破李拳竜・日記

ここでは私・破李拳竜が行ってきた仕事やお遊びとかの日記を、つらつらと載せてあります。

ウルトラダイナマイト!

2006年10月28日 23時02分13秒 | Weblog
 先週と本日の「ウルトラマンメビウス」にウルトラマンタロウが助っ人にやって来て、しかも登場した時に複数のカットを繫げたきりもみジャンプ、エメリューム光線と、昔の「ウルトラマンタロウ」をリスペクトした演出がなされ、懐かしファンを喜ばせて頂いているが、演出した特技監督:鈴木健二氏は、別にウルトラマンタロウとか思い入れある人じゃないんだけど、きっと周りのスタッフから色々ああしろこうしろコダワリを言われたんじゃないかな(笑)そして、そればかりでなく、遂にあの、文字通りの必殺技「ウルトラダイナマイト」までがが観られとは!!!

「ウルトラダイナマイト」とは?2ちゃんの説明によると・・・

1、全身を燃やす。
2、敵に抱きつく。
3、自爆する!
4、生き返る。

 ・・・というムチャな!・・・つーか、恐るべき必殺技である!昔やった時は、爆発の瞬間タロウの破片や残骸が飛び散るサマが凄まじい!まさしく兵隊やくざな技で、体にガソリンぶっかけ火ダルマになりながら敵を道ずれにする自爆テロそのものだから!!!
   ・・・う~ん、この技、1番~3番までなら、爆弾を持てば誰でも出来るが、4番は中々難しい・・・2ちゃんの人々のあいだからは、「やった!俺にもできたよ。」の声があがっているが・・・って、そんなの無理じゃん!こんなのアリかよ?と、当時観て思ったが、相手の怪獣も、「ガオー!」と鳴くのではなく、「酒もってこ~い!」と吼えて、酒を入れたヒョウタンをかかえたヨッパライ怪獣・ベロンなんてのも登場し、そのベロンに対するタロウの武器は何か?というと、バケツを出して水をぶっかけ酔いをさますという戦法なのだからもう、なんでもアリだよね!と納得(笑)人間とバレーボールやっちゃう怪獣だっている世界観なんだから!
  しかし自爆技(?)というと、大森監督か川北監督かのどちらかが考えた設定かは忘れたけど、平成ゴジラでも口からの熱線以外の光線技で「全身発光」という新技を使っていて、熱線を逆流させ、体内放射して爆発!その衝撃波で敵怪獣を吹き飛ばすというものだから、これもウルトラダイナマイト同様の、自爆系必殺技なんじゃないかな?
また、タロウの声は、タロウの成長ドラマを描いた映画「ウルトラマン物語(ストーリー)」の時に順じ、石丸博也氏がアテ、また同様に順じてウルトラの母の声は池田昌子氏となっている。ちなみに「ウルトラマン物語」で子供の頃の子タロウに声をアテていたのは野沢雅子氏で、意図的にかメーテルと鉄郎という組み合わせで、「銀河鉄道999」コンビのキャスティングだ。それ以前に円谷プロは、「ザ・ウルトラマン」でも、主人公・光超一郎を富山敬氏、ウルトラマンジョー二アスを伊武雅刀氏という、古代進とデスラーという、「宇宙戦艦ヤマト」コンビもキャスティングしていたので、松本零士つながりを意識したのだろうか?

  ・・・しかし歴代のウルトラシリーズと繋がっているという設定は、今回がほぼ初めてなんじゃないかな?「ウルトラマン」には前作「ウルトラQ」の怪獣が登場して関連性はあるようで、「ウルトラマンA」ではウルトラ五兄弟や復活怪獣が登場しているのでシリーズつながりはあるのだろうが、あまり明確ではない。「ウルトラマンレオ」にはモロボシ・ダンが隊長に昇格して登場し、長官からも「モロボシ君、きみの昔の働きは・・・云々」と言われたりしているので、「ウルトラセブン」との確実な関連性がある作品だと言えるな。
  でも、これらウルトラシリーズは、けっこう時代設定は違うんだけどね。「ウルトラマン」は1992年(ジャミラの墓標の生没年号からの判断)、「ウルトラセブン」は現在の21世紀、逆に「帰ってきたウルトラマン」は放送当時である1971年(『怪獣使いと少年』で明らかに。)これら時代設定の違いは「ウルトラマンメビウス」では上手くまとめられているのかな?
       また、 「ウルトラマンメビウス」はたしかに主人公が特別チームの一員のパターンではあるが、セブンや80みたいに最終回ではなく、番組途中で隊員全員に正体バレしたウルトラマンって初めてですな!、これは新機軸だと思うぞ!。 河崎監督の「イコちゃん」シリーズのミラクルマンみたいに、怪獣が出ると「ホレ、メビウス、おまえの出番だぞ!」という扱いになってしまうのでしょうか(笑)

「女優・林由美香」と「愛欲の宇宙戦争」

2006年10月18日 23時45分06秒 | Weblog
 05年に亡くなられた女優・林由美香さんの本「女優・林由美香」(洋泉社・刊)が発売された。私は彼女の晩年に主演された「愛欲の宇宙戦争」という映画でご一緒に仕事をしたのだが、今でもよく思い出される。
  「愛欲の宇宙戦争」この作品は、前回にも書いたように、仕事仲間で友人の白石雅彦氏の監督デビュー作で(正しくは、本人曰く『私、VPとか教育ビデオとかいっぱい撮っているんで、厳密な意味での監督デビュー作じゃないのよ。』だそうだ。)林由美香さんが主演されたのもだ。ロケーションに岩山が必要だとの事で、白石氏は「御殿場あたりでロケするか。」と話していたので、私が「御殿場まで行かなくても、近場でウチの『岩舟山』なんかどうだい?」と推薦したところ、そのまま現地コーディネーターをまかされる事となり、岩舟山をはじめ、我が家の周りで白石氏が要求するイメージに合う現場をいくつかピックアップ。林や畑を紹介、また、洞窟も必要だというので、隣りの「足利市」にあるもよりの洞窟をネットでピックアップして現場へ案内。
                        
   天気にも恵まれ、撮影が開始されると、ヘアメイクや衣装代えの時など、私の家を控え室及び休憩所として使用。明治時代が舞台の作品なので、子爵令嬢役の由美香さんは美しく明治浪漫が溢れていた。思わず私も姿三四郎のコスプレで参加したくなった(笑)
                         

  また、私は車両係りも担当。女優でもある吉行由実監督がプロデューサーを担当されていたので、彼女を乗せてロケ弁当や現場で必要な物の買出しなど行ったが、ちょっとしたドライブ・デート気分だったな(笑)
                           
 それで岩舟山の食事の時など、ピクニックのようだった。・・・しかし、山林の洞窟前で食事した時は、食後余り物その他をゴミ袋に入れていたら、カラスの奴らに食い散らかされ、ズタズタにされてしまった。ヤツら犬並みの知能があるそうで、ゴマカシが効かない。そこで火をおこしてゴミは全部燃やしていたら、山火事と思われて山林パトロールの係員がやって来てしまった。あわてて映画の撮影だと説明すると、火の後始末はしっかりとやって下さいね!と注意を受ける。それで燃やした灰は穴を掘り、すべて埋める事となったのだった。
  また、先頃のサバイバル・フーズのCM「日本沈没」編で玲子を演じてくれた里見瑶子さんが、朴訥な村娘を好演。林の中を逃げ回るシーンは、黒澤明作品「羅生門」のワンシーンのようで良い感じだった。洞窟での撮影の時は天候が急変し、雨となったが、かえって雰囲気が良いのでそのまま撮影続行、里見瑶子さんの心境が変化していく良い演出となった。でも、彼女が最期に首の骨を折られて死ぬシーンで、私が柔術の絞め技を披露したら、マジでビビっていたな(汗)
  最期、空飛ぶ円盤の殺人光線!によって由美香さんの体は蒸発し、片手だけが残るというシチュエーションだが、「これ、それっぽく作っといて。」と白石監督から手の造型物を渡され、手首部分から前腕部までを袖付け、焼けた痕を作るが、ライターで少し燃え痕を作ると、思ったより燃え過ぎ、袖が短くなってしまう。上手くいかないので四苦八苦していると、撮影がストップしている。聞けば私が作ってる手首待ちだって?う~ん、そもそも私は造型屋じゃないんだけどなァ(笑)
   ・・・しかし由美香さんの美しい裸体が披露された岩舟山の湖も、今や産廃業者の投棄によって、岩場の平地の部分が埋められてしまい、もう無くなってしまった。凶珍アンコウが出現したり、「百獣戦隊ガオレンジャー 」や「魔法戦隊マジレンジャー」で「聖なる泉」として登場したあの水溜まりは埋められてしまった~(涙)

                            
  林由美香さん、彼女の上品さ・気品には、私は元よりオフクロもお気に入りだったな。 こんな楽しい思い出を残してくれた由美香さんにお礼を言いたい。

   この撮影が行われたのが04年のゴールデン・ウイーク。・・・そしてまさか、わずか一年後に彼女の訃報を聞く事になろうとは・・・。
                
   改めて林由美香さんの御冥福をお祈り致します。

草君の「日本沈没」の小野寺役を演じた?

2006年10月15日 03時05分51秒 | Weblog
以前告知したように、14日NHK-BSの、インディーズ映像作品に焦点を当てた番組デジタル・スタジアム「デジスタ」で、「Pマン ゴールドラッシュ」が上映され、我々も出演して放送された。
  作品の評価は上々、1位を狙えるかな?と期待されたが、惜しくもベストセレクションは逃してしまった。次またエントリーされる事を望む。放送された作品内容もかなりダイジェスト版に短縮されてしまったが、Pマン・プロデューサーの山口A次郎君が「ゴールドラッシュ」をレギュラーシリーズ用の5分バージョンも作ろうと言っていたので、NHK側は13分の作品を5分どころか3分に縮めて編集したのだから、良い見本が出来たんじゃないかな?


  そしてまた、先日ネット配信されるCMの撮影に行って来た。監督はマイミク仲間でもある白石雅彦君。彼は平成ゴジラシリーズで操演スタッフだったので、長い付き合いで気心も知れている。
 で、サバイバル・フーズのCMなので、非常時における備蓄用食料がテーマなので、映画「日本沈没」をパクった(笑)・・・いや、「日本沈没」にあやかった?CMになるとの事。私に主人公・小野寺俊夫役を演じてくれとのオファーであった。「日本沈没」の小野寺役というと、SMAPの草剛の役を演じてくれとの事なのだな?と訊ねたら、「オリジナルの藤岡弘さんの役で、濃く演ってくれ!」との事、やはりそう、思い入れは昔の「日本沈没」か。シナリオもオリジナルの映画版とTVシリーズをミックスしたような内容だ、つーか、この内容まんまパロディで、これってギャグじゃん!

  で、実は撮影は、もっと早く行われるはずだったが、台風の影響で2度流れて3度目の正直となった。おかげで晴天に恵まれる事となった。車両の数が少ないので、車で現場へ来てくれというので家から向かうが、東京の朝は混み合うというので朝早く出発した。東北道はスイスイと進めたが、何と!都内に入ると、朝5時半頃からもう道路は混み合い、6時の時点でギュウギュウ詰め状態!!イヤ~ァ参った参った・・・。
  で、やっと辿りついた現場、まずは横須賀の街中・繁華街でのゲリラ撮影。オリジナル「日本沈没」で、藤岡弘さん演じる小野寺が、日本が沈没する事を知りながらも、まだ公表出来ぬ事に苦悩し、酔っ払いながら街中を「みんな日本から逃げろ!逃げるんだ!」とさまようシーンをインスパイアしたシーンを撮るが、カメラは隠し撮りなので、私だけ街中でヨッパラいフラフラ歩いているので、道行く人達からすっかりヘンな人に見られてしまった(汗) 。そこで玲子役の里見瑶子さんと出会うカット。彼女とは、2年前、白石氏の監督デビュー作で、亡くなられた女優・林由美香さんが主演の「愛欲の宇宙戦争」で一緒に仕事をして以来だ。

  それから現場移動して、海岸での撮影。崖や洞窟もあって、「仮面ライダー」の撮影もやっていたような場所だ。謎の洞窟まであって、まるでショッカーひみつ基地みたいだ。水着になるが、本日はとても暖かく、海風に晒されてもまったく寒くなくて良かった。
   サバイバル・フーズのクライアントさんとも合流、商品説明のシーンをテレフォン・ショッピングみたいに紹介。ドラマ部分では、なぜか小野寺が玲子に蹴られると、まるでチタノザウルスに蹴られたゴジラが、横須賀市内から山中のほうまでふっ飛ばされたように、崖ッぷちに引っ掛かりクリフハンガー状態になるというワケの分からんシチュエーションとなるが、命綱とか何も無しで、自力で崖にしがみつけというのだからムチャな話である(笑)
  ・・・まあ、それでも救われたのは、里見瑶子さんとラブシーンがあった事かな。でも、浜辺で抱き合い、横になって抱擁しながら転がるシーンは、「ラブシーンに見えない、どうしても格闘技になってしまう。あれじゃ柔術の寝技だ!サイドポジションからマウントを奪うために移行している動きだ!」だって。トホホ・・・こんなんだから、オレは女に逃げられるのでしょうか・・・?(泣!)

  そんなこんなで撮影無事終了。ネット配信は来月予定。詳しく決まりましたらお知らせ致します。

秋山成勲「HERO'S 」優勝オメデトウ!

2006年10月13日 03時03分06秒 | Weblog
秋山成勲HERO'S 優勝オメデトウ! 秋山は、柔道家時代から、その豪快な投げ技・払い腰で一本勝ち、次々に相手を連覇していたのでお気に入りの好きな選手なので、大変嬉しい!その秋山がプロ化総合の試合に参戦するというので、今の柔道ルールでは投げれば一本になるが、 総合の試合では投げてもポイントくらいにしかならず、極めかKOダウンでしか決着がつかないので、どうだろう?と思っていたが、強力な打撃まで使える見事なトータルファイターになり、わずか1年半で優勝したのだから、本当にそのポテンシャルは高い!!!

 金子賢VS 所英男、ルックスだけ見ると、所のほうが甘いマスクなので役者に見える。金子賢は俳優だから試合を組んでもらえたワケで、やはり前田兄さんの言う通り、アマチュアの大会に出て、試合経験を積んで実績を残してから「HERO'S」出場のほうが良い。だがしかし、番組的には金子賢の試合が最高の視聴率だったそうだから、多分次回も出場させるだろうな。今度はドン・フライなどの殴り屋とカードを組ませてもらって、本当に顔面ボコボコにされて、男塾を叩き込んでもらったほうがいいんじゃないかな?
   ・・・しかしつくづく総合の試合でもすっかり主力は打撃になったな。ガチガチのグラップラーである宇野薫まで打撃戦がメインになってたから。テイクダウンされない組み方や、寝技からの打撃も、グレイシーのように関節技や絞め技へ移行するための補助的なものではなく、そのまま倒しにいける強力なパウンド技術に変っている。明らかにストライカーなミルコ・クロコップが総合に参戦以来、総合の試合の流れは変わったと断言出来る。
   寝技を仕掛けられても強力な打撃が出せる戦法をいち早く確立した、シュートボクセ・スタイルが主流になったので、グレイシー戦術のままではキビしい時代になったのだろう。
   宇野薫はディフェンスが上手いが、それだけにどうしても受身のスタイルになってしまい、判定になると攻撃数の多い選手のほうが有利になってしまうので、宇野にとっては不利なルールなのだろう。もちろん、宇野自身それを分かっているので、スタンドの時では積極的に打撃を出していたが、寝技になった時の駆け引きだと、相手の攻撃からミスを誘い出す戦術になるので、やはりどうしても受身のスタイルになってしまう。
   それだけに「HERO'S」ルールでは、攻撃的な秋山に向いていると思う。
   その秋山成勲,見事な一本勝ちでの優勝を祝いたい。彼は総合でのポテンシャルが高いので、もっと強くなると思う。でもマヌーフは、元々投げ技が得意で、柔道時代あんなに簡単に投げられた事がなかった秋山を、三度も強引な力技で投げたのだから、凄いパワーだった!対マヌーフ戦の時に柔道着を秋山が着たのは、一見すると、衣服を着た者と裸体の者が戦う場合、つかみどころがない裸体のほうが有利に思えるが、古流柔術から引き継いだ柔道技は、着衣を利用した無数の絞め技があるので、衣服を武器に出来るという利点がある。もっとも長期戦になると、道着が汗を吸って重くなり、発汗による熱降下率が低くなり、スタミナ・ロスになるというデメリットもあるが。
  秋山は、日本で在日韓国人として育ち柔道家として活躍、故郷韓国・釜山に渡り、市役所に勤務しながら柔道を続ける。2000年には韓国代表として、韓国国際大会に優勝するものの、一部の大学の出身者へ試合判定有利に働きかける派閥という大きな壁に当たり、やむなく日本へ戻る。祖国・韓国への愛国心の強い母親も、息子が柔道をするために日本国籍を得て帰化する事を容認。だがそれが「反日」に燃える韓国国民のむきだし批判「なぜ韓国を捨て、日本人なんかになったんだ?」と、裏切り者扱いのバッシングを受ける羽目となってしまい、韓国マスコミがまるで犯罪者に対するかのような剣幕と態度で秋山につめよった姿はあまりにも醜く、私は激しい怒りをおぼえたものだ。
  そんな逆境をハネ返しての優勝を掴んだ「反骨の柔道家」の更なる成長が楽しみだ。秋山のお母さんは、日本語を使う事にも抵抗があった程、祖国・韓国にこだわった方だが、それだけに息子の優勝によって、一緒に日本国歌斉唱の時、日の丸国旗を見つめていた姿に感動した。差別と逆境を跳ねのけ、優勝を果たして「柔道最高!」を叫び続ける秋山に心からエールを送る!。

  しかしヒクソンの弟子であるヤヒーラがあっさりタップしたのには拍子抜けしました~!。

米澤嘉博さんの葬儀・告別式

2006年10月09日 01時30分04秒 | Weblog
  米澤嘉博さんの葬儀・告別式へ行き、最期の別れをしてきた。通夜にも私は行きたかったのだが、豪雨のため電車事情で断念し、告別式に参列となった。それで前日の台風の影響による激しい豪雨から一転し、今日は台風一過の晴天。場所もオシャレな麻布十番にある麻布山善福寺なので、街中の雰囲気もスタイリッシュだ。
 式場には開田裕治さん、開田あやさん夫婦やコミケ常連客の知人も来られていた。そしてバックには故人がコミックマーケット代表らしく、「リボンの騎士」などヨネさん世代のアニメの音楽が流されていた。
  ・・・しかし飾られた遺影を見ると、嫌でもヨネさんが死んだという事実を突きつけられる。。「死は誰にもおとずれる。」という、あたりまえの自然の摂理と分かっていても、やはり辛いものがある。
  喪主のベルさんこと奥方・米澤英子さんが気丈にも挨拶、そして私にも懐かしいコミケの昔話をしてくれた。・・・思えばコミケを既成に無い表現の場として、極力何でも受け入れようという精神を主張したのは米澤さんで、私が勝手にヒーローショーみたいな事をやり始めたら、当然、準備会としては迷惑な話なのに、「面白いからいいじゃん!」と容認して「破李拳竜ショー」としてコミケ・イベントの一つにしてくれて、本来客に対しての整理等も我々が行う責任があるところ、わざわざ準備会スタッフが協力してくれたり、私が監督した作品「印刷せよ!共信マン」は「コミケット・スペシャル」とのコラボ企画でもあったので、快く出演してくれたり、「SF大会」の時、かつてコミケで同人誌としてヒットを飛ばした「人形姫」を「今度、商業誌として出そうと思うんですよ。」と言ったらひっくり返っていたけど、「人形姫ミレニアム」として発売された時は、ちゃんと一文を寄せてくれたりと、受けた恩は大きい。
  出棺の時も米澤さん50歳誕生日の時の祝い唄、「マツケンサンバ」の替え歌「ヨネさんサンバ」で送り出したのもコミックマーケット代表らしい。これは良いほうに解釈すれば、誤解をまねくかも知れないが「ヨネさんサンバ」で送り出し、「明るく楽しい葬式」を行えたと思う。集まった大勢の弔問者から拍手で送り出された。
  そしてまた、これら葬儀の手伝いをコミケット準備会スタッフが行ったので、警備士も要らず、さすが大勢の人間を手際よくサバく様は見事!式場側からも、「大勢の人間が来たのに、こんなに手際良い葬式は初めてだ。」と言われていた。送り出してからスタッフは「ヨネやんの個人行事は終わったけど、反省会が残ってるからね。」と、いつものコミケでやってる会話で和ましていた。
  やはり世界に広まったオタク文化の立役者の一人であるから、彼の死を惜しむ声明が、世界中から送られて来ているそうだ。それだけ偉大な人だった。
  
  今までも、分裂騒動や、様々な危機を乗り越えてきたコミケだ、米澤さん亡き後も、奥様のベルさんこと米澤英子さんを励まし、古参の安田かほる さん達が米澤さんの意志を継いで、これからのコミケを頑張って運営していって、頑張ってもらいたいと願う。

  告別式が終わってから自分の目元が湿っているのに気がついた。この俺が涙でも流したのか?これで個人的にも米澤さんとの26年間の交流を、無事完結させる事が出来た。

    「さようならヨネさん。」

米沢嘉博さん訃報

2006年10月01日 23時37分22秒 | Weblog
    なんという事でしょうか、とても信じられません。マンガ評論家・コミックマーケット代表であった米沢嘉博さんが亡くなられました。
  私にとっては大変恩義のある方で、出会いは1980年の冬コミケからですが、翌年春コミケの時、共信印刷の社長が自主映画撮影で、私の主演ドラマをコミケとタイアップで撮影したのですが、とあるサークルに迷惑をかけてしまい、その時米沢さんに大変お世話になり、筆舌に尽くせぬ恩義を受けたのです。
   それから事あるごとに、雑誌やCD-R等こちらの企画に協力してもらったり、イベントで会ったりとかで長い付き合いをさせて頂きました。米沢さんは、誰に対してもきさくで穏やかな接っしかたをされていました。彼の人徳です。温厚で、いつもにこやかな米沢さんでしたが、漫画の話になると眼つきが変わり、真剣な眼差しで熱く語っていたのを思い出します。
  昔の漫画で私の記憶だけにあった作品を、米沢さんに確認して聞いておきたい物が山ほどありましたが、もう永遠に無理な話となってしまいました。
そして思うに、私がコミケで色々バカをやっていた二十年前を振り返ると、米沢さんに甘えてばかりだった、もっとちゃんと恩返ししなけりゃダメだ!と反省、後悔する事ばかりです。
   UPした写真は10年前、コミケ30周年記念の「コミケット・スペシャル」の前夜祭の時、身内達のカラオケ大会で米沢氏とデュエットした時の思い出のものです。アニメブームの火付け役として記念碑的作品「宇宙戦艦ヤマト」を歌い上げました。

  ・・・病気の事はまったく知らなかったので、突然の事で驚いています。とてもショックです、そして未だに信じられない気持ちです。私は今年の夏コミで見かけたのが最期となりました。いつものように居るな・・・と思っただけでしたが、後で知りましたが、病院から主治医同伴で来ていたそうで・・・そんな無理した状態だったとは、夢にも思いませんでした。
  本当にまだまだ頑張る方だと思っていましたし、お互いに「コミケット150か200の頃は、モウロクしながら漫画や怪獣の事を語り合うボケ老人になってるだろう。」と話し合っていたのですが・・・それに職業柄、私のほうが寿命を縮めているはずですから、彼は私より長生きするものだと思っていました。本当に残念です、とても悲しいです。我々に色々な表現の場を与えて頂き、今や世界に広まった「オタク文化」の貢献者として評価されるでしょう。

  本当に突然の事で、まだまだ信じられません。心底より御冥福をお祈り致します。