバスへ乗るように指示して出発。横須賀観音崎付近の海岸で漁村のシーンのロケ。本日はずっと真一とかにのカラミの撮りなのだが、前にのべた通り真一役の春山幹介君の芝居のテンション低いので、移動中バスの中で少し説教というかハッパを掛ける。
 本日最初の撮影は、魚の匂いが立ち込め朝から熱気に包まれた場所・漁港の魚市場を借りて、かにが自分のカニミソを売るシーン。・・・って、自分の脳ミソがカニミソになってるなんて・・・かくて自分の脳を売ってしまったかには脳無しの白痴化してしまうのであった!
 海岸は波高し強風が吹き、着グルミを被っていても寒い。河崎監督自ら温熱シップを子供達に手渡すが、するとバス内のワルガキ三人組役の子供達、ゲームに夢中で河崎監督を無視し、挨拶もしない!な、ナンちゅうガキどもだっ!さっそく私が厳しく業界の礼儀作法を教授してやった。
 しかし河崎監督が本格的に子供達に演技を付けたのはこれが初めてじゃないかな?飯島敏宏監督や中川春之介監督みたいな感じだ。
真一のガールフレンド役は、今ロリっ娘アイドルとして人気急上昇中の紗綾ちゃん。おとなしい女の子だけどしっかりしていて、「紗綾って名前も自分で決めたの。」と語り、自己主張するところはしっかりしている。強い海風の中で一生懸命演技をしていた。・・・しかし私から見たらただの子供なのだが、こんな子でもビキニ水着の写真集が出てしまうのだから、これが芸能界たる所以だな。
  
 砂浜で浦島太郎よろしく、いじめられていた亀ならぬかにがガキ大将達にボコられ、それを真一が助けるシーンでは、かにの初登場シーンとなるのでこれは怪獣演技を行い、砂煙をハネ上げ出現した。それからかにと真一の再会シーンで互いに全力で走って抱き合うのだが、冷たい海風が強く、着グルミの隙間から風が入り込み寒い。着グルミを被ったまま寒い思いをしたのは今回が初めてなので、早く体を動かしたかったので、スタートの声が掛かると横っ走りで全力疾走!かになので横に走るので少々難しいが、真一と抱き合うと、力余って抱き上げた真一の体を振り回してしまった(笑)

 昼食の休み、港の沖合いを眺めると、海上自衛隊の護衛艦が数隻航行している。今回のメイキング担当者は私と同じく艦艇好きなので、メイキングを撮らずに海上をウロウロしている護衛艦ばかり撮って・・・てな事はなかったが(笑)二人揃って護衛艦を眺めながら軍艦談議に花を咲かせた。

 午後からの撮影。紗綾ちゃん演じる真一のガールフレンド・友葉の家のシーン。本物の駄菓子屋を借りてロケするが、これまた昭和30年代のまま保存されてるかのような店で、いまだに大村昆の「オロナミンC」や「光速エスパー」の看板が貼られている。
真一の家の外観も、レトロな古い作りの家の前で撮らせてもらうが、その前を横切るオバサンをエキストラとしてお願いしたら、地元のオバちゃん、実にナチュラルな良い味だしてくれた。興味を持って集まってきた子供達に河崎監督サイン責めにあうと、私は「円谷英二監督のように、『スキーぼうや』のイラストも添えたらどうですか?」とアドバイス。(笑)
                     
 夕方海岸の納屋のシーンだが、ぬわんと、海岸が満ち潮になってしまい、スタッフみんな足元を波に濡らしながら 納屋へ移動したのだった。・・・ところが明日の午前中、私は地元で野暮用があるのでこれから帰らなければならない。そこでピンチヒッターとしてかにの代役に「コアラ課長」でうさぎ社長とかえる店長を演じた安藤英行君に演じてもらうため彼に来てもらった。そして着グルミの試着したり、明日のサッカー・シーンのためスパイク靴の試履きもしてもらうが、オイオイ、泥の残る地面の上で直にシューズを履こうとしているぞ!慌ててコンクリートの上で履き替えるように指示を出す。

 そして私はお先に失礼、一人電車に乗ると、横須賀の海岸を車内から眺めながら帰路についたのだった。
            後編へ続く・・・

姿三四郎と富田常雄「紘道館サーガ」

2006年05月17日 03時53分31秒 | Weblog
書籍紹介、古本サイト「ガラクタ風雲」の管理人よしだまさしさんが書いた「姿三四郎と富田常雄」が「本の雑誌社」より発売。
   http://homepage2.nifty.com/GARAKUTA/ (コピペで行って下さい。)
 姿三四郎を通してよしださんと知り合うキッカケとなったのは、元々は、ハリウッドでツイ・ハークなど香港出身の監督達が「ワイヤー・アクションもトランポリン・アクションも、全て香港映画が原点だ!」という発言を受けて、何も知らない日本映画マスコミ界の人達は真に受けて、その発言が定番となってしまった事に私が反発した事が発端だった。
 だって「ライダ~ぁ、変身!トゥッ!」「ルァイダ~ぁキィ~ック!!」てのを散々観てきた私らにとってはその発言は間違いである事は一目瞭然!たしかに中島春雄さんが中に入って操演したラドンとか、「スーパージャイアンツ」でも宇宙人が吹っ飛ばされるカットでワイヤーアクションと云えるとはいえ、まあワイヤー・アクションの原点は香港映画に譲るとしても、トランポリン・アクションは日本の映像作品こそが原点である事は間違いない。それでトランポリン・アクションの原点は何か?と調べた所、「姿三四郎」に行き着いたワケである。
 「姿三四郎」とは富田常雄が講道館創成期をモデルに天才柔道家・姿三四郎を主人公として描いた小説で、発表直後かの黒澤明が監督デビュー作として映画化した作品であり、必殺技・山嵐の演出がトランポリン・アクションの原点として表現されていたのだ。
 それにこの作品、現在「少年ジャンプ」を始めとする少年漫画の格闘物の原点でもあるのだ。柔道VSボクシングやレスリングなどの異種格闘技戦では「猪木VSアリ戦」の予言の書ともなっており、戦った宿敵とは後に友情パワーを交わしたりという姿も描かれている。(それまでの剣豪小説では戦ったライバルは斬り殺されてしまうので、戦った後のライバルの描写はされなかったが、『姿三四郎』の柔道対決では相手が投げ殺される事はなかったので、宿敵が三四郎の強さと人間性を認め、友情パワーを交わすパターンが生まれた。もっとも三四郎の投げ技が原因で死んでしまったり再起不能になってしまった相手もいるが・・・そういう点でも勝負の非情な面も描かれている。)
 そんなこんなの事をうったえるため雑誌「宇宙船」で連載を始め、情報収集のためNET検索をかけていたら「ガラクタ風雲」サイトが引っ掛かり、よしださんに資料協力して頂いたというワケである。よしださん御本人おっしゃる通り、「姿三四郎」の名前は知っていても内容を把握している読者は皆無に近い状況の中で、よしださん程詳しく「姿三四郎」とその作者・富田常雄について研究されている人間は他に存在しないので、私にとって心強い協力者になってもらえた訳なのである!
                      
 で、よしださんが書いたこの「姿三四郎と富田常雄」は富田常雄が新人時代、匿名で少年小説を書いていた作品までリスト作成をして実に深く調べられているが、だからと言って固い研究本にはならず、姿三四郎というキャラに誰もが思うであろう適度なツッコミみを入れているのが楽しい(笑)
 是非ともお勧めの一冊である。
                 
  香港映画におけるトランポリン・アクションの源流とその流れは、ブルース・リー主演「ドラゴン危機一発」で敵の工場社長役を演じたハン・インチェ(韓英傑)が元々サーカス出身の人間だったので、59年に香港映画会社「ショウブラザーズ」へ入社してから武術指導の際、トランポリン・アクションを導入されたのが始りだとされている。・・・まあこの頃日本映画界では先に述べた通り、黒澤監督の戦時中の映画「姿三四郎」ですでにトランポリン・アクションの萌芽が生まれていて、後にトランポリン・アクションをふんだんに取り入れライダー・アクションの原型を作った「柔道一直線」に出演した倉田保昭氏が香港へ渡り、「帰ってきたドラゴン」で「姿三四郎」に登場したトランポリン・アクション「二段投げ」をそのまま演出したりして、トランポリン・アクションを広め定着させていったという流れがある。つまり香港でも独自にトランポリン・アクションを演出していたものの、日本からの輸入があった事も事実なのだ!
                          
 私の映像作品取材では、富田常雄の柔道モノを「柔シリーズ」として映像化してきた「エクラン社」という所が60年代からトランポリンアクションをふんだんに演出してきたので、トランポリンアクションのパイオニアというプライドがあるから、取材を入れる時も、私の「ハリウッドの香港系の監督達が、『トランポリン・アクションは、全て香港映画が原点だ!』と言ってますので、その間違いを正すために取材したいのです!」という言葉が殺し文句になり、「そういう事ならドンドン書いて下さい!」と取材許可がスンナリ行えたのだった。 そして私の「宇宙船」連載企画のラストでは、やはり柔道本家の講道館にお出まし願おうと考え講道館に突撃取材!かくて「宇宙船」に「協力・講道館」の文字が載ったのも空前絶後の事となったが、講道館の資料書籍に「宇宙船」が並んだのも空前絶後の事となったのだった。
 で、ライダー・アクションの原型を作った「柔道一直線」に「指導・木村政彦」の名前があったので、その事を講道館幹部の方々に尋ねたら、講道館とは関係なく木村政彦七段のほうで大学柔道部の学生を使い、柔道技の模範を演じていたそうだ。
 ・・・しかし講道館のお偉方達が口々に「木村先生」と呼んでいた事に感動したな。木村政彦はその昔、「プロ柔道」を起こし、グレイシー柔術創始者・エリオ・グレイシーにも勝ち、現在の小川直也、吉田秀彦の先を行くパイオニアだったのだが、結果、当時の講道館と対立する形になってしまったからだ。それがやっと偉大な先人として講道館にも認められたと確信出来たからに他ならない。「プロ柔道」が興行不振でわずか半年で崩壊とか力道山との対決も、八百長前提で試合を受けたら、間違って入った急所攻撃に一方的に力道山にマジギレされ、ボコられてしまったり、暗黒世界との繋がりやら、マイナス面も多かった木村七段は、大外刈りを編み出した人物でもあり、「腕がらみ」も海外では「キムラロック」と呼ばれる程の当時最強の柔道家と云われていたから、その偉業もやっと講道館に認められたと思いたい。
                       
  写真左は、雑誌企画で再現した、講道館初期の稽古着。腕や膝を出した活動的なスタイルで、レスリングを意識した感じだが、起倒流柔術の練習着が元になったらしい。
  右は山嵐の再現。下は講道館の柔道創始師範・嘉納治五郎像と、姿三四郎のモデルとなった西郷四郎の柔道着。

格闘技観戦

2006年05月14日 21時04分57秒 | Weblog
  ゴールデンウィーク前から今月中盤までは「K-1」「HEROS」「PRIDE」といった格闘技の試合がひしめき興行されていたので観戦した。

 「K-1」ベガス大会は「チェ・ホンマンVSプレデター」が怪獣映画していた。リングが小さく見えたし、チェ・ホンマンがあんなに苦しめられた姿は初めてだから、プレデターの実力ポテンシャルはかなり高いのだろう。
 ステファン・レコは復帰ならず、更に日本人ファイター全滅!一番盛り上がったのは、剛力グッドリッジの全試合真っ向殴り合いで、最期は壮絶な玉砕!これにはブルース・ウィルスも喜んでましたな!。
 ・・・だがするともう、毎試合ボロボロになる武蔵がかわいそうでしょうがない。
ルールはドンドン「武蔵流」から離れるものになって行き、結局ヘビー級では日本人ファイターは、武蔵の後がモノにならなかったので、いつまでも日本を背負って戦わされている。
 藤本ブンブン丸が唯一ポテンシャルがあるものの、まだ試合で結果を出せていない。武蔵が楽になれる日は来るのか?
                    

  「HEROS」では、我らが轟天号キャプテン・ゴードンことドン・フライが見事、曙を下した!
 曙のようにあれだけの体格差、体重差がある相手と戦う場合は、格闘技シロウト芸能人ボビー・オロゴンがやった戦法のように、離れて打撃を入れていくのが一番安全な戦い方なのだが、我らがゴードン大佐はまさに轟天号のように真正面から突っ込みひたすら殴り合っていった。まさに「前進あるのみ!」と、映画の中でのセリフそのままにやって勝ったのだから凄い! 衝角ドリルで突撃する轟天号の如く、真っ向殴り合いは無謀というか、流石元「プライド男塾塾長」というべきか。解説席には同じ「 ゴジラファイナルウォーズ」仲間の船木誠勝が観戦してたぞ。
 思えば格闘技界には長く、「どんな格闘技も力士の巨体とパワーにはかなわない。」という幻想があった。曙がK-1に出た時も、やった事のないパンチやキックの試合に出てもダメだろうと、総合の試合なら相撲技が出せて本領発揮出来るだろうと思っていた。
 しかしホイス・グレイシーに敗れて相撲最強幻想は崩壊した。考えてみれば相撲技には張り手や投げ以外に相手にダメージを与える決め技が無い。日本最古の格闘技である相撲も元々、野見宿禰VS当麻蹴速の古代相撲対決伝説では、蹴りあったりした打撃ありの総合格闘技であったらしいので、力士が総合の試合に出るには、戦国時代、武士達が行っていた「武者相撲」に立ち返ったほうが良いだろう。
                                                     
 秋山成勲VS永田克彦の試合は両者組み技の選手なのに、互いに打撃戦に終始し、秋山の二度に渡るバックスピンキックでフィニッシュとは、これが総合の試合の特徴だと思うが、彼らの試合は打撃無しのルールでやったほうが純粋にレスリングVS柔道の対決になり、互いの技術を出し合えたんじゃないかと思う。
 ホイス・グレイシー相手に善戦した所英男がブラックマンバに秒殺でやられてしまったのは残念だが。
              
 ・・・しかし山本KID徳郁VS宮田和幸の対決は、誰もが両者苦戦して、判定勝負になるだろうと読んでいたが、山本KIDがまさか試合開始一撃秒殺するとは思わなかった。

 んで、子供の日の「PRIDE」。

 高坂剛VSマーク・ハントは、信じられない程のタフガイさで高坂の健闘に素直に感動。あんなに頑丈でハードパンチャーのハントのパンチを何発も食いながらもあそこまで耐えた高坂のハートは強い!
 「北斗の拳」ヲタクの蒼い瞳のケンシロウ・ジョシュ・バーネットは皇帝ヒョードル弟・エメリヤーエンコ・アレキサンダーに勝って、決めセリフの「オマエハ・モウ、死ンデイル!」が言えて良かったね(笑)
 ミルコ・クロコップ、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、吉田秀彦らは安定した勝利。ミルコの相手の美濃輪育久はいつも役に立ってんだかワケのワカラナイ特訓をしているが、今回その成果が回転蹴りくらいしか出せなかったので良いとこ無しという感じだったな。
 吉田の先輩・古賀稔彦は「平成の姿三四郎」と呼ばれたが、今回ヘビーボクサー西島洋介と戦ったり異種格闘技戦を続けている吉田のほうが今じゃ「平成三四郎」じゃないかと思う。
                   
 ・・・しかし最大の戦いは、「プライド怪獣大戦争・藤田和之VSジェームス・トンプソン」だった。
 総合の試合では寝技が重要な戦術となるが、テイクダウンしない方法もドンドン編み出されているので、スタンディングの戦いでは打撃戦も重視され、今回紙一重の差で藤田の殴り勝ちといったトコロか。トンプソンの血しぶきがカメラのレンズに当たるところが放送されたなんて初めての事だぞ!
 思えばグレイシー登場の頃は、打撃系の選手は寝技に持ち込まれれば手も足も出なかったが、ストライカー選手のミルコが総合の試合に参加して以来寝技対策も進化し、寝技の攻防戦はせずに脱出方法だけ覚えてスタンディングに持ち込む、あるいはテイクダウンしない方法で立ち技のみに持ち込めば、打撃戦が重要なキーワードになったという事だ。藤田が四つに組んだ時のヒザ蹴りの防御方法は「船木VSヒクソン戦」でヒクソン・グレイシー が編み出した、下半身だけ半身に構えて自分のヒザで相手のヒザ蹴りを防ぐ手法を用いていたな。
 藤田絶対絶命であわやのピンチにこりゃダメか!という危機!だが打撃戦の中での大逆転、とてつもなく熱い殴り合いに燃えたのだった。
             

そして本日の「K-1オランダ大会」
 目玉のボブ・サップ戦が無くなってしまったのはなんか肩透かしでハズされた感じだが、巨大格闘ロボ・大巨神兵セーム・シュルトの絶対王者ぶりや、新・巨人ビヨン・ブレギーなどの活躍を見ると、打撃主体の立ち技では体格の優れた者のほうがリーチ・コンパスの点で有利なので、かつての戦艦の「大艦巨砲主義」の理論が当てはまる。・・・とはいえシュルトに対したロイド・ヴァン・ダムは判定負けしたとはいえ、あれだけの体格差がありながらKOされなかったのはそのテクニックと根性が素晴らしい証であるし、K-1デビュー以来未だにKO負けされていないというのも凄いファイターだと感じた。
 そしてアーネスト・ホーストVSボブ・サップ戦が消えた分期待が高まったのがレミー・ボンヤスキーVSジェロム・レ・バンナ戦だ。
 かつてホーストに主砲である左腕を粉砕されてからのバンナは精彩を欠き、それは対戦相手がバンナの弱点は左腕だと知り、集中攻撃してきた事によるが、今回のバンナはかつての正義のホーストに対して悪のヒーロー、K-1ハカイダーとしての姿が復活し、華麗な体さばきでよけかわすものの逃げるレミーをアグレッシブに追い続け、ひさびさにK-1番長としての暴れっぷりが観られた。
 ・・・だから判定決着になった時は私もバンナの勝ちだと思っただけに、レミー勝利の報は、やはり判定はホームタウンデシジョンでは「地元選手の有利」という逸話そのものと感じたぞ!あの判定で通用するなら、日本の試合では武蔵は逃げ回るだけで勝ててしまう!・・・しかしバンナは始めから倒しにかかっていた所が偉かった。だからこそ一発でもダウンを奪っていたならあんな判定結果は出せなかっただろうに、本当に可哀想である。 やはりKOダウンを狙わなくてはダメだ!
  アーネスト・ホーストVSピーター・アーツ、この二人はK-1初期からの長い付き合いだし、実力も互角なので互い手の内も分かっているから、それだけ切迫した試合だった。・・・ただスタミナ面ではホーストのほうがまだイケてるんじゃないかと感じたな。アーツのほうがさすがに年齢を感じる戦い方だった分、ホーストはまだまだやれそうな感じだった。
 ・・・しかしこのカードが決まった原因を作ったボブ・サップだが、呆れ果てた事に試合直前30分前に前代未聞の「敵前逃亡」によるドタキャンだったそうだ。自らビーストブームに泥を塗って格闘技人生の首を絞めたとは、あのキャラクターは気が弱い自分を隠すものだという事がハッキリしてしまった。
                           

訃報続く・・・合掌

2006年05月12日 01時03分42秒 | Weblog
  悲しいかな、今年は前半の段階で、作曲家の伊福部さん、宮川泰さん、脚本家の佐々木守さん、女優の曽我町子さんと色々な偉人が他界されてしまった。

 宮川氏の音楽は、長くザ・ピーナッツの曲を書いてきた方という事で、私は物心ついた時からザ・ピーナッツの歌は聴いており、得に「三大怪獣 地球最大の決戦」での劇中歌「しあわせをよぼう」も強く印象に残っていたが、当時はその作曲家は誰か?などという事には気が廻らなかったので、やはり宮川氏の音楽を強く意識したのは何といっても「宇宙戦艦ヤマト」である。
 初めて「宇宙戦艦ヤマト」を観た時は、本格的なメカニック描写や骨太ドラマに圧倒されたが、当然、宮川氏の重厚かつ美しい音楽力も大きい事はたしかなものであった。
 それに主題歌も、イントロの最初からアップテンポの出だしから始まる作りになっていたそうだが、プロデューサーによる「宮川さん、ヤマトは海底から蘇り、大宇宙に飛び立つのです。だから始まりは、もっと低い音で!」という要求で、イントロは伴奏無しの、低い声による男性合唱から始まるという、実に重々しく運命の旅立ちを強調したオープニングは、視聴者の我々に強烈なインパクトを受けたものであった。
 
 まあ、他にはビートたけしのバラエティ番組「笑ってポン!」のヒーロー物「紅白仮面」に登場した木人38号のテーマも好きでしたが(笑)・・・御本人もとても明るくいつまでも元気な姿を我々に見せていたので、いつまたひょっこりと姿を見せるのではないか?と思ってしまう。
 宮川泰氏の御冥福をお祈り致します。

 脚本家の佐々木守さんは、御本人からして「俺は古いタイプの左翼だ!」と公言してはばからない方で、体制側に対しての反逆精神を描き、「ウルトラマン」の「故郷は地球」では、宇宙ロケット競争の犠牲者となった宇宙飛行士が怪獣化して復讐するという、ヒーロー物にアンチテーゼを投げかけた作品を発表していらい、そのサブタイトル「故郷は地球」を主題歌・歌詞にした「シルバー仮面」では、宇宙ロケットを開発している地球を、「地球人は侵略・宇宙征服に乗り出そうとしている」と考えられた宇宙人達から襲われるという設定は、また日本はアジア侵略を始めるかも知れない?という危機感を持っているアジア諸国を模したものか?と思わず穿った観方をしてしまう設定だ。主人公達兄弟も、宇宙人達だけでなく時には警察権力にまで追われてしまうという、社会的メッセージの強い作風に仕上がっている。
 続く「アイアンキング」では主人公達は国家権力体制側の人間だが、組織の中からのはみ出し者アウトローで、敵の設定などは「かつて大和朝廷に征服された、日本先住民族」という、まさに「日本で真に理想的な時代は、大和政権が樹立する遥か以前、縄文時代だった。」という左翼理論そのものみたいな設定だし、続いての敵はもう、「独立幻野党まぼろし兵団」なるまんまテロ過激派集団を登場させて、日本政府転覆の革命を起こそうとする組織。70年安保の熱気残る時期だったので、佐々木氏のテイスト、メッセージ性がかなり色濃く出た作品だった。
 また、ホームドラマでありながら一家族を「日本国家」に模した「お荷物小荷物 」では、東宝特撮映画で博士役でお馴染みの志村喬が古き日本の象徴となり、中山千夏がアイヌ人や沖縄人の娘を演じ、アイヌ民族解放や琉球独立運動を訴えた話を描いていた。(同じような追いやられた日本先住民という設定は、後に映画版『ウルトラQ ザ・ムービー』でも描かれている。)
 ・・・まあ、私としては、社会派・政治的メッセージより、石橋正次・浜田光夫のコンビの軽妙なかけあい、キャラクター性の面白さに注目して好きな作品だ。
 しかし佐々木氏の代表作の一つにモロ体制側・警察権力そのものである「刑事くん」がある。この作品がオファーされた時は、さすがに佐々木氏は「私は昔、運動活動中に警官達から何度も殴られたんですよ!」と断ったそうだが、それを「あなたの理想の警察を描いて下さい。」と話して口説き落とした平山プロデューサーの力量も凄いと思う。
 私個人としては野球漫画の原作を行った「男どアホウ甲子園」が、社会派・政治的メッセージ性より純粋にエンターテイメント作品として楽しめる好きな作品である。

 佐々木氏の訃報を知ったのは、河崎実監督作品の新作「かにゴールキーパー」の撮影中、観音崎ロケで河崎監督によって知らされた。日本が今、韓国・中国らから叩かれているこの時期に、佐々木氏の新作によるメッセージを知りたかっただけに残念だ。しかし自分が書いた話が永久欠番にされてしまった「ウルトラセブン」の第12話「遊星より愛をこめて」の欠番となる経緯について、自力で明らかにした事は、氏の最期まで反発精神による活躍ではないかと思える。
 佐々木守氏の御冥福をお祈り致します。

 ・・・そしてまた女優・曽我町子さんの訃報が入った。ゲーム「宇宙刑事魂」の暗黒銀河女王役で新たに悪の女王役を演じられ、元気な姿で活躍されていたので、まだまだ活躍されるだろうと期待していたのに・・・信じられない。
 私は曽我さんのデビュー作と言われる「チロリン村とくるみの木」から観ていたが、はっきりとその特徴あるお声を認識したのは「オバケのQ太郎」からで、そして「レインボーマン」のゴッドイグアナで、オバQの声を演った人としてお姿を拝見した。
その後、「5年3組魔法組」の魔女ベルバラ、「電子戦隊デンジマン」及び「太陽戦隊サンバルカン」でのヘドリアン女王、「時空戦士スピルバン」の女王パンドラ、「世界忍者戦ジライヤ」での妖忍クモ御前、「恐竜戦隊ジュウレンジャー」の魔女バンドーラといった宇宙の魔女、女王役で人気を不動のものとして、特撮俳優界の女王となった。そして「魔法戦隊マジレンジャー」のマジエル役では悪の女王や魔女ではなく、正義の天空大聖者を演じられた。
 また、「ジュウレンジャー」はアメリカへ輸出され「マイティ・モーフィン・パワーレンジャー」という作品に改良され、現在まで放送されるロングラン・ヒット番組となったが、これは当初ロボット、マスクアクション等の特撮シーン以外(つまり日本人が顔出しで出るシーンは全て)現地で外人アクターが撮り直しされて差し替えていたが、曽我町子さんのシーンだけは差し替えなしのそのまま使用されたのだった。その後人気が出て、オリジナルエピソードが作られるようになり、ロボット、マスクアクション共に現地で撮影されるようになったが、曽我町子さんの演じる女王だけは絶対不動のボスキャラでありつづけ、曽我さんは国際女優となったのだった。
 曽我さん演じる魔女、女王は、万人の云うところ、あの不気味なまでの迫力ある存在感の中に、悪くてエラそうだけど愛嬌たっぷりという、愛すべき魔女と言われる感じは万国共通のものだった。日本が産んだ貴重なワールドアクターがまた一人失わされたのだった。
 ・・・今やインターネットの力により国際的にタイム・ラグは無くなった。曽我さんが亡くなった翌日の朝にはすでにアメリカの「パワーレンジャー」ファン達がもう、曽我さんの追悼特集しているというのに、日本の一般の情報はとても遅れているな、翌日の午後のテレビニュースで報道され、新聞に至っては二日後に掲載される始末・・・。

  ・・・思えば私が曽我さんとお逢いしたのは「サンバルカン」最終回のアフレコの時に立会ったのが唯一のものとなってしまった。共演の長官役の岸田森さんもすでに亡くなっておられ、寂しさは募るばかりだ。友人が曽我さんの店の常連だったので、私も行けば良かったと悔やまれる。
 曽我さんとかけあいの多かった飯塚さんもきっとガッカリされていらっしゃるだろう。女王には逝かれてしまったので、大魔王の飯塚昭三さんは体をメンテナンスして、何万年も長生きして頂きたいものだ。
   曽我町子さんの御冥福をお祈り致します。亡くなられた皆様に合掌。

電エース・シリーズ 続き

2006年05月08日 00時26分53秒 | Weblog
 電エース・シリーズ撮影日誌の続き。

 新世紀となった01年ではインターネット放送局【電エースTV】という形で製作される事となった。「東京トイフェスティバル」とのコラボレーション作品ではフィギュアメーカー「マーミット」の赤松和光代表自ら悪役・マーミット人首領レッドウェイトというキャラを演じ、人類の半分はマニアだ!と思い込み、レア物フィギュア・マニアの心をつく作戦で、レア物フィギュア限定品3億個販売すればマニアが飛びつき世界恐慌が起きるだろうとたくらんだり、当時のトイフェス実行委員長・額田久徳氏(仮名)も特別出演していた(笑) 
                       
 また「電エース先生」という話では、河崎監督が特別講師をやっている俳優養成所で撮影されたが、ここの生徒の中に、私が時々世話になっているアクション事務所の社長の息子さんが居て、偶然出会ったものである。
 霊波サトー氏が、地球上全員の女性を1日一人ずつ地道に妊娠させ、3億5千万年後の3万5千世紀には地球人の子供達は全て《電エースキラーJR》にしてしまおうと企むサトー星人を演じていたな。

 05年の九月10月と揃い、「電エース」新シリーズDVDが2バージョンとも出揃い発売された。

●ポニーキャニオンDVD「快楽の超人 本家電エース」
●ローランズ・フィルムDVD 「元祖 電エース」

 の二本。6月某日、午前中はホラー映画「呪怨」が撮影されたロケセットの一軒家で室内シーンと温泉シーンの撮影。敵は「おっぱい星人」というただの水着の女の子。派手に水飛沫を上げたほうが画ズラが良いだろうと思い、わざと大きく倒れたりして水飛沫を上げたらカメラに水がかかってしまった、おっとこりゃ失礼。
 午後には「航空公園」へ移動。元スーパーヒロイン女優で、現在主婦の、通りすがりの元女優・萩原佐代子さんに出演してもらい、20年ぶりにスーパーヒロインに変身!「電A子」になってもらった。ついでに「兜王ビートル」のヒロインで今や「新・ブログの女王」となった中川翔子ちゃんも今回は悪役として登場!公園の野良猫の目から発する怪光線で電エースを倒すために製造された殺人アンドロイド・電エースキラーに変身! ・・・って、元々演出に関係ないウロついていたただのノラ猫を、即興で変身ビームを発射する宇宙怪猫にしてしまうとは、なんちゅうアドリブ精神じゃ?!(笑)
          
                  
 薩摩剣八郎さんの「ミニトークショー&サイン会」を行った、今年の「東京トイフェスティバル」会場に現れた、えむぱい屋製作作品『モーレツ怪獣大決戦』に登場したパチモン怪獣のメロメロンとヒーター星人相手に戦う!

 萩原佐代子さんの変身ポーズは、最初本人が演ったのは、おっぱいを強調した、本人曰く「エッチっぽいのがいいなあ~。」だったのですが、私が一応スーパーヒロインらしい変身ポーズに変更しました~。 電A子はマスクは、Aにズラ被せて、あの唇赤くしただけの使い回しなのだっ!
 ・・・しかし 萩原さんの美しさは二十年前とまったく変わりなく、とても四十代女性には見えない!萩原さんの正体は、実はサイボーグかアンドロイドなのでは?と思ってしまう。
         
 中川翔子ちゃんはもう、ディープな特撮娘なので、「遂に変身出来るんだ!」と、メチャ気合が入っていた。・・・しかしそこいらにいた、ただのノラ猫までも演出に加えて撮影してしまう河崎カントクのアバウトさ・・・いや、臨機応変な柔軟さはさすがなものですッ!

 相手役は「いかレスラー」で宿敵のしゃこボクサーを演じた谷口洋行君。彼は全シリーズの怪獣・怪人・宇宙人・ロボット・ただの闘牛士を演じたが、1日で10体近くのキャラクターを演じた経験は私にも無いな、大したもんだ。
 実はこの撮影中、闘牛士と戦って電エースは負けてしまうというシチュエーションだったが、倒れる時、手を付かずに頭から倒れる演技をしたが、マスクの内側にクッションが無かったので、内部のデコボコの角で右コメカミが切れてしまい、とてつもなく大量出血が起きて、まるでミルコ・クロコップVS藤田和之の初対決のように大流血してしまった!
 撮影中のケガはこれまでにも細かいケガは無数にしてきたが、どれも大事に至らず大した事はなかったが、頭をケガして顔面血だらけになったという経験は初めてだ!もし動脈を切っていたら出血多量であと数分で死んでしまうだろう・・・だが幸いすぐ出血は止まり問題はなかった。しかしスタッフに医療薬品を買いに行ってもらったりして、撮影を一時ストップさせてしまい、河崎監督にも心配させたのには申し訳なかった。
 この様子を見た萩原さんは「いや~あ、男らしいですねぇ!」と興奮ぎみ。彼女は傷ついた男性に燃えるタイプなのかな?(笑)
 まあ、そんなアクシデントがあったものの、このシリーズも撮影終了。

で、今回行われた電エースの撮影だが、某有名SF作家の小説が映画化され、その劇中劇として登場するというもの。どんなSF小説の映画化かは公開日が近づいたら改めてお知らせする。

 ・・・しかしこの撮影に向けてトレーニングしていた時、回し蹴りの練習中、わき腹がグリッ!とまるで内臓がヨジレたようなイヤな感覚と同時に痛みが・・・どうやら肉離れを起こしてしまったようだ。・・・どうも私の肉体は、前後左右の動きの伸縮性には強いが、ヒネリの運動によるパワーにはモロいという構造上の弱点があるようで、以前にも、雑誌「宇宙船」の企画でライダー・アクションを担当した「大野剣友会」への体験特訓を行うという時にも、張り切ってハンマーフックのトレーニングを行っていたら広背筋が肉離れしてしまったりと、以前から度々あったのだ。本当に、ヒネった時内臓がエグレた気分で、かつて広背筋が肉離れした時はべリッと筋肉が剥れた感覚がハッキリと分かったものだ。まあ、それだけに自分の損傷箇所と原因が分かり易かったので、大事にならずとも対処方法をどうすれば良いか?が理解出来ていたので、無理せず傷を深めないように我慢する事は出来たが、分かっているので加減しながら練習したりもするが、つい限界点以上の負荷をかけるとやってしまう。
               
 とはいえ大きなケガをしたワケではないので、根性で1日で自然治癒させて撮影に臨んだ。お蔭様で1日安静にしていたら、翌日には痛みは弱く引いていた。でもクシャミや咳をするとまだ痛いものだ。
 しかしもう何度もやってるので、だいたいどれくらいの損傷具合か分かるので、どれくらい動いても大丈夫か?の加減も分かっている。自然治癒力を高めるには、最近はイメージトレーニングやヒーリングなど精神面での影響も大きいと云われているが・・・私の場合はかのランボーを見習って「痛みは無視する。」かな?(笑)
                           
 で、撮影当日、現場は本庄にあるスタジオなので、秩父線を利用して向かった。4年前の「恋身女子戦隊パティーズ」の時も秩父線で現場へ向かったので、当時を思い出す。
 ・・・でも雨が降ってきたが大丈夫だろうか?と思ったが、本庄駅に着いた頃には雨も止んでいる、こりゃロケ運強いな。
 現場には特撮監督の佛田洋氏、美術デザイナー池谷仙克氏も揃っていて、お二人と会うのも「パティーズ」以来だな。つーか「電エース」でちゃんとした特撮メンバーが着いて撮るなんて事も今回が初めてだ。露天平台の上にミニチュア・ビルのセットを組んでるし。いつもはマンションの屋上か野ッ原で撮ってただけなのに、劇場作品ともなると、こりゃ「電エース」も贅沢だ!・・・でも相手の怪獣は、ただのアロサウルスみたいなレンタル恐竜の着グルミ。今回も谷口洋行君に演じてもらった。メイキングは「コアラ課長」以来のひさびさに作熊ちゃんが撮っている。
 アクションは主に電エースがやられる芝居。しかし今回はちゃんと弾着を付けて火薬爆発までやってるから本格的で良いですな!同時に逃げる人々の撮影だが、この作品の内容上、やたらめったらガイジンが多い。多くの外国人を入国させて〇〇〇とゆーお話なのだ(それは作品が完成するまでのお楽しみ・笑)
 
 撮影の合間に佛田監督に「男たちの大和」の特撮の感想を述べる。かつて「長崎ぶらぶら節 」で戦艦「土佐」を描いたが、その頃まではミニチュに重量感を出させるため、速く動かす事が出来なかったが、CGの発達で重量感を出したまま艦首波を合成し、海上を時速50キロで走る姿が描ける事となった。それに合成したまま画面を揺らす事も出来るようになったのだが・・・
「でも、色々出来るようになったから欲が出ちゃって、佐藤純彌監督があれもやろう、これもやろうと言ってきて大変だった、時間が無いから出来ませんって断ったりして。」それだけ技術的に進歩したという事でしょう。でも主砲の対空弾「三式弾」の効果などは「わかんないから適当にやっちゃったよ。」だって。やっぱりなあ(笑)

 今回の映画の特撮監督は佛田氏だが、「電エース」の演出は河崎監督におまかせで、河崎監督はいつもの熱血指導!得に電エース尻餅ズッコケ演技には力を入れて演出していたッ!(笑)
                  

  それから合成用シーン撮りでブルーバック前での演技を少々行って終了。昼食のロケ弁当を頂いて帰路に着く。今回の映画は本日からクランク・インだが私の出番は初日で終わり。アップの日まで無事に終わってほしいが、野外でのシーンが撮り終わるとまた雨が降ってきた。今回は本当にロケ運強いから大丈夫だろう!

電エース・シリーズ

2006年05月07日 19時39分14秒 | Weblog
本日またまたまた毎度おなじみ河崎実監督の怪作ライフワーク(?)「電エース・シリーズ」の、恒例の撮影を行った。
 「電エース」とは、元々は89年にバンダイから発売されたビデオマガジン『電影帝国』の中のヒーローコントだったもので,その設定は・・・

 電エースは、「快楽の星」からやってきたヒーローである。
普段は好青年・電 一(でん はじめ)の姿で遊び回っているが、ひとたび気持ちがよくなると身長2000メートルの巨人・電エースに変身する、ナウなヤングの間でバカウケのヒーロー。
 ゆけ!すすめ!街を焼く巨大怪獣をひっさつわざでやっつけろ!そして一般市民の迷惑なぞおかまいなしに!
                    (公式設定より。)

 というもので、主人公・電 一(でん はじめ)役は河崎監督自身が演じている。電エース役は最初、造型会社「ヴィ・ショップ」の山部拓也氏が演じていたが、1992年『実相寺昭雄のミステリーファイル』のオムニバスビデオの一話として『電エースに死す』が製作される時から私に電エース役がバトンタッチされ、現在まで延々と続いているのであった。
 
 ・・・では少し、年代に沿って「電エース・シリーズ」の思い出を掲載してみる。
                        

 『電エースに死す』が製作される時は91年の年末で、この時期私は原口智生氏が初監督を行う「ミカドロイド」の「ジンラ号」役で出演が控えていた直前で、あわただしかった。この作品のみシリーズ唯一シリアス物で・・・

[人気ヒーロー番組『電エース』の電 一役の俳優・北条高志はジャリ物番組なんぞはやめて、大人向けの一般ドラマのスターになりたいと焦っていた。ビルの屋上で電エースと敵怪人の対決シーンの時、準備不十分のまま撮影を強行させたため、電エースは転落、電エースのスーツアクターは死亡して、番組は打ち切りになる。
 その後北条は青春ドラマのスターになるが、電エースの幻影に悩まされるようになり、遂には電エースの幻影によってビルの屋上から転落死してしまう。
 心理カウンセラーの調べによると、北条高志の深層心理にある変身ヒーローを崇拝する心がもうひとつの人格となり、ジャリ物番組をバカにする北条の人格に電エースの幻影を見せて殺害してしまったと分析したのだった。]

 ・・・というサイコ作品だった。ところが撮影前日の夜、スーツを試着したら、スーツのゴムが劣化していてベトベトに溶けていて手足がくっついてしまい、無理に引き剥がそうとしたら表面がべりべりと剥れてしまい、その部分を黒のガムテープで補修し、黒い模様のモールドに見せかけるというアクシデントに見舞われての撮影となった。
 ゲスト出演の心理カウンセラー役の黒部進さんは、シリアスな役を演りながらけっこうオチャメなアドリブをする方なので楽しかった。黒部進さんとはこの作品の後、「ゴジラVSキングギドラ」「ゴジラVSモスラ」で続けて共演の機会に恵まれた。
 また、北条がタクシーを拾ったら、運転手が電エースの幻影だったというシーンでは、前もって段取りを付けておいたのではなく、道端でフツーにタクシーを止め、その場で交渉し、運転席に電エースの私を座らせてもらいカメラを回したという強行アドリブには驚いた、後で問題にならなかったのかな?(笑)
 1992年には関西テレビにて「常識を超えた男・電エース」30分番組として制作・放送され、追加シーンとしてこの時は「ミラクル電エース」と「快楽の父」の二役を演じた。と言っても電エース・スーツを赤く染めたり角を付けただけのモノだったが(笑)。
 相手の電エース・キラー役は、スーツアクターとしての先輩・石井儀一氏に演じてもらい、今回は真夏に遊泳禁止付近の海岸で、ちゃんとした撮影クルーも無く、主役の河崎監督自らがハンディカメラを回したりのお気楽撮影であった。
                  
 それから2000年、正月初っ端からの撮影となり、「怪獣墓場の決闘」という事で、河崎組の怪獣倉庫で今まで登場したキャラクターの着グルミが総登場、電エースとミラクルマンが戦うという作品が作られた。
 夏にはDVD『地球防衛少女イコちゃん~ロストフィルムズ~』に収録されるドラマが新撮される事となった。これはまず「前夜祭」からスタートさせる事となり、わざわざあの「ウルトラマン前夜祭」に出演したナンセンストリオの前田隣氏を司会者に招いて行われ、会場は発売元のポニーキャニオン本社で撮影してでっち上げた(笑)
 本編では、「きちく英一」を「鬼畜英一」と間違えるというひとネタだけに、元・帰ってきたウルトラマンのスーツアクターきちく英一氏を呼んで出演して頂いたという贅沢というかナンというかのモノで、毎回怪獣の下敷きにされる役の電エース兄弟の二男・電次郎を演じている、本業は漫画家の加藤礼次郎氏のビルの屋上で撮影されたが、この時のみきちく英一さんが殺陣師もやってくれて、怪獣の尻尾に巻きつかれるシーンでは、逆回転演出のアイデアを出してくれて、私は逆回転の演技をしたものだった。登場する怪獣は、登場するたび「地底怪獣・公害怪獣・宇宙恐竜」と肩書きは変わるがヌイグルミは同一のもので、毎回何の説明もなく現れ、何の説明もなく戦い、何の説明もなく倒されるのだった(笑)
                     
 ちなみにこの2000年という年は、私が生涯最もスーツアクターとしてフル稼働していた年で、先に述べたように正月初っ端「電エース」からの撮影に始まり、ゴールデン・ウィークには「東武ワールドスクウェアー」でゴジラショー「ゴジラ スーパーバトル」を行い、夏は東宝撮影所で唯一行われた撮影所内でのゴジラショー「夏休みゴジラツアー2000」を続け、秋にはゴジラキャンペーンの本格化により様々なイベントやテレビ番組出演をして、名古屋~大阪~東京を日帰りで移動、イベント会場やテレビ局を渡り歩き、ちょっとした売れっ子タレント並みの生活だった。同時進行でフジテレビ721で放送された、河崎実監督のサブ・カルチャー紹介ドラマ・バラエティ番組「リスペクト探Q大図鑑」で、ウンチク好きの妖怪・アサシン役とヒロインの兄役で出演していた。あ、この番組にもゴジラは出演し、私がゴジラとアサシンの二役演じたのだっけ。10月からはお台場の「アクアシティ」でのゴジライベントに出て年末まで毎週土日はアクアシティに通い、合間をぬってテレビ出演やイベント参加し、11月3日の「文化の日」イコール「ゴジラの日」には山口県宇部市へ川北監督と共に訪れ「ゴジラショー」を行い、そして映画公開日を迎えたのだった。
(続く)