破李拳竜・日記

ここでは私・破李拳竜が行ってきた仕事やお遊びとかの日記を、つらつらと載せてあります。

外舷塗装ならぬ外壁塗装

2006年03月29日 22時32分32秒 | Weblog
  我が家の外壁は防火用に鉄鈑張りになっているのだが、色がくすんできた。そこで昔取ったキネズカ、私は駆け出しの食えない頃は塗装屋でアルバイトしていたので、外板を自分で塗り直したのだが、装甲鈑ではないが自分の趣味で軍艦色に塗り直した。そうしたらオフクロや親戚一同から「ウス暗いネズミ色だ!」とえらく不評!ネイビーグレー色がまったく理解されていない。仕方なくアーミーブラウンに妥協して塗り直し。
 ついでに我が家の外壁も塗り直し~。こちらこそは趣味を通して軍艦色にした。この外壁は1日で塗り直したので、「レイテ海戦」の時の戦艦武蔵みたいだったな。

 戦艦武蔵の外舷塗装とは、艦長の猪口敏平少将が作戦前ブルネイ湾に入港した時、武蔵の外舷を1日で塗り直したという逸話だ。この塗装の意味は今なお不明だが、私らが子供の頃の戦記物ではナニワ節が入っていて、「武蔵は敵を引き付けるため、自ら囮となり、船体を真っ白な死装束に包んだ。」と説明されていた。たしかに、出撃した連合艦隊の中で武蔵が雷・爆撃機の集中攻撃を受け沈められてしまったが、他の艦は無事に作戦行動を続けられた。
 しかし実際は猪口艦長は、自分の艦・武蔵だけを目立たてさせるために外舷塗装をしたわけではなく、大和をはじめとする他の戦艦にも
「いよいよ海戦が始まりそうだね。出撃の前に外舷を塗りかえておこうじゃないか」
と語り塗り直しを薦めていた。塗装をして目立たせ被害担当艦になるのが目的であれば、自分の艦だけを塗装し他艦には塗装を勧めはしないだろうし、他の艦が塗装をすればその分目立たなくなり被害担当艦としての意味を失うから・・・どんな目的があって塗り直しを行ったかは真意は不明。
 しかもペンキなどは可燃性なので出撃前に全部塗装を剥がし、地金剥き出しにするのが常識だった。また、他の艦長達は、乗員が連日の猛訓練と赤道直下の暑さで疲れていたので、塗装に労力と時間を費やすよりもその分だけ休ませようとしていたのだが、それなのに強行されたので、そこまでしてやる意味があるのか?という疑問点がある。

 それに武蔵が集中攻撃を受け沈められた理由も塗装で目立ったからというより、猪口艦長は砲術科出身で射撃理論の権威として知られていたので、対空射撃に重点を置き、雷撃や爆撃をよけかわす事より狙い撃ちで落とす事を選び行ったから、敵機にとって大きな獲物にされてしまったのが原因だ。
 一方の同型艦・大和艦長・森下信衛少将は、その操艦技量は海軍屈指の腕前で、無数に飛び回る雷・爆撃機の動きをまるでニュータイプの如く見切って、その攻撃をことごとくよけかわしてしまった。小回りが利いて高速で走り廻れる小型のモーターボートや水雷艇ではなく、世界最大の戦艦を使って成し遂げたのだから、それはまさに奇跡の神業と言えるだろう。
            
 そんな古事にちなんだ(?)我が家の外舷塗装ならぬ外壁塗装で、この配色により我が家は遠景から眺めると、陸揚げされた船みたいに見える。最初は家本体もネイビーグレーに塗っていたので、もっと軍艦っぽかったな。
 が、ある日「佐野ラーメン」で有名になった隣りの佐野市へ行ったところ、とある家の壁が我が家の壁とまったく同じ塗り方がされ、上部がネイビーグレーの軍艦色、基底部が暗赤色というカラーリング!こんな塗り方するのオレんちしかいないだろう!と思ったら、こりゃ絶対マネされたか!・・・というより同じシュミのヤツが近所にいたとは・・・。
 ・・・まあ、この塗り分けが気に入ってもらえてマネされたワケだから、もっと流行れば良いな。

     
 ・・・しかしウチのあるこの場所は赤城颪しの強風が吹くので、たまに外壁に木片などがぶつかったりするから本当に装甲鈑を張りたいな。また、我が家の近所には川が流れているので、氾濫した時浮かぶような仕掛けをしたり、こーなりゃ暴走して砲塔なんかを乗せたいトコロです(笑)

「東京SOS」と「VSメカゴジラ」のキャンペーン

2006年03月25日 23時41分32秒 | Weblog
  深夜「ゴジラXモスラXメカゴジラ 東京SOS」が放送されていたので観て、その反応を知るため2ちゃんの特撮スレを覗いたら、まあ、当然というか、前作と比較された感想が書き込まれていたが、それが「対メカゴジラ」じゃなくて「VSメカゴジラ」との比較。若い世代が多いなあと思って更によく観たら、「幼少の頃観てた『VSメカゴジラ』」と語られている・・・ 「幼少の頃観てた」・・・?
 ガーン!!!・・・「VSメカゴジラ」のキャンペーンで俺がゴジラかぶってじゃれていた子供達が、もう大きくなって特撮スレに書き込んでいるのかと、悠久の時の流れを痛感!

 ・・・まあ、「モスラ2」で私と一緒にキャンペーン廻りやっていた満島ひかりちゃんがアンドロイドになったくらいだし。

 「VSメカゴジラ」の時、私はベビーゴジラ役で出演していたが、キャンペーンは撮影中からあり、撮影の合間に東宝宣伝部からの依頼でゴジラを被って演ってきた。そしてクランクアップ後宣伝活動が本格化していくのだが、思い出深いのはこの年は「ゴジラ生誕40周年記念」という事もあり、「仮面ライダー」の頃から東映のホームグランドでもある「後楽園ゆうえんち」で一日だけだが「ゴジラVSメカゴジラ ショー」をやった事だ。富山プロデューサーも駆けつけて来てくれて、「セーラームーン・ショー」用の控え室がこの日ゴジラチームに開放されて、そこへゴジラやメカゴジラを持ち込んで打ち合わせや食事を取ったりした楽しい記憶がある。
                               
 また、この時期はヒロインの佐野量子さんが武豊氏との結婚前だったので、取材が来てもその話題が注目されていたので、私は宣伝部から「インタビューがゴジラと関係ない話題になったら暴れちゃってイイですよ!」と言われていたから、量子さんの取材の時はいつもゴジラを被り、武豊氏の話になったら暴れてよくインタビューをブチ壊してました~(笑)
 それから宣伝番組「冒険!ゴジランド」では、現在ピンで頑張ってるはしのえみちゃんだが、当時は彼女は「欽ちゃん劇団」に所属し、アイドルユニット「ブカブカ」の一員としてこの番組にレギュラー出演していた。ロケで羽田空港や浅草花やしきなのを巡り周ったものだった。
                                                            

 『モスラ2』の東京国際映画祭での舞台挨拶の時は、私はモスラの着グルミ被っていたのだが、実は登場の時走って出たのですが、勢い余って舞台から落ちそうになってしまいまった。この日会場には東映の佛田洋特撮監督も来ていて、後から「竜さん、さっき落ちそうになってたでしょ。」と言われちゃってお恥ずかしい。
 満島ひかりちゃんは、当時はアイドルユニット「フォルダ5」のボーカルだったが、大人ばかりに囲まれて子供は自分一人だけだったので、緊張していた様子だったな。
                            
 そんな彼女も「ウルトラシリーズ」の女優となり、もう成人式を迎えたとは、ホントーに時の流れを実感するものだ・・・。

映画「ヅラ刑事」完成試写

2006年03月19日 00時41分54秒 | Weblog
去年の10月、私も撮影参加した河崎実監督の映画「ヅラ刑事」が完成し、先日試写会へ行ってきた。場所はいつものイマジカ。ここはその昔は「東洋現像所」と言われ、東映の京都時代劇や東宝の特撮映画など、日本映画のあらゆる作品を現像してきた所だ。入り口には全盛期を支えて活躍した光学撮影・合成機「エリアルイメージ」が飾られている。(写真がそうです。)
 ・・・まあ、東宝は撮影所内に一時期「キヌタラボラトリー」というのを作り、「ウルトラマン」などを手掛けていたが、今はすでに消滅。しかしかつて円谷英二監督が採算を無視してオックスベリー社に発注し、TBSに肩代わりして買ってもらい、後のウルトラシリーズを作るきっかけともなったという伝説の「オプチカル・プリンター」などはもう、解体廃棄されて、わずかなネジ数本しか残っていないとは・・・
    
イマジカの「エリアルイメージ」のように、役目を終えたのなら展示品として残していればよかったのにね。合掌。

 で、作品は、主演のモト冬樹さんがヅラを投げて相手を倒すという、必殺の「ヅラスラッガー」が武器という刑事。とーぜんウルトラセブンのアイスラッガーが元ネタである事は言うまでもない。効果音もちゃんとアイスラッガーの音を使っている。・・・でも、ちゃんと髪の毛がある・・・いや、失礼(笑)長髪モト冬樹さんはけっこうイイオトコじゃないか!昔「ロボコップ」を観た時、ロボコップがアーマー・ヘルメットを外して素顔を見せたシーンで、「ああッ、モト冬樹だっ!」と思ったもんね。逆を言えば モト冬樹さんはロボコップを演じたピーター・ウェラーに似ているという事を意味したワケだからね。
 他にはなべやかんさんが演じた「チビ刑事」やウガンダさんの「デブ刑事」、オヤジギャグを言う「オヤジ刑事」、そしてイジリー岡田さんのそのものまんまベタな「デカチン刑事」(笑)など。「イケメン刑事」は、もう一人のイケメン・斉藤工君が公安調査室長役を演じているのでキャラかぶってるなと思ったら、斉藤君のほうは冷徹なキャラに対し、韓流ヨン様キャラで来たか、うーむ、時流に乗ってますな・・・。
 ヘンな生き物が日常生活に加わった、ありえない不条理さを描くものの、話はあくまでシリアスでギャグは一切無しの「いかレスラー」「コアラ課長」らと違い、本作ではけっこうベタなギャグが入っているこれは爆笑 モノ・・と、思いきや・・・・泣きの 感動作でもあり、「はぐれ刑事 純情派」的な人情が入っているし、音楽も「はぐれ刑事」ぽく仕上がってる。しかし主題歌が三番まで延々流れて、しかも画面に歌詞付きというのが、映画館をデッカイカラオケボックスにする魂胆か?
 試写会後、キャスト、スタッフを含め 河崎組での打ち上げとなり、五反田の飲み屋で決行され、主役のモト冬樹さんをはじめ、なべやかんさん、イジリー岡田さんらも同席した。しかし女優陣がいないなァとスタッフ達が愚痴をこぼすと「コアラ課長」で私に殺されたOL役に次いでの出演となった高嶋ひとみさんが遅れて到着、やっと飲み屋に花が咲いた。
   目下加盟しているマイミクシィ仲間のコッシーさんも同席されていたが、彼とは同じ高校出身と後で知った。元自衛官の彼は射撃が上手く、射撃表を見せてもらったら、ほとんどド真ん中をブチ抜いている点数の高さに驚き射撃の上手さは流石だと思った。ウチは父方の親戚が皆警察の人間で、射撃教官をやってるのもいるのだが、従弟の私は射撃がダメなので情けないです(泣)

 この作品では私は殺陣師として参加したのだが、まあ、作品にはウチトラ(内輪のスタッフのエキストラ)も多く、メイキングの佐熊ちゃんやスチールカメラマンの金子さんとかも出ていたので、私もウチトラの一人として引っ張り出されました~(笑)
 それからさる芸能プロダクションの社長から殺陣についてアレコレ訊ねられ、この事務所の女優達にもアクション指導する事にもなるかも知れない。

 そして私とコッシーさんとで先に帰るが、夕方から降り出した雨が本降りになっていたので、慌てて駅まで向かったのだった。
                 

 「ヅラ刑事」公開日は9月予定、渋谷パルコなどで公開。・・・しかし撮影されてから半年後に完成試写、そして公開までに一年掛かるなんてストロークが長い、河崎作品では珍しいなァ。

おやっさんの思い出

2006年03月10日 01時44分49秒 | Weblog
  藤岡さんとの共演にあたって、フトおやっさんの事を思い出した。

  おやっさんには最初、円谷プロ創立30周年記念パーティーで初めて会って御挨拶。その後、「ゴジラVSキングギドラ」「「ゴジラVSモスラ」で共演する幸運に恵まれた。
 本編スタジオで撮影の合間にお話しして、調子に乗って「スイマセン、『おやっさん』と呼んでいいですか?」と訊ねると、優しく微笑んででくれたので、思わず「おやっさん!」と呼ぶと、「竜!」と返してくれたのが最高の思い出だ・・・。

 おやっさんこと小林昭二 (コバヤシ・アキジ)。 昭和5年9 月6日生. 出生地(出身地), 東京市北区(現・東京都北区)
 代表作・昭和41年『ウルトラマン』ムラマツ隊長役、、昭和46年『仮面ライダー』の立花藤兵衛役。他に声優としてジョン・ウェインの吹き替えや番組ナレーションを行う。 他に小林さんの洋画の吹き替えでは、ジョンJランボーの上官役・リチャード・クレンナなどやっていた。「ランボー」シリーズでは、ランボー役の銀河万丈さんに「大佐!」ではなく「おやっさん!」と呼んでほしいな、なんてフト思ってしまった(笑)

  没年月日(享年 死因), 平成8年8月27日没(65歳 肺癌).

 御葬儀は私は仕事で行けなかったが、お花は出しておいた。そして藤岡さんと宮内さんで御棺を担がれたと聞き、涙が出たものであった・・・。
 我々にとってはムラマツキャップや立花藤兵衛としておなじみであり、その人柄が滲み出る演技で人間的にも絶大な信頼が寄せられていた俳優だが、役者仲間からは色々波風もあったようだ。
 これは私がラジオで当時聞いた話だが、小林さんと同期で友人でもある某・大物俳優が、「小林は、『ウルトラマン』やら『仮面ライダー』とかの子供番組に出るようになってから、芝居がダメになった。」と話していた。しかしそれは難しい演技論での話ではなく、明らかに嫉妬心以外のなにものでもないだろう。だって小林さんはそのジャリ番に出た事によって、世代を超え時代を超えて幅広いファンを掴み多くのファンを得て、我々にとって不滅のアクターになったのだから。また、「ジャリ番」だとバカにする事なく真摯な態度で取り組み演技したからこそ、皆から愛される俳優になったのだと思う。
 しかし「一つの役しか出来ないと思われたくない」と、「仮面ライダー」のおやっさんとして大人気の同時期に、「怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス」ではちょっとイヤミな環境衛生省所員・鈴木という憎まれ役を演じたり、また、後年とんねるずのコント『仮面ノリダー』でも『おやっさんこと立花藤兵衛』役を好演し、当時の子供達のアイドルになっていた。
 そんな時、前出の某・大物俳優は「小林にはまた、大悪役を演じてもらいたい。」とも話していたが、すると小林さんはその声に答えるように、時代劇で、茶店の主人で面倒見の良い人柄の人物を演じ、まるで「スナック・アミーゴ」のマスターである「おやっさん」とまったく同じ設定の役柄だった。だがその正体は、失敗した者はたとえ仲間でもようしゃなく斬り殺す、情け容赦の無い押し込み強盗の頭領だったのだ!小林さんはその残虐非道の悪役を演じ、最期は見事に成敗されていた。
 小林さんの悪の元締の、極悪非道な演技も迫力あった!温かく人情味ある人物が悪を演じると、そのギャップからなおさら凄みが出るものだ。もちろんそれを見越した小林さんの確かな演技の計算のたまものであるのだが、自分の足場・ポジションをしっかりと自覚されていた方だったと思う。それだけに人格者であった証拠と言えるだろう。
 
 これは友人の意見に作品で答えた小林さんの、役者一筋・役者魂を観た!と私は感じたものである。
                                       小林昭二さんよ永遠なれ!

ロケ終了、只今帰還!大和心復権!

2006年03月06日 13時12分57秒 | Weblog
  藤岡弘、さんとの新作映画がクランク・UPして、只今戻りました。
着グルミを被りながらオーバーヘッド・キックをやって、真っ逆さまに頭から落ちてカメラに激突したりしましたが、ケガもなく無事終了しました~!。

 「ヤマトタケル」の時は、クマソガミ役で本編班に付いていたものの、なぜか本編班で「特撮」をやるという、前代未門の出来事となり、クマソタケル役の藤岡弘、さんとは撮影中はあまり会話の機会がなく、打ち上げなどで色々お話ししたカンジだったが、今回はガップリ組んでの芝居だったので、十分な会話時間を持つ事が出来たッ!。

 昼過ぎに池袋のバーを借りて撮影。もう初っ端から藤岡さんとの芝居で、藤岡さんは現場に台本を持って来ない!さすが全部セリフが頭に入っているのですな。
 で、撮影の合間に色々お話しが出来た。外国での過酷な「藤岡探検隊」のロケ話や、CM「せがた三四郎」でもゴールキーパーをやった話をしたが、私が大野剣友会の中屋敷哲也氏、中村文弥氏、新堀和男氏らとの交流を話したら、彼らとはかつて「仮面ライダー」での盟友であるので、「懐かしい話を思い起こさせてくれてありがとう!」と喜び言われた。特に映画「仮面ライダー対じごく大使」の富士山ロケで、怪人と雪の上を転がり落ちるシーンでは本当に滑落してしまい、その際、怪人が藤岡さんの体を抱きかかえて守り、松林に突っ込んでしまったが助かったそうで、怪人の着グルミの背中はボロボロだったとの事。これら大野剣友会の方々の、主役を立てるという行為の真髄も、まさに命懸けで行ったのだから、彼らは本物の役者と言えるだう。
 「・・・もし怪人が守ってくれなかったら、わたしの体は松林の木の幹や枝にぶつかって、ズタズタになっていただろう・・・。」と、彼らの命懸けの行為に強い恩義を感じている事を告白してくれて、TVシリーズ「白い牙」、東宝映画「エスパイ」などの自分の主演作のアクション相手役は必ず大野剣友会の皆さんを指名していたそうだ。「エスパイ」での国際会議が始まる前の、倉庫でのアクション・シーンでは、殺し屋役の中屋敷さん、文弥さん、新堀さんらの顔がアップで映るが、これも藤岡さんの配慮なのだろう。
私が話題を出した事により、藤岡さんは大野剣友会の方々の当時を振り返り、「みんな・・・いいヤツばかりだったなぁ・・・。」と思いをよせていた。しかし、もはや山田稔監督、おやっさんこと小林昭二さん、変身後のライダーを演じた中村文弥さん、死神博士役・天本英世さん、地獄大使役・潮健児さんらがいない事実を、とても悲しんでおられた。
                             
   そして古き日本の心を見直す話題にも至ったが、武士道精神などの詳しくを言えば、先に比較として日本の武士道と同様に、西欧では「騎士道精神」がある。「武士道精神」と「騎士道精神」の違いは?といえば、「騎士道精神」は現在のスポーツマン・シップにおけるフェアプレイ=「互いに平等な条件の下、正々堂々闘う」という精神の根幹となっており、戦いで勝つことよりも「立派に戦うこと」がより大切とされていた。それと比べると「武士道精神」は汚い。言い方を変えれば、「アン・フェアーで不平等な条件も容認し、そして戦う」というものである。
 武士の対決がどのようなものであったか文献を読むと、江戸時代の文献「武芸師家旧話」で、徳川三州公の御前で、招かれた竹内流柔術の二代目・竹内常陸久勝と戸田五郎兵衛の二人が、食事の最中に素手の立会いを行ってみいと云われとある。そこでその内容は、竹内が茶碗の水を戸田の顔に浴びせ、ひるんだところに飛び掛り、当身・骨法を入れて倒したとある。徳川三州公は「見事!」と称えた。・・・これがスポーツマン・シップの視点から見れば、相手の顔にいきなり水をかけ、その隙に殴って倒すとはあまりにもフェアじゃないという事になるだろうが、これが武道である。水をよけられずひるんで隙を見せた者が悪いのだ。だからこそ殿様も「アン・フェアーだ!」とは抗議せず、「見事!」と称えたのだった。
 これは「常在戦場」という考え方、つまり「常に戦場と思え!」の心構えが武士の世界で通っているからに他ならない。
  同じような事が近年にもあった。かつて極真空手の「第五回世界大会」の四回戦でアンディ・フグとフランシスコ・フィリオがぶつかり二回目の延長戦の時、試合の終わりの「やめ!」の声が入った瞬間、アンディはガードを下ろし、そこへフィリオの左上段回し蹴りが入り一本を取られてしまった。当然アンディを支援する応援団は猛抗議したが、そこに大山倍達総裁の一言で決まった。「試合とはいえ真剣勝負であるッ,常に戦場と思え!『やめ』の声が入ったからとガードを下ろし隙を見せたのがいけない!アンディ選手は武道家としての精神が足らんッ!」
 これがスポーツならば抗議した応援勢の言い分も理解出来る。しかし武道空手を学んでいるという自覚があれば「やめ!」の声で隙を見せた選手が悪いのである。まさに武道精神とは何たるか?を示した一件であった。
 そして江戸期の武士の心構え手本書「葉隠れ」にあるように、己の「死」を覚悟して戦う精神。これは、相手と戦う時、いつも自分のコンディションが良い場合と限らない。どんなに体調がすぐれない時でも戦わなければならない場合がある。そんな時はたとえ相手と刺し違えて相討ちになっても相手を仕留めろ!という事だ。苦しい時にどこまで頑張れるか?苦しくなってからが本当の勝負、死ぬまで頑張れるか?という心構えでもある。

  それらの「常在戦場」の心構えを元にした上で、平和の極致を目指す。それは敵といえど尊敬し、敬意を表して礼を尽くす心、しかし油断はしない。武士の土下座の作法は己の防御にもなる形をとる。それがひいては隙無く敵を、相手を思いやる心へ繋がるのだ。
  これらを身近な話題に置き換え見渡すと、現在の日本人がいかに自堕落になっているかが分かる。今は親からして年端もいかぬ自分の子供を金髪に染め上げ、平気で夜更かしさせ、深夜1時過ぎてもコンビニへ連れていったり、エゴイズムを「個性」と勘違いして「自己中」を肯定的にとらえ、ワガママである事を自己主張・個性と勘違いしている人間が実に多い。しかしそれは道徳観からは大きく外れている。社会生活を行う以上、好き勝手にやっていいというワケはなく、決められたルールは守らなくてはならない。
 これは何も人間だけでなく、群れで生きる動物ならば、全て仲間どうしのルールを持っている。社会規則を無視して好き勝手やる者は、獣以下と云えるのだ!
 「古き日本人の良き心が、すっかり失われてしまっているッ!」と嘆いていたのだった。
 それに対して外国人のほうが真摯に「武」の心を受け止め真剣に学ぼうとしている。私がかつて格闘技大会「バーリトゥード95」で真近でヒクソン・グレイシーを見た時など、日本人選手達が名前をコールされたら派手なパフォーマンスやファック・ユー!のポーズなどをとっていたのに対し、ヒクソンは自分の名前をコールされると四方へ向かって頭を下げ礼をしていた。ここに精神性と心のたたずまいの差を感じ、果たしてヒクソンは優勝して最強を証明していたのだった。
           
 この例を話したところ、藤岡さんも実感しており、だからこそ日本人の、他人を思いやり、礼を重んじる真の「武」の心の復権が大事で、「ヒーロー物は世界に通用する日本の文化のひとつなのだから、わたしはヒーロー物を通してこの日本人の古き良き心を表現し、うったえていきたい。」と語っておられていた。私もこれには同感!感銘を受けたのだ。

 かつての軍国主義の理不尽、横暴さの反動から、古き考えは全て悪いもの、あまつさえは危険思想とまで思われ排除されているような状況だが、古くても良きものは未来永劫残さなくてはならないものもある。
 同様な状況は明治期にもあり、武士の時代が終わり、武士の裏技芸でもあった「柔術」も、古臭い過去の遺物と云われた時期に、嘉納治五郎師範がその時代のニーズに合わせてアレンジして、「柔道」として完成させたように、今の若者ニーズに合った形で「日本の古き良き心」を残し伝えていきたいと自分は考えている。

 ロケで接し、藤岡弘、さんは、良い意味でマイペース、自分流の生き方をしているという印象だった。そしてボランティアで世界で苦しんでいる人達を無償で助けている、まさにヒーローそのものです!。