最近書籍で目に付く間違いがあるのだが、柔道や空手のトレーニング・ウェアーの事を「どうぎ」と呼ぶが、これを「胴着」と書いている場合が多い。得に格闘技専門誌やスポーツ用品メーカー、果ては武具店まででさえ平気で「胴着」と書いているのだから、その無知振りに呆れ果てる。・・・どうも私は小学生の頃柔道を始めて以来、こういった和製トレーニング・ウェアーに慣れ親しんできたので、こだわってしまうのだ。
「胴着」とは主に江戸期までの日本人の肌着・下着の事を指すので柔道や空手のトレーニング・ウェアーの意味とはこれは明からかな間違い。柔道や空手がそれぞれ修行を「道」として「柔道」、「空手道」と呼ぶ事から、「柔道着」「空手道着」それを略して「道着」と呼ぶ、これが正しい。そう説明した通り「胴着」は昔の肌着・下着の事を指す言葉なので辞書にも載っている。対して「道着」は元々「稽古着」の事を「〇〇道着」と呼んでいた物の略語であり、比較的新しい言葉なので、パソコンでは文字変換出来ない場合もあるとと思うが。
元々は日本古来の、武士が刀を持たない時の素手の格闘術「柔術」の「稽古着」が源流である。もっとも「柔術」の練習に特定のトレーニング・ウェアーがあったワケではなく、普段着や動き易いカッコウ、あるいは裸体で武者相撲を行った事が始りらしい。
そして平和な江戸時代になると、それまで秘伝の格闘術であった「柔術」も、町道場が出来たりして、一般市民の習い事となりビジネス化してきて、各流派の様々なトレーニング・ウェアーも出来たのである。
ポイントは、「柔術」は街中の危険など、ストリート・ファイトに対応する為の護身術としての役割も担っているので、人間は裸で暮らしているわけではなく衣服を着用して生活しているので、その練習用としてのトレーニング・ウェアーも普段着を模したものとなっている。だから「柔術」には襟・袖を掴んだ投げ技や絞め技等、着衣を利用した決め技が多く存在する。そしてそれは現在「柔術」を競技化した「柔道」にも受け継がれ、自分もしくは相手の着衣を利用して首を絞める事が許されているオリンピック競技は「柔道」だけだろう。(ちなみに古代レスリング式の気管を圧迫させるスリーパーでは、肺に空気が残っている間は相手の抵抗を許してしまうが、吉田秀彦選手が使用した事によって注目された「袖車絞め」などは自分の袖と手刀を使い、気管ではなく首動脈の血流を止め、脳を酸欠させて落とすので、わずか数秒で相手の戦闘力を封じる事が出来る。柔道経験者なら『落ちた』時の気分は良くお分かりだと思うが・笑)
・・・実は私自身が何度も落とされた経験があるので。・・・小学生の頃、柔道をやっていたので、高校に入学して柔道部に入ったのだが、その頃では投げようとしたりでモタモタ縺れたらすぐ絞め技を掛けられてしまい、しかも気管を絞められて苦しいのであればまだ抵抗も出来るのだが、首動脈を止められ脳酸欠にされると、フワ~っと気が遠くなるだけで意識を失い、人間は気持ち良さには弱く、根性が通用しないのでまったくお手上げだった。ヒクソン・グレイシーがほとんどの相手を逃げられない「胴巻き裸絞め」によるチョーク・スリーパーで倒してきたのは、つくづく確実な方法で相手を仕留めてきたのだなと実感させられる。
時が下り明治期に入り、嘉納治五郎によって「柔術」は「柔道」に改良された。創始当時は肘、膝がむき出しの短袖・短パン姿の活動的なスタイルだったが、畳の上で寝技をスパーリングするので、肘、膝が擦れてしまうから袖・裾が延長され、やがて現在のようなスタイルとなった。
そして一方「空手」だが、中国拳法の流れで特定のトレーニング・ウェアーは存在しなかった。現在では中国拳法の試合では華麗なカンフー競技服姿で演武されたりしているが、それも近代に入ってからの事である。空手着の源流とされている物のオフィシャルに記録に残っている物としては、1922年、嘉納治五郎がプロデュースし、松濤館流、近代空手の祖・船越義珍を招き講道館で演武してもらった時に、柔道着を着用して指導してもらったのがキッカケで、その柔道着を更に薄く動き易い生地を使用して、現在の空手着が完成した。
まあ、空手は流派によって道着の形、得に袖の長さ等が違ったりしていて、空手の帯の巻き方も各流派によって差異があるので、私も全てを把握しているわけではないが、知りうる範囲で述べると、柔道の場合、寝技の時など帯を持つ場合が多いので、腹を締め付けないように、二重巻きを一つに結ぶが、空手はそういう事態が無いので、そこらへんは割りとフランク。そのかわり腰の後を一つ巻きに見えるように揃える。
「ゴジラVSメカゴジラ」でGフォースの柔道と空手のトレーニング・シーンがあったが、あの時、私は「ベビーゴジラ」役でドラマの本編班にいたので、衣装スタイリストに道着の着付けを色々アドバイスしてたら「道着コーディネーター」にされちゃったなぁ(笑)懐かしいエピソードだ・・・。
これらの物は共に単純に「稽古着」と呼ばれていたが、「柔道」「剣道」「空手道」と確立したので、現在それらをトータルに「道着」と呼ぶようになった。
・・・以上のウンチクを参考に、執筆関係者はどうか「胴着」と「道着」の違いを理解して頂きたい。
・・・ところで江戸時代、民衆の普段着である和服を模して「柔術」の稽古着が誕生したが、21世紀の現在の普段着である「背広」を模して、初代タイガーマスクの佐山聡氏が創始した“市街地型実戦武道”掣圏真陰流が「背広型・稽古着」を誕生させたが、最近普通の「道着」にマイナーチェンジしちゃったみたい、ちょっと残念。
私は子供の頃より「道着」に慣れ親しみ愛着があるが、神聖視したり「絶対こうでなくてはいかんッ!」というコダワリはないので、やはりトレーニング・ウェアーであり着衣の一つだから、機能性に応じて変わっていくものだと思っている。だから佐山氏が掣圏道で「背広型・稽古着」を発明した時は、まさに「21世紀の道着」だ!と思っただけに、普通の「道着」にマイナーチェンジしたと知った時はれれれっ?と肩透かしを感じた(笑)でも、ブルース・リー・スピリッツを受け継ぐ佐山聡氏の格闘技理論は、さすが三十年は先を行ってるな!と思う。
「胴着」とは主に江戸期までの日本人の肌着・下着の事を指すので柔道や空手のトレーニング・ウェアーの意味とはこれは明からかな間違い。柔道や空手がそれぞれ修行を「道」として「柔道」、「空手道」と呼ぶ事から、「柔道着」「空手道着」それを略して「道着」と呼ぶ、これが正しい。そう説明した通り「胴着」は昔の肌着・下着の事を指す言葉なので辞書にも載っている。対して「道着」は元々「稽古着」の事を「〇〇道着」と呼んでいた物の略語であり、比較的新しい言葉なので、パソコンでは文字変換出来ない場合もあるとと思うが。
元々は日本古来の、武士が刀を持たない時の素手の格闘術「柔術」の「稽古着」が源流である。もっとも「柔術」の練習に特定のトレーニング・ウェアーがあったワケではなく、普段着や動き易いカッコウ、あるいは裸体で武者相撲を行った事が始りらしい。
そして平和な江戸時代になると、それまで秘伝の格闘術であった「柔術」も、町道場が出来たりして、一般市民の習い事となりビジネス化してきて、各流派の様々なトレーニング・ウェアーも出来たのである。
ポイントは、「柔術」は街中の危険など、ストリート・ファイトに対応する為の護身術としての役割も担っているので、人間は裸で暮らしているわけではなく衣服を着用して生活しているので、その練習用としてのトレーニング・ウェアーも普段着を模したものとなっている。だから「柔術」には襟・袖を掴んだ投げ技や絞め技等、着衣を利用した決め技が多く存在する。そしてそれは現在「柔術」を競技化した「柔道」にも受け継がれ、自分もしくは相手の着衣を利用して首を絞める事が許されているオリンピック競技は「柔道」だけだろう。(ちなみに古代レスリング式の気管を圧迫させるスリーパーでは、肺に空気が残っている間は相手の抵抗を許してしまうが、吉田秀彦選手が使用した事によって注目された「袖車絞め」などは自分の袖と手刀を使い、気管ではなく首動脈の血流を止め、脳を酸欠させて落とすので、わずか数秒で相手の戦闘力を封じる事が出来る。柔道経験者なら『落ちた』時の気分は良くお分かりだと思うが・笑)
・・・実は私自身が何度も落とされた経験があるので。・・・小学生の頃、柔道をやっていたので、高校に入学して柔道部に入ったのだが、その頃では投げようとしたりでモタモタ縺れたらすぐ絞め技を掛けられてしまい、しかも気管を絞められて苦しいのであればまだ抵抗も出来るのだが、首動脈を止められ脳酸欠にされると、フワ~っと気が遠くなるだけで意識を失い、人間は気持ち良さには弱く、根性が通用しないのでまったくお手上げだった。ヒクソン・グレイシーがほとんどの相手を逃げられない「胴巻き裸絞め」によるチョーク・スリーパーで倒してきたのは、つくづく確実な方法で相手を仕留めてきたのだなと実感させられる。
時が下り明治期に入り、嘉納治五郎によって「柔術」は「柔道」に改良された。創始当時は肘、膝がむき出しの短袖・短パン姿の活動的なスタイルだったが、畳の上で寝技をスパーリングするので、肘、膝が擦れてしまうから袖・裾が延長され、やがて現在のようなスタイルとなった。
そして一方「空手」だが、中国拳法の流れで特定のトレーニング・ウェアーは存在しなかった。現在では中国拳法の試合では華麗なカンフー競技服姿で演武されたりしているが、それも近代に入ってからの事である。空手着の源流とされている物のオフィシャルに記録に残っている物としては、1922年、嘉納治五郎がプロデュースし、松濤館流、近代空手の祖・船越義珍を招き講道館で演武してもらった時に、柔道着を着用して指導してもらったのがキッカケで、その柔道着を更に薄く動き易い生地を使用して、現在の空手着が完成した。
まあ、空手は流派によって道着の形、得に袖の長さ等が違ったりしていて、空手の帯の巻き方も各流派によって差異があるので、私も全てを把握しているわけではないが、知りうる範囲で述べると、柔道の場合、寝技の時など帯を持つ場合が多いので、腹を締め付けないように、二重巻きを一つに結ぶが、空手はそういう事態が無いので、そこらへんは割りとフランク。そのかわり腰の後を一つ巻きに見えるように揃える。
「ゴジラVSメカゴジラ」でGフォースの柔道と空手のトレーニング・シーンがあったが、あの時、私は「ベビーゴジラ」役でドラマの本編班にいたので、衣装スタイリストに道着の着付けを色々アドバイスしてたら「道着コーディネーター」にされちゃったなぁ(笑)懐かしいエピソードだ・・・。
これらの物は共に単純に「稽古着」と呼ばれていたが、「柔道」「剣道」「空手道」と確立したので、現在それらをトータルに「道着」と呼ぶようになった。
・・・以上のウンチクを参考に、執筆関係者はどうか「胴着」と「道着」の違いを理解して頂きたい。
・・・ところで江戸時代、民衆の普段着である和服を模して「柔術」の稽古着が誕生したが、21世紀の現在の普段着である「背広」を模して、初代タイガーマスクの佐山聡氏が創始した“市街地型実戦武道”掣圏真陰流が「背広型・稽古着」を誕生させたが、最近普通の「道着」にマイナーチェンジしちゃったみたい、ちょっと残念。
私は子供の頃より「道着」に慣れ親しみ愛着があるが、神聖視したり「絶対こうでなくてはいかんッ!」というコダワリはないので、やはりトレーニング・ウェアーであり着衣の一つだから、機能性に応じて変わっていくものだと思っている。だから佐山氏が掣圏道で「背広型・稽古着」を発明した時は、まさに「21世紀の道着」だ!と思っただけに、普通の「道着」にマイナーチェンジしたと知った時はれれれっ?と肩透かしを感じた(笑)でも、ブルース・リー・スピリッツを受け継ぐ佐山聡氏の格闘技理論は、さすが三十年は先を行ってるな!と思う。