我が家の外壁は防火用に鉄鈑張りになっているのだが、色がくすんできた。そこで昔取ったキネズカ、私は駆け出しの食えない頃は塗装屋でアルバイトしていたので、外板を自分で塗り直したのだが、装甲鈑ではないが自分の趣味で軍艦色に塗り直した。そうしたらオフクロや親戚一同から「ウス暗いネズミ色だ!」とえらく不評!ネイビーグレー色がまったく理解されていない。仕方なくアーミーブラウンに妥協して塗り直し。
ついでに我が家の外壁も塗り直し~。こちらこそは趣味を通して軍艦色にした。この外壁は1日で塗り直したので、「レイテ海戦」の時の戦艦武蔵みたいだったな。
戦艦武蔵の外舷塗装とは、艦長の猪口敏平少将が作戦前ブルネイ湾に入港した時、武蔵の外舷を1日で塗り直したという逸話だ。この塗装の意味は今なお不明だが、私らが子供の頃の戦記物ではナニワ節が入っていて、「武蔵は敵を引き付けるため、自ら囮となり、船体を真っ白な死装束に包んだ。」と説明されていた。たしかに、出撃した連合艦隊の中で武蔵が雷・爆撃機の集中攻撃を受け沈められてしまったが、他の艦は無事に作戦行動を続けられた。
しかし実際は猪口艦長は、自分の艦・武蔵だけを目立たてさせるために外舷塗装をしたわけではなく、大和をはじめとする他の戦艦にも
「いよいよ海戦が始まりそうだね。出撃の前に外舷を塗りかえておこうじゃないか」
と語り塗り直しを薦めていた。塗装をして目立たせ被害担当艦になるのが目的であれば、自分の艦だけを塗装し他艦には塗装を勧めはしないだろうし、他の艦が塗装をすればその分目立たなくなり被害担当艦としての意味を失うから・・・どんな目的があって塗り直しを行ったかは真意は不明。
しかもペンキなどは可燃性なので出撃前に全部塗装を剥がし、地金剥き出しにするのが常識だった。また、他の艦長達は、乗員が連日の猛訓練と赤道直下の暑さで疲れていたので、塗装に労力と時間を費やすよりもその分だけ休ませようとしていたのだが、それなのに強行されたので、そこまでしてやる意味があるのか?という疑問点がある。
それに武蔵が集中攻撃を受け沈められた理由も塗装で目立ったからというより、猪口艦長は砲術科出身で射撃理論の権威として知られていたので、対空射撃に重点を置き、雷撃や爆撃をよけかわす事より狙い撃ちで落とす事を選び行ったから、敵機にとって大きな獲物にされてしまったのが原因だ。
一方の同型艦・大和艦長・森下信衛少将は、その操艦技量は海軍屈指の腕前で、無数に飛び回る雷・爆撃機の動きをまるでニュータイプの如く見切って、その攻撃をことごとくよけかわしてしまった。小回りが利いて高速で走り廻れる小型のモーターボートや水雷艇ではなく、世界最大の戦艦を使って成し遂げたのだから、それはまさに奇跡の神業と言えるだろう。
そんな古事にちなんだ(?)我が家の外舷塗装ならぬ外壁塗装で、この配色により我が家は遠景から眺めると、陸揚げされた船みたいに見える。最初は家本体もネイビーグレーに塗っていたので、もっと軍艦っぽかったな。
が、ある日「佐野ラーメン」で有名になった隣りの佐野市へ行ったところ、とある家の壁が我が家の壁とまったく同じ塗り方がされ、上部がネイビーグレーの軍艦色、基底部が暗赤色というカラーリング!こんな塗り方するのオレんちしかいないだろう!と思ったら、こりゃ絶対マネされたか!・・・というより同じシュミのヤツが近所にいたとは・・・。
・・・まあ、この塗り分けが気に入ってもらえてマネされたワケだから、もっと流行れば良いな。
・・・しかしウチのあるこの場所は赤城颪しの強風が吹くので、たまに外壁に木片などがぶつかったりするから本当に装甲鈑を張りたいな。また、我が家の近所には川が流れているので、氾濫した時浮かぶような仕掛けをしたり、こーなりゃ暴走して砲塔なんかを乗せたいトコロです(笑)
ついでに我が家の外壁も塗り直し~。こちらこそは趣味を通して軍艦色にした。この外壁は1日で塗り直したので、「レイテ海戦」の時の戦艦武蔵みたいだったな。
戦艦武蔵の外舷塗装とは、艦長の猪口敏平少将が作戦前ブルネイ湾に入港した時、武蔵の外舷を1日で塗り直したという逸話だ。この塗装の意味は今なお不明だが、私らが子供の頃の戦記物ではナニワ節が入っていて、「武蔵は敵を引き付けるため、自ら囮となり、船体を真っ白な死装束に包んだ。」と説明されていた。たしかに、出撃した連合艦隊の中で武蔵が雷・爆撃機の集中攻撃を受け沈められてしまったが、他の艦は無事に作戦行動を続けられた。
しかし実際は猪口艦長は、自分の艦・武蔵だけを目立たてさせるために外舷塗装をしたわけではなく、大和をはじめとする他の戦艦にも
「いよいよ海戦が始まりそうだね。出撃の前に外舷を塗りかえておこうじゃないか」
と語り塗り直しを薦めていた。塗装をして目立たせ被害担当艦になるのが目的であれば、自分の艦だけを塗装し他艦には塗装を勧めはしないだろうし、他の艦が塗装をすればその分目立たなくなり被害担当艦としての意味を失うから・・・どんな目的があって塗り直しを行ったかは真意は不明。
しかもペンキなどは可燃性なので出撃前に全部塗装を剥がし、地金剥き出しにするのが常識だった。また、他の艦長達は、乗員が連日の猛訓練と赤道直下の暑さで疲れていたので、塗装に労力と時間を費やすよりもその分だけ休ませようとしていたのだが、それなのに強行されたので、そこまでしてやる意味があるのか?という疑問点がある。
それに武蔵が集中攻撃を受け沈められた理由も塗装で目立ったからというより、猪口艦長は砲術科出身で射撃理論の権威として知られていたので、対空射撃に重点を置き、雷撃や爆撃をよけかわす事より狙い撃ちで落とす事を選び行ったから、敵機にとって大きな獲物にされてしまったのが原因だ。
一方の同型艦・大和艦長・森下信衛少将は、その操艦技量は海軍屈指の腕前で、無数に飛び回る雷・爆撃機の動きをまるでニュータイプの如く見切って、その攻撃をことごとくよけかわしてしまった。小回りが利いて高速で走り廻れる小型のモーターボートや水雷艇ではなく、世界最大の戦艦を使って成し遂げたのだから、それはまさに奇跡の神業と言えるだろう。
そんな古事にちなんだ(?)我が家の外舷塗装ならぬ外壁塗装で、この配色により我が家は遠景から眺めると、陸揚げされた船みたいに見える。最初は家本体もネイビーグレーに塗っていたので、もっと軍艦っぽかったな。
が、ある日「佐野ラーメン」で有名になった隣りの佐野市へ行ったところ、とある家の壁が我が家の壁とまったく同じ塗り方がされ、上部がネイビーグレーの軍艦色、基底部が暗赤色というカラーリング!こんな塗り方するのオレんちしかいないだろう!と思ったら、こりゃ絶対マネされたか!・・・というより同じシュミのヤツが近所にいたとは・・・。
・・・まあ、この塗り分けが気に入ってもらえてマネされたワケだから、もっと流行れば良いな。
・・・しかしウチのあるこの場所は赤城颪しの強風が吹くので、たまに外壁に木片などがぶつかったりするから本当に装甲鈑を張りたいな。また、我が家の近所には川が流れているので、氾濫した時浮かぶような仕掛けをしたり、こーなりゃ暴走して砲塔なんかを乗せたいトコロです(笑)