破李拳竜・日記

ここでは私・破李拳竜が行ってきた仕事やお遊びとかの日記を、つらつらと載せてあります。

トンデモ科学?

2006年04月30日 18時00分06秒 | Weblog
我が家に新たに「エコキュート」が装備された。「ゴジラVSビオランテ」でスーパーX2のオペレーター女性自衛官役で有名な(笑)鈴木京香の東京ガスのCMでやってるヤツで、行き着けの電気屋からこれが一番コストパフォーマンスが良いと言われ取替えたのだが何でも、CO2冷媒を使った世界初のヒートポンプ式給湯機で、ヒートポンプの 技術を使うことで投入した電気エネルギーの約3倍の 熱エネルギーが得られるとの事だそうだ。
 業者さんが朝から取り付けに来てくれたが、あいにく私は野暮用で、家を出たり戻ったりの目まぐるしい1日となってしまい、ちゃんとした対応が出来なかったのが申し訳ない。
 しかし家の外壁に取り付けられた新・給湯機は、ミサイル発射管の原型「噴進砲」みたいでカッコイイ。かつてBSアンテナを取り付けた時も、我が家に遂にパラボラ式アンテナが装備されたか・・・このパラボラからメーサー・ビームでも出りゃイイな(笑)と思ったものだが、パラボラ式アンテナの次は「噴進砲」装備された気分だ。
 
 ・・・まあ、見かけは別にしても、今までのガスによる熱源で、吹きこぼしや不燃ガス中毒や火事の心配が無くなり、より安全な台所となった。使い勝手も中々好調である。
 
 ・・・トコロでこの熱源を起こす原理だが、説明では、「フロンではなく、自然界に存在するCO2を冷媒に使用,大気熱を吸収した. 冷媒(CO. 2. )を圧. 縮する際に得ら. れる熱によって温. 水を作る構造。」とあるが、「大気熱」ってナンじゃ?う~ん、に流れる大気を「オラに力を~!!」とやって吸収し、そのパワーで熱エネルギーに変換するという事なのだろうか?
 ・・・それではどうも「トンデモ科学」っぽいなァ・・・(笑)まるで四次元科学だ、まだ波動エンジンとか言ってもらったほうが説得力ある!(笑)

 しかし夢のエネルギーや動力では、「超電導」などは私のガキの頃からの夢で、「近未来の科学」として紹介されていたが、まだ実用化されないな。核増殖炉も良いが、近い将来的に、日本近海・海底の「メタン・ハイドレード」から効率の良いエネルギーを取り出せれば、日本は資源国になれるので、早く実用化されないかと願っている。

                       

またまた私の家でロケ。

2006年04月22日 00時07分28秒 | Weblog
 再びマイミク仲間の女優・夢野麿さんと、越社長が我が家にやって来た。と、いっても今回は「母娘ロボ」の撮影とは関係無い。越社長が担当している雑誌の企画で、夢野さんがご当地の食べ歩きしたり、様々な名所を探訪するというもので、今回、栃木県で私の地域近所で良いトコロはないか?と訊ねられたので、当然私は「岩舟山」を紹介し、現地コーディネーターを担当する事となったのだ。

 で、当日越社長は、夢野さんとカメラマン同乗のバンでやって来たので、私が車で先導、各名所を案内する。まずはまいど「戦隊モノ」ロケ地などでおなじみ「岩船山」めぐり。大正時代に建てられた小さな洋館風石室の「岩舟山資料館」で岩舟山にまつわる諸元を渡す。
 越社長から「ぶっつけのゲリラ撮影で良いですよ。」と聞いていたので、続いて佐野ラ-メンの取材では、地元で一番大きい「鶴里(つるり)」という店を紹介、本店でオーナーにぶっつけで取材交渉すると、ひじょうに快く承知してくれて、店を雑誌で紹介してくれるならと、お土産のラ-メンセットまでくれた。いや~、実に有りがたいといううか、こっちが恐縮してしまう。
 それから近くの「佐野厄よけ大師」へ行き、水子供養のお堂前や「お掃除小僧さん」やらで撮影。そして食事は「佐野厄よけ大師」の傍にある「鶴里」の支店で取ったが、オーナーから店長に連絡が入っていたので、夢野さんが食事する様子も同時に写真撮影する事もスムーズに進行。芸能事務所の社長と女優が来店したというので、店長からも「うちの中学生の娘が将来、声優になりたいって言ってるんですけど、どうしたらイイでしょうかねぇ・・・?」と相談まで持ち込まれた。そして結局食事代もタダにしてもらい、オマケのジャガ芋蒸し「いもフライ」も50円安くしてくれたし、厄除けまんじゅう屋さんのおばあさんからはまんじゅう一箱もらってしまうし、まったくもう、至れり付くせりだ。
                           

 午後からは赤見の「弁天温泉」巡り。ここは日本の名水百選に選ばれた池と、真っ白な石灰岩の山の中腹に建てられた真っ赤な「弁財天お堂」がある。
 更に平安時代中期、京都で大ムカデ退治伝説を残した武将・俵藤太こと藤原秀郷の居城・唐沢城があった「唐沢山」へ案内。ここいらへんの地元の英雄といったら、何といっても藤原秀郷公、朝廷に反抗して新皇を自称した平将門を倒した武人でもある。伝説では、苦しめられていたムカデを退治したお礼に、竜神の娘の助けで平将門の弱点を見破り、将門を討ち取ることができたというストーリーになってましたな。
 そしてやはり平家の落ち武者狩りが行われた場所でもあるので、首塚ならぬ、首をハネられた首無し死体を供養した塚が多く残っているが、そういった場所は皆が怖がるのでやめて、城跡や山頂での出店などで撮影。
 山頂の岩肌がむき出しになった「天狗岩」という場所に、戦国時代見晴らし望楼が建てられていたのだが、今でも見晴らしが良いので撮影ポイントではあるのだが、夢野さん、ハイヒールなので岩山登りは無理だろうと思い、推薦する事は遠慮していたのだが、越社長のみ呼んで一緒に登ったところ、その見晴らしの良さに越社長は気に入りなんと無謀にも夢野さんを呼んで撮影する事となった!いや~あハイヒールで岩山登りする夢野さん、とんだ災難というかご苦労様。この日、中国大陸からの黄砂が日本へにも吹き込んで、下界は黄色い靄がかかったようなシュールな風景、おかげで良い写真が撮れました。 
           

 そして私が手配したホテルへ向かう。このホテルは岩舟山ロケ隊の宿泊に利用されている所なので、撮影隊や芸能人に慣れているので安心出来た。ここの温泉で夢野さんの水着写真を撮れば本日の仕事は終了。
 ・・・で、撮影準備を始めた、すると!このホテルの二代目がやって来て、掲載される本は情報誌なのだが後半ページに風俗情報が掲載されていたので「ポルノ雑誌」と思い込み、急に態度が硬化、「こんな取材には協力出来ないッ!」と言い出した。アアた、フツー、H本じゃなくても風俗情報は載ってるのに・・・と、言いたかったが・・・私は前もって窓口に「オトナの夜の情報も入ってる本ですよ。」と伝えておいたのだが、ホテル側も先代から二代目に代わったばかりで情報が上手く伝わってなかったみたい・・・どうも窓口が手違いで二代目の耳には入っていなかったようだ。それにイメージを気にするのは分かるので、それなら風俗情報が掲載されてい本には協力出来ないのなら、前もって言ってもらえば、別の場所を選んだのだが、イキナリ急に言われても困る!私は掲載誌の情報も前もって伝えていたのだが・・・トホホ。
           
 それからさ~タイヘン!別の温泉宿で撮影させてくれそうな所はないか?夜11時近くまで延々と探し廻り、結局再び私の家で撮影する事で妥協・・・。
                                 

 翌日、夢野さんの水着撮影は私の家の私の部屋と和室で撮影が行われたが、天候が崩れるとは天気予報で聞いていたが、いきなりイッテンにわかにかき曇り、雨が降り出したかと思うと強風から豪雨となり、雷が光り鳴り響き、おまけに突如地震も起こるという、まさに特撮シーンの災害場面のオンパレードだァ~!!!
   
 いや~あ、物事あまりに順調に行き過ぎると、後で大きな落とし穴があるという教訓でしたな・・・。
 ・・・まあ、最期は天候も回復、ちなみに夢野さんの水着は3パターン、カメラマンさんがセクシーショットを撮り慣れてる方で、体の線を綺麗に見せるポーズを伝授してました~♬
        

DVD「母娘ロボ」撮影~!

2006年04月17日 22時55分10秒 | Weblog
  今月15,16日の土日にかけてインディーズ作品DVD「母娘ロボ」の撮影を、我が家とその近辺にて行ってきた。
 「母娘ロボ」とは、関西でスーパー・ヒロイン物を精力的に製作してきて定評のあるインディーズメーカー「映遊クラブ」の新作で、「映遊クラブ」はそのヒロイン・マスクの造型の素晴らしさにも人気の高く固定ファンの多い映像メーカーである。この作品は母親ロボットと娘ロボットが主人公で、大犯罪組織と戦い活躍するという話で、私は敵の大犯罪組織の首領の役。
               
 実はこの作品、二年程前から母娘ロボの活躍シーンは関西地区で撮影され、ほぼ撮り終わっていたのだが、私にまつわる関係の部分のみ色々あって撮り残され先送りになっていたものだった。私は大犯罪組織のボスだが、秘書ロボットが付いているという、「電人ザ〇ーガー」の敵、悪ノ宮博士と秘書ロボット・ミスボーグみたいな関係のキャラなのだが、その秘書ロボット役の女の子が降板してしまったため先送りになってしまったというのも理由の一つだ。
 そこで私が「いかレスラー」や「コアラ課長」など一連の河崎作品で共演して知り合った芸能事務所「株式会社ビッグファイタープロジェクト」(略式名称B.F.P.)の越 康広社長を「映遊クラブ」の代表・良性腫瘍氏に引き合わせ、B.F.P.所属の女優・夢野 磨嬢に秘書ロボット役を演じてもらう事に決定。そして撮影場所も私の家と、かの岩舟山近辺の山林公園でロケという事となったのだった。
 私の家が撮影現場になったのも「印刷せよ!共信マン」「Pマン サイバー美少女0司令」そして今回の「母娘ロボ」で三度目だし、岩舟山ロケ隊の宿泊所として使用されたのも、「地球侵略美少女ミリ」「淫獣大戦KITORA」等で行ってるので、我が家も日本特撮にかなり貢献してきたな。越社長曰く「破李拳さん家で泊まってロケやると、合宿みたいですねえ。」と感想を言われた。まあ、私の家で合宿的雰囲気が一番強かったのは、「地球侵略美少女ミリ」の岩舟山ロケの時だったな・・・しかしあの時は、平山プロデューサーと新堀和男さんも招待しようと思っていたが撮影スケジュールの都合で接待出来なかったのが残念だ。
 ・・・ちなみに仕事を通して知り合った越社長であるが、後から同じ「佐野日大高校」出身だと知った。
             

 そして撮影開始。初日の15日はほぼ全編、私の家の中で、悪の秘密基地内でのシーン。夢野さん、参考に「ウルトラマンマックス」のアンドロイド・エリーを観て来たというだけあって、喋りは無機質ながらも可愛いらしさが出ていますな。そして歩行シーンには、新開発された注目の女性型ロボット「FT」の歩き方「FTウォーク」を行ってもらった。
              
 16日は、私は例の、地元の祠の立会人やってる関係上、本日も新・鳥居の式に出席のため、午前中は先に私とのカラミ以外のシーンを撮影してもらった。そして午後から私と、人間だった頃の夢野さんとのデート・シーンを近所の森林公園でロケ。・・・人間だった頃の夢野さん・・・そう、彼女の役はただの秘書ロボットではなく、元は人間の女性だったが、愛のためにロボットに改造されてしまうという、非劇のヒロインという重要な役どころなのだ。本人曰く・・・
 「ロボットしか愛せない好きな人の為にロボットに改造されてしまう秘書ロボット・プラテアという役〜!」
というもの。愛のために自らロボットに改造される・・・これも愛に殉じたひとつの姿として表現した。古風な日本女性という事になるのかな?
                      
 私のキャラは、松田優作の「野獣死すべし」で発狂した演技の元ネタ、「博士の異常な愛情」のストレンジ博士のキャラを元に、もう、ゆがみ放題ゆがみきった異常なキャラを演じた。それは、台本読んだらゆがみきった異常なキャラで面白かったので、私が更に自分で輪を掛けてワルノリして偏執的キャラに演じてしまいました~(笑)
 また、役者としても活躍されている越社長にも出演してもらい、人間だった頃はシリアスな演技を行ってる夢野さんに対し、二人そろってワルボス丸出しの演技を演って、その違和感が面白くなったんじゃないかな?(笑)しかし実は、同じ事務所の越社長に演じてもらった役は、彼女の非劇性を強調するためのシチュエーションで重要なものだったのだ。

 夜9時過ぎにようやく撮影終了。いっしょに来た事務所の女の子が同じ栃木県の野木市というので送ってやるが、撮影スタッフはこれから大阪へ車で帰るというから大変だ、無事を祈りますッ!

ゴジラ1975&チタノザウルス

2006年04月12日 03時10分36秒 | Weblog
 
  怪獣フィギュア「ゴジラ1975&チタノザウルス」を買った。ようするに「メカゴジラの逆襲」の時のゴジラとチタノザウルスの人形パッケージ商品である。
 チタノザウルスは以前単体で発売されていた物だが、ゴジラのほうは「ゴジラ対メガロ」の時の着グルミ・バージョンを人形化した物に手を加えたものだろうか?それとも新造型なのかな?誰か知っている人がいたら教えて下さい。
 「ゴジラ対メガロ」の時の着グルミは、歴代ゴジラスーツの中でも一番目が大きく可愛い顔をしているが、「ゴジラは恐怖の存在でなくてはいかんッ!」というファンから一段低く見られていたのだけど、人形販売された時は、やっとそういうファン達からもお許しが出たというか、認知されたのかなあ・・・と、思ったものである。
 元々昭和「チャンピオン祭り」時代のゴジラも大好きで、「怪獣総進撃」の時に造型された着グルミは、カエル顔というより実に男前で凛々しい顔をしているよね。樋口真嗣監督など、あれが「自分にとって一番ポピュラーなゴジラだ。」と語っていたし。このタイプのソフビも出して欲しいな。
 で、「メカゴジラの逆襲」の時のゴジラは「対メガロ」の時の着グルミの顔を、少し怖くした感じに手直しされ、今回の「ゴジラ1975&チタノザウルス」は、その時の着グルミ・バージョンのゴジラが人形化されたワケだが・・・・

 う~ん、スゲーマニアックな事言うと、「コレ、撮影会の時のバージョンじゃん!」なのだ。
     
 撮影会とは、映画宣伝のためのスチール撮影会で、マスコミを呼んだりして行ったりするもので、また東宝特撮は、ドラマ撮影と特撮撮影を同時進行で行う二班体勢で進められてきたが、この作品は一班体勢だったそうで、先にドラマを撮り~撮影会~特撮というスケジュールだったようだ。だから劇中、右腕を被弾した演出で、サイボーグ少女・真船桂のスーツが損傷していたが、その後に行われた撮影会の時は、右腕に赤い布を巻いて損傷箇所を隠しているのが分かる。
 で、この時のゴジラの着グルミは、多少顔が潰れたため、かえって少し怖い顔になっていたのだ。そして中野昭慶特技監督をはじめ、撮影監督の富岡素敬氏等の証言によれば、この作品ではゴジラを怖く見せようという考えに戻したそうで、特撮のクランク・イン前に、意図的にゴジラの額を潰し、目が鋭く見えるように手直ししたそうだ。
 だから撮影会の時のスチールを参考に造型された今回の人形は、まだまだ甘いベビーフェイスですな!劇中のゴジラはもっと額が潰れ、鋭い眼つきになっておりますぞ!
    

 ・・・だから私はこの「メカゴジラの逆襲」の時の着グルミ・バージョンのゴジラは好きなのだ。もちろん、作品も大好きである。何と言っても本多猪四郎監督の遺作であるし、あの作品は実にクラシカルで伊福部さんの音楽と共に安定感のあるつくりで、それにゴジラのアクションも、後年、中野監督がおっしゃる「能の動き」になっている。ウルトラマンレオを演った二家本辰巳さんが、着グルミ裏表逆に入ってチタノザウルスをのけ反らさせたりして(笑)
 しかもゴジラシリーズ唯一の女性が書いたシナリオ作品でもある。何といっても「古びた洋館に住む、学会から追放されたマッドサイエンティストとその娘。・・・しかもその娘は普通の人間ではなく、機械化された体の少女」というレトロな設定が最高だな。
 この作品の脚本を書いた高山由紀子さんにお伺いしたところ、「この頃って、『仮面ライダー』とかでサイボーグって流行ってたでしょ。だけど女のサイボーグって、あんまり居なかったから出してみたの。」だそうだ。女怪人や「レインボーマン」の敵・女幹部などにはいたが、女性が改造されるシーンを明確に描いたのは、「レインボーマン」の敵・女幹部キャシーのシーンくらいだったからな。・・・しかしその「レインボーマン」つながりで演じた平田昭彦さん、衣装合わせの段階で「こりゃ『ミスターK』と同じだなぁ・・・」とは思わなかったのでしょうかねぇ(笑)当時劇場内で真船博士登場シーンでは「ああっ!ミスターKだっ!!!」という子供達の声が上がったのだった!

 ・・・しかし敵キャラでなく、たしかにヒロインがサイボーグに改造されちゃうのはなかったな。電波人間タックルがヒロインの「仮面ライダーストロンガー」は1975年の4月5日に放送開始だから、やっぱこっちが先か。(『メカゴジラの逆襲』は同年の3月公開だから、タッチの差で先行した事になる。)
 女性が書いた話だけあり、サイボーグ少女・真船桂に女性からの視点で、機械化されてしまった体の自分の心情というものが強く出ている。サイボーグというと超人として描かれるのが多い中、スーパーヒロインにしないで非劇性を強調しているところがいいよね。
                     

 ・・・それにしても「チタノザウルス」って、実在する恐竜だったんだな。本物は四つ足のアパトサウルス系だけど。と、思ったら、最近はゴジラもガメラも「学名」に入っちゃって、「ゴジラザウルス」「シネミスガメラ」ってのがおりますが、そーゆーのは東宝や大映には著作許可取ってあるのかな?

 イラストは非劇のサイボーグ少女、写真は「第三回特撮大会」の上映用の映像撮影の時に東宝撮影所へ行き撮った、メカゴジラ2の着グルミです。ちょうど9年ぶりにゴジラが復活するという年でしたので、東宝撮影所内にはあの、実物大・ ゴジラの足や、海用の背びれなどが点在しており、まだ映画青年のにーちゃんっぽい頃の川北監督もおりました(笑)。
 このMGⅡスーツは、厚塗りのラテックス製だったので、たしかに劣化はしていますが、ラテックス製着グルミとしてはとても頑丈なものだと感じました。
 ・・・この頃まで例の「テラインコグ二ータ」の頭部が存在しておりましたな!

 右のおにゃのこは当時「おねむりシスターズ」の一人としてリポーターをやってもらいました。今はバラダギ様の里で幸せに暮らしている事でしょう。サイボーグに改造されてなければイイですが(笑)って、 別に サイボーグに改造されてはいません!(笑)
                              (C)東宝

「艦を!・・・北へ向けろ・・・。」戦艦大和の英霊に最敬礼の念。

2006年04月07日 01時52分44秒 | Weblog
  本日はかの名作「鉄腕アトム」の、手塚プロ公認の誕生日との事ですが、忘れてならないのは戦艦大和戦没者の命日でもあります。アトムは架空の存在ですが、大和沖縄特攻では現実に三千人以上の多くの人が亡くなっております。ちなみに「ウルトラマン」の第一話のタイトルは「ウルトラ作戦第一号」ですが、「ウルトラ作戦」とは現実にあった作戦名で、それこそが戦艦大和撃滅のための「オペレーション・ウルトラ」。「あのしぶどいジャイガンティック ・バトルシップ(巨人戦艦)を、今度こそ仕留めてやるぞ!」と出撃し、大和戦没者以外にも、大和によって撃墜されたアベンジャー雷撃機の米軍パイロット達の命日でもあるのです。
 当時は「戦艦」こそが最強兵器だったので、アメリカの生産力には追いつけないので日本海軍は,それに「量より質」で対抗しようと考え、当時の米戦艦をあらゆる面で凌駕した「大和型戦艦」4隻~6隻をもってして主力とした連合艦隊で米艦隊を迎え撃ち、撃破殲滅したのちアメリカと交渉に入り戦争を終結させる計画でしたが、未知のポテンシャルを持っていた「飛行機」の威力によってその計画も覆ってしまいました。
 それなのに艦隊決戦のため温存し、使い道を失った大和を無謀な沖縄特攻に出撃させてしまいました。もちろん、若い乗組員達は、「沖縄を守るため!」として使命感に燃えていただろうし、私があの作戦で唯一許せる部分は、あの時期で陸軍はすでに沖縄を見捨てて本土決戦を叫びだしていた頃に、海軍は「何としても沖縄を死守する!」という決意だった事ですので、「沖縄を救いに、大和の国から大和が出撃する!」という英雄伝説となるべき話でしたが、上層部の実情は、敗戦を覚悟し、「こんなに凄い戦艦があったのに、なぜ使わないで負けたんだ?!」と非難される事も意識して強行したらしいからやりきれないです。大和がロボットのように無人の自働運転で特攻して行くのなら、「戦艦に死に場所を与える。」という考えも分からなくもありませんが、しかしこの作戦に3000名以上の多くの人々の命が掛けられたのです。
  敗戦を覚悟した軍部の上層部の人間達が、戦後裁判に掛けられるのを恐れ、ある者は保守に廻ったり、ある者は無謀な徹底抗戦を叫んだりして、挙句のはて、本来「軍隊」とは国と国民を守らなくてはいけないはずなのに、大和特攻をキッカケに

「一億総特攻のさきがけたらん!」

をモットーに、日本民族一億総特攻させ、滅亡までさせようとした訳です。これは明らかに無茶苦茶な話ではないでしょうか?私はけっして「戦争で死んだ人たちの死を貶める」つもりはありません。むしろ戦後色々な可能性があったはずの人々の命が奪われた事を悔やみます。

 結婚して1週間で夫が大和乗り組みで戦死し、そのまま独身を通し歳老いた婦人をはじめ、多くの遺族がいます。
 昭和20年に入り、敗戦を自覚したからこそ戦後の事を考えた人は多かったそうで、部下の若者達を見て、「その頭脳を、その力を、戦後の日本に役立ててくれ!」と思った分隊長や指揮官もいたそうですが、上からの非情な命令で戦地へ送ったという話も多いです。
 大和設計者の一人牧野茂・元海軍技術大佐も、「むざむざ沈められに行くよりも、綺麗なままアメリカへ提供し、戦後の技術発展に大和を役立ててもらいたかったが、そんな事、軍部内では言えなかった。」と告白しています。そして作戦戦闘中、福井静夫・元海軍技術少佐らと大和の設計図を前にしながら被害報告を聞き、ダメージ部分に赤線を入れながら「このままじゃ、いかに大和でも被害許容範囲(ダメージ・コントロール能力の限界)を超えてしまう!」と感じたそうですが、突然被害報告がパタと来なくなると、「ああ、やられたな・・・。」と確信したそうです。(公式発表では、直撃爆弾5発、命中魚雷10本で大和は沈んだとされてますが、実際はもっと多い被害だったそうで、海底調査では、艦首部分に不発の徹甲爆弾2発が突き刺さったままでした。)後年、海底調査の大和惨状を見た牧野氏は、TVで「私の知っている大和は、もっと美しい姿の艦だった。酷い・・・。」と、涙ながらに絶句してました。
 しかし大和の戦後への技術貢献は、大型船の球形船首を始め、砲塔旋回の技術の応用による大型回転ラウンジや、自家用車の斜めに付けたアンテナとか、色々役立ってますね。

 辺見じゅん氏の「男たちの大和」では、沈没後艦長が浮かび上がってきたと描かれてましたが、それもまた証言のひとつではありますが、艦橋内にはあんなロープなど無かったと多くの生存者が話してますし、吉田満氏自身、「戦艦大和ノ最期」は「私の思いの中の話だ。」と、後年話されてましたから、事実であったかも知れません。まあ、沈没後の海面は重油だらけで生存者の顔も真っ黒で、判別も難しかったそうですが。
 ・・・しかし私個人の心情では、東宝映画「連合艦隊」の大和の最期で、情感たっぷりに描かれた、故・中谷一郎氏が演じた有賀艦長の、自らの体を羅針儀に縛り付け、無念の表情で「艦を!・・・北へ向けろ・・・(戦艦も、死ぬ時は北枕にする。)」と、最期の命令を出したシーンに思い入れがあります。

  戦艦大和の英霊と、撃ち落された米軍パイロット達に最敬礼! 

鳥居建ての立会人をやらされた

2006年04月03日 23時37分34秒 | Weblog
  地元の祠の鳥居が老朽化して倒壊寸前だったので、建て直しする事に決まり、なぜかその新・鳥居建ての立会人をやらされてしまった。
 地元の神主は、旦那さんが亡くなってしまったので、奥さんが神官をやっている。巫女さんじゃないのだ。で、大工さん達と共にお払いを受け祝詞を挙げて鳥居を建てた。
 場所はホントーに畑のド真ん中にある祠で、真新しい鳥居が建ったワケだが、この祠は雷電神社として祭られているので、その云われは江戸時代、百姓がここで落雷を受けて死んだ場所で、雷神と被雷者の霊を鎮めるために建てられた祠だそうだから、まさに土着信仰の賜物に他ならない。恐れられた怪物でもあった雷神を神として崇めたのだから。
              

 スタジオジブりの「千と千尋の神隠し」がアメリカをはじめ海外でもヒットしているが、劇中、どー見ても化け物、怪物としか言い様のないグロテスクなクリーチャー連中を「神様」と呼んでいたが、そこいらへんの事情はキリスト教圏の人々には理解出来ただろうか?・・・大体、日本は「大魔神」に代表されるように、「魔物」と「神」がコラボったアンビバレンツなキャラが存在出来る国だが、キリスト教の教えでは「神様」と「悪魔」ではっきり分かれ対極の存在となっている。
  日本では土俗信仰から始まり、「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」で天本英世さんが語ったように、魔物・怪物を退治したらその崇りを恐れて霊を鎮めるために神様に祭りあげ、鎮魂礼拝をしてきた。だから元・怪物だった物も神に昇華しているという解釈だろうか。
  人間も同様であり、有名な例では、島流しされて死んだ後怨霊崇りがあったとして、学問の神として祭りあげられ、現在入学祈願で拝まれている菅原道真がそうだ。徳川家康も死後神となって江戸から鬼門の方角に東照宮を建て、そこに祭られ邪気を防ぎ270年間江戸を守ったと云えよう。

 それらが元となり日本では、たとえ敵であっても手厚く葬る、死ねば敵すら祭るという風習と、死者への美徳精神が養われてきた。だから現在問題視されている「靖国神社」も全ての英霊の鎮魂のため、分け隔てなく祭っているのだが、日本の信仰、風習が政治問題にされているのは誠に残念なかぎりである。

 写真は地元の護身術道場の弟子達と共に、老朽化以前の鳥居の前で。