破李拳竜・日記

ここでは私・破李拳竜が行ってきた仕事やお遊びとかの日記を、つらつらと載せてあります。

和製トレーニング・ウェアー

2006年07月17日 23時25分03秒 | Weblog
最近書籍で目に付く間違いがあるのだが、柔道や空手のトレーニング・ウェアーの事を「どうぎ」と呼ぶが、これを「胴着」と書いている場合が多い。得に格闘技専門誌やスポーツ用品メーカー、果ては武具店まででさえ平気で「胴着」と書いているのだから、その無知振りに呆れ果てる。・・・どうも私は小学生の頃柔道を始めて以来、こういった和製トレーニング・ウェアーに慣れ親しんできたので、こだわってしまうのだ。
 「胴着」とは主に江戸期までの日本人の肌着・下着の事を指すので柔道や空手のトレーニング・ウェアーの意味とはこれは明からかな間違い。柔道や空手がそれぞれ修行を「道」として「柔道」、「空手道」と呼ぶ事から、「柔道着」「空手道着」それを略して「道着」と呼ぶ、これが正しい。そう説明した通り「胴着」は昔の肌着・下着の事を指す言葉なので辞書にも載っている。対して「道着」は元々「稽古着」の事を「〇〇道着」と呼んでいた物の略語であり、比較的新しい言葉なので、パソコンでは文字変換出来ない場合もあるとと思うが。

 元々は日本古来の、武士が刀を持たない時の素手の格闘術「柔術」の「稽古着」が源流である。もっとも「柔術」の練習に特定のトレーニング・ウェアーがあったワケではなく、普段着や動き易いカッコウ、あるいは裸体で武者相撲を行った事が始りらしい。
 そして平和な江戸時代になると、それまで秘伝の格闘術であった「柔術」も、町道場が出来たりして、一般市民の習い事となりビジネス化してきて、各流派の様々なトレーニング・ウェアーも出来たのである。
  ポイントは、「柔術」は街中の危険など、ストリート・ファイトに対応する為の護身術としての役割も担っているので、人間は裸で暮らしているわけではなく衣服を着用して生活しているので、その練習用としてのトレーニング・ウェアーも普段着を模したものとなっている。だから「柔術」には襟・袖を掴んだ投げ技や絞め技等、着衣を利用した決め技が多く存在する。そしてそれは現在「柔術」を競技化した「柔道」にも受け継がれ、自分もしくは相手の着衣を利用して首を絞める事が許されているオリンピック競技は「柔道」だけだろう。(ちなみに古代レスリング式の気管を圧迫させるスリーパーでは、肺に空気が残っている間は相手の抵抗を許してしまうが、吉田秀彦選手が使用した事によって注目された「袖車絞め」などは自分の袖と手刀を使い、気管ではなく首動脈の血流を止め、脳を酸欠させて落とすので、わずか数秒で相手の戦闘力を封じる事が出来る。柔道経験者なら『落ちた』時の気分は良くお分かりだと思うが・笑)
                  
  ・・・実は私自身が何度も落とされた経験があるので。・・・小学生の頃、柔道をやっていたので、高校に入学して柔道部に入ったのだが、その頃では投げようとしたりでモタモタ縺れたらすぐ絞め技を掛けられてしまい、しかも気管を絞められて苦しいのであればまだ抵抗も出来るのだが、首動脈を止められ脳酸欠にされると、フワ~っと気が遠くなるだけで意識を失い、人間は気持ち良さには弱く、根性が通用しないのでまったくお手上げだった。ヒクソン・グレイシーがほとんどの相手を逃げられない「胴巻き裸絞め」によるチョーク・スリーパーで倒してきたのは、つくづく確実な方法で相手を仕留めてきたのだなと実感させられる。       

  時が下り明治期に入り、嘉納治五郎によって「柔術」は「柔道」に改良された。創始当時は肘、膝がむき出しの短袖・短パン姿の活動的なスタイルだったが、畳の上で寝技をスパーリングするので、肘、膝が擦れてしまうから袖・裾が延長され、やがて現在のようなスタイルとなった。
 そして一方「空手」だが、中国拳法の流れで特定のトレーニング・ウェアーは存在しなかった。現在では中国拳法の試合では華麗なカンフー競技服姿で演武されたりしているが、それも近代に入ってからの事である。空手着の源流とされている物のオフィシャルに記録に残っている物としては、1922年、嘉納治五郎がプロデュースし、松濤館流、近代空手の祖・船越義珍を招き講道館で演武してもらった時に、柔道着を着用して指導してもらったのがキッカケで、その柔道着を更に薄く動き易い生地を使用して、現在の空手着が完成した。
 まあ、空手は流派によって道着の形、得に袖の長さ等が違ったりしていて、空手の帯の巻き方も各流派によって差異があるので、私も全てを把握しているわけではないが、知りうる範囲で述べると、柔道の場合、寝技の時など帯を持つ場合が多いので、腹を締め付けないように、二重巻きを一つに結ぶが、空手はそういう事態が無いので、そこらへんは割りとフランク。そのかわり腰の後を一つ巻きに見えるように揃える。
 「ゴジラVSメカゴジラ」でGフォースの柔道と空手のトレーニング・シーンがあったが、あの時、私は「ベビーゴジラ」役でドラマの本編班にいたので、衣装スタイリストに道着の着付けを色々アドバイスしてたら「道着コーディネーター」にされちゃったなぁ(笑)懐かしいエピソードだ・・・。
 
      
 これらの物は共に単純に「稽古着」と呼ばれていたが、「柔道」「剣道」「空手道」と確立したので、現在それらをトータルに「道着」と呼ぶようになった。
 ・・・以上のウンチクを参考に、執筆関係者はどうか「胴着」と「道着」の違いを理解して頂きたい。

 ・・・ところで江戸時代、民衆の普段着である和服を模して「柔術」の稽古着が誕生したが、21世紀の現在の普段着である「背広」を模して、初代タイガーマスクの佐山聡氏が創始した“市街地型実戦武道”掣圏真陰流が「背広型・稽古着」を誕生させたが、最近普通の「道着」にマイナーチェンジしちゃったみたい、ちょっと残念。
  私は子供の頃より「道着」に慣れ親しみ愛着があるが、神聖視したり「絶対こうでなくてはいかんッ!」というコダワリはないので、やはりトレーニング・ウェアーであり着衣の一つだから、機能性に応じて変わっていくものだと思っている。だから佐山氏が掣圏道で「背広型・稽古着」を発明した時は、まさに「21世紀の道着」だ!と思っただけに、普通の「道着」にマイナーチェンジしたと知った時はれれれっ?と肩透かしを感じた(笑)でも、ブルース・リー・スピリッツを受け継ぐ佐山聡氏の格闘技理論は、さすが三十年は先を行ってるな!と思う。
                   

大和新発見?!

2006年07月15日 23時48分08秒 | Weblog
以前お知らせした通り、ウチの近所に超巨大「ジャスコ」が出来て大変便利になったのだが、この「ジャスコ」の中に「トイざラス」があるのだが、時流なのだろうがプラモデル・コーナーにはミリタリー物はめっきり減ってしまった。かろうじてタイガー戦車や空母エンタープライズ、戦艦ビスマルク、F-15戦闘機といった程度のものがわずかに残され「ガンプラ」の隅に追いやられ、隠れるように販売されていた。もはや若い世代にとっての「ミリタリー物」とは「ガンダム」の事になってしまった感があるなぁ・・・。
  私はガンプラにはハマらなかったが、大和繋がりの宇宙戦艦ヤマト・シリーズでは、あのシド・ミードがデザインした「YAMATO2505」のプラモまで買っちゃいました~(笑)
  昔は、大和・零戦・タイガーIとくれば、玩具売場の三種の神器だった。私はその玩具売場の三種の神器によって戦艦大和を刷り込まれたクチのガキで(笑)・・・しかしまあ、当時私は装飾の多い大和を初めとする、戦艦プラモは装飾が多く造りずらかったので、単純形状な潜水艦のプラモばかり造っていたが(笑)中学になり大和プラモを造るようになると、大和プラモを河に浮かべ、「坊ノ岬沖海戦の検証だ。」とかの名目で、片舷にいくつもの破孔を開けて傾け、転覆させた事がある(ヒドっ!)・・・今思えばもったいないコトやってたねェ・・・。

 去年の暮れ、映画「男たちの大和」が公開されたのを機に「戦艦大和」関連のプラモデルが多く売られるようになったもののすぐ下火になり、最近まで大和一隻で孤軍奮闘、ミリタリー・コーナーを死守していたが、遂に力尽きたかミリタリー・コーナーは消滅!こないだ行ったら「ビーダマン・コーナー」に代わっていた。あわわ・・・合掌。


 そうこう嘆いていたら、モノホンの大和のニュースが!!!ネットや新聞、TVのニュースで知った方も多いと思うが・・・

◎最後の出撃、直前の大和=対空防衛の機銃座、艦尾に-未公表の写真、米国で発見 (時事通信社 - 07月03日 20:10)

 おおっ、こんなに鮮明な戦艦大和の写真が!沖縄特攻出撃の5時間前に徳山(現周南市)沖で、米軍偵察機によって空撮された記録写真・・・しかし撮影したのは米軍機が約九千三百メートル上空から撮影したという説明だから、真上の頭上を飛ばれても大和自身対空用の三式弾で応戦した様子もなく、主砲も平時の構えのまま。まさにプラモデルよろしくのスタイルだから、防空の弱さが露呈した丸裸の出撃と揶揄されてもしかたがない。
 とはいえ実に貴重な写真である事には変わりない。説明では「攻撃時の火災を防ぐためガソリンなどの揮発油や可燃物を撤去する作業中」とあり、出撃前年一九四四年十月のレイテ沖海戦後に、艦尾部や左右の甲板上などに増設された三連装機銃十二基なども確認でき、出撃直前の装備が分かる貴重な資料という。
  米戦艦「アイオワ級」の写真と比較すると、46サンチ砲全砲門斉射の衝撃にも耐えられるように設計された、その横幅のデカさが良く分かる。
 それに坊ノ岬沖戦の戦闘中の写真では甲板が黒くなっているが、水飛沫を受け濡れて黒く見えると云われていたが、この写真ではレイテ沖海戦時に防火炭を撒いて黒く塗られていたという説を裏付けるものとなっている。

 ・・・と、思ってたら、Mixiの「戦艦大和コミュ二ティ」を観たらぬわんとカラー写真が!大和のカラー写真なんて世界初めての物だぞ!・・・でも、これは甲板の色は武蔵のように、黒塗装じゃないぞ、やはり木目を出したままだったのか?それともCGで補正された物なのだろうか?「軍版」ネット上では大和や武蔵のCGカラー着色補正写真が横行しているので、真実のカラー写真かどうかの判断が難しい。目下写真の詳細を調査中。


詳細・真意の程を「大和ミュージアム」の方々教えて下さい!

北のミサイル騒動

2006年07月12日 23時10分13秒 | Weblog
   今月5日 北がミサイルを発射した騒動で、日本の防空体制の顛末の情報収集中だが、落下海域をショボイ所にしたので、失敗したのかどうか分からないようにしたなという感じ。
            
 第一、テポドン2を発射したら、アメリカは将軍様のお家と動向を随時監視しているので、ピンポイントでヒット狙い撃ちするぞ!と言っていたはずじゃなかったのか? 失敗したテポドン2の最初の目標は、ハワイ沖だったようだから、アメリカもおちょくられ、このままじゃ益々ナメられて増長される。
 だが、今回のミサイル騒動で「どうせ北のミサイルは、日本へは落ちてこないから。」と安心、気を緩めなければ良いが・・・(私も北の科学力は、せいぜいあんなものだと思いたくなるが、油断は禁物、自衛隊に皆様に日本の空の守りを頑張ってもらいたい!)
  しかし北はもはやちゃんとした考えで行ったのではなく、もう、トチ狂ってやったんじゃないかな? だが北を擁護してきた中国もロシアも、そして韓国も、断りなしの独断でミサイル撃たれてさすがに困っただろうね。あんな北をかばって何のメリットがあるのだろうか?

  麻生外相は「先月、モスクワで開かれたG8外相会談での関心はイランに集まった。私が北朝鮮の拉致・核・ミサイルについて発言しても、反応が鈍かった。ところが突然テポドンが飛んできたから、(主要国の間に)“日本が言ったのはこのことだったんだな。結構えらいことになっていたんだ”ということを証明してもらった」と言い、今回のミサイル騒動に「感謝しなければ」と言っていた。
  この「感謝しなければ」という言葉は誤解を生みそうだが、気持ちは分かるね。日朝ピョンヤン宣言を破られたのに、相変わらずの甘い腰抜け処置に呆れ果てる。万景峰号の半年間だけの入港禁止なんぞという、相変わらずの甘い処置などではなく、もっと厳しい経済制裁処置をとらなくては舐められ続けるだろう。98年の、断りも無しに日本上空をミサイル飛ばした時点で領空侵犯をはじめ、大きな国際問題だったのだからもっと厳しい態度をとっても良かったはずだ。
  怖いのはやはりテポドン等長距離ミサイルで、成層圏上を飛んでいるミサイルは、イージス艦もペトリオットも撃ち落す事は不可能なので、大気圏再突入時点の狙い撃ちならイージス艦の性能ならやってやれない事もないが、やはりSM-3迎撃ミサイルを装備していない以上、命中精度は著しく落ち、撃ちもらす確立のほうが高い。イラクの実戦でスカッド・ミサイルを撃ち落してきた実績を持つペトリオットなら、スカッド・ミサイル技術の延長線上にあるテポドンに対抗出来るかも知れないが、やはりその命中精度は未知数だ。(防衛庁では『無理だ』と断言しているくらいだから。)命中したとしても、大気中で爆発させるので、放射能をバラ撒いてしまう。
  一番確実なのは懸案にも出されている、ミサイル発射寸前に叩く事だが、これでは自衛隊が他国を攻撃した事になり、法律的に無理だし・・・。軍事兵器はろくな電子装置も無く5、60年前の装備程度のレベルなのに、まったくやっかいなものはしっかり持っているという気分。
 ・・・しかし戦略的には北には自分達の軍隊は世界最強だ!と思い込んでいてもらわなくてはならない。己の非力さを自覚して細菌兵器などを使ったテロ攻撃戦術をされたら、日本はひとたまりもないからだ。((((;゜д゜)))ガクガクブルブル (((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
                     

夏がキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!

2006年07月04日 22時46分01秒 | Weblog
  いや~あ、06年も半年過ぎたかと思ったらもう7月、夏になってしまった。私はウルトラ族と同じく弱点は寒さに弱い事だが、逆に暑さには強い体質、夏は好きな季節だ。時流に乗れば「ウルトラQ」だって第5話は「ぺギラがキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!」ですな!(ナンのこっちゃ?)

 当然暑さに強い体質だからいまだに着グルミ演技の仕事が出来るワケなのだが、今にしては我ながらよくやったなあと思うのは、2000年のゴジラの仕事だ。
 この年はゴールデン・ウイークにワールド・スクウェアーでゴジラショー、夏は、東宝の歴史始って以来唯一の、撮影所内に観客を入れて特撮見学とゴジラショーを行った。そして秋から冬にかけて空前絶後の21匹ものゴジラが出現して「どこでもゴジラ」という全国ゴジラキャンペーンを行い、私は自分でゴジラを演じるだけでなく、他のゴジラの演技者のキャスティングも行い、毎日イベント会場やTV局を飛び回ったゴジラ漬けの1年間だった。
 得に真夏の撮影所内のゴジラショーは客の入りによっては1日に4回~6回も行い、その合間に「SF大会」に出席したり、TV局でゴジラキャンペーン出演したりして、撮影所内ゴジラショーが終了した直後の翌日には江ノ島でゴジラキャンペーン。
 この日外気温は36度でゴジラの着グルミを被り、チャールズ・バークリー選手とCMやったせいか、なぜかバスケのダンクシュートをやったり数十人ものお客と握手や記念写真を撮ったりと、結局延々45分もゴジラを被りっぱなしだったが、それでも脱水症状にも熱中症にもならなかったのだから、我ながらまったくどうにかしている体力だな!

 ・・・まあ、そんな経験で自信を高めたので、翌01年、川北監督が手掛けたイベント映像で、自分でデザインした悪の大魔王を演じたのだが(この「魔王」の着グルミはその後しっかりと改造され、『グランセイザー』第47話の「トロイアス」という怪獣に流用され出演した。)ゴジラより軽い着グルミで楽だったので、脱着のロスタイムもあるとスタッフに悪いだろうと思い、ほとんど被りっぱなしでいたら、もの凄く暑く汗がダラダラ出ているのになぜか悪寒がして鳥肌が立ち、ブルブル震えてきたのだ!ううっいかん!自立神経がイカレたのか?熱調節機能が故障して、このままでは体内熱温度上昇で熱エネルギー暴走!メルトダウンを起こしてしまうッ!!!と、思いましたよ・・・・。
                  
 それで着グルミから出て一服させてもらい、水分を十分に採って無事再開する事が出来た。
 
  ・・・まあ、何事も過信は良くないという教訓でしたな。ワールドスクウェアーや東宝撮影所ツアーのゴジラショーは、現在「GODZILLA FINAL BOX」の3:「ゴジラ秘蔵映像集」で観る事が出来る。
                                  (C)東宝