破李拳竜・日記

ここでは私・破李拳竜が行ってきた仕事やお遊びとかの日記を、つらつらと載せてあります。

姿三四郎と富田常雄「紘道館サーガ」

2006年05月17日 03時53分31秒 | Weblog
書籍紹介、古本サイト「ガラクタ風雲」の管理人よしだまさしさんが書いた「姿三四郎と富田常雄」が「本の雑誌社」より発売。
   http://homepage2.nifty.com/GARAKUTA/ (コピペで行って下さい。)
 姿三四郎を通してよしださんと知り合うキッカケとなったのは、元々は、ハリウッドでツイ・ハークなど香港出身の監督達が「ワイヤー・アクションもトランポリン・アクションも、全て香港映画が原点だ!」という発言を受けて、何も知らない日本映画マスコミ界の人達は真に受けて、その発言が定番となってしまった事に私が反発した事が発端だった。
 だって「ライダ~ぁ、変身!トゥッ!」「ルァイダ~ぁキィ~ック!!」てのを散々観てきた私らにとってはその発言は間違いである事は一目瞭然!たしかに中島春雄さんが中に入って操演したラドンとか、「スーパージャイアンツ」でも宇宙人が吹っ飛ばされるカットでワイヤーアクションと云えるとはいえ、まあワイヤー・アクションの原点は香港映画に譲るとしても、トランポリン・アクションは日本の映像作品こそが原点である事は間違いない。それでトランポリン・アクションの原点は何か?と調べた所、「姿三四郎」に行き着いたワケである。
 「姿三四郎」とは富田常雄が講道館創成期をモデルに天才柔道家・姿三四郎を主人公として描いた小説で、発表直後かの黒澤明が監督デビュー作として映画化した作品であり、必殺技・山嵐の演出がトランポリン・アクションの原点として表現されていたのだ。
 それにこの作品、現在「少年ジャンプ」を始めとする少年漫画の格闘物の原点でもあるのだ。柔道VSボクシングやレスリングなどの異種格闘技戦では「猪木VSアリ戦」の予言の書ともなっており、戦った宿敵とは後に友情パワーを交わしたりという姿も描かれている。(それまでの剣豪小説では戦ったライバルは斬り殺されてしまうので、戦った後のライバルの描写はされなかったが、『姿三四郎』の柔道対決では相手が投げ殺される事はなかったので、宿敵が三四郎の強さと人間性を認め、友情パワーを交わすパターンが生まれた。もっとも三四郎の投げ技が原因で死んでしまったり再起不能になってしまった相手もいるが・・・そういう点でも勝負の非情な面も描かれている。)
 そんなこんなの事をうったえるため雑誌「宇宙船」で連載を始め、情報収集のためNET検索をかけていたら「ガラクタ風雲」サイトが引っ掛かり、よしださんに資料協力して頂いたというワケである。よしださん御本人おっしゃる通り、「姿三四郎」の名前は知っていても内容を把握している読者は皆無に近い状況の中で、よしださん程詳しく「姿三四郎」とその作者・富田常雄について研究されている人間は他に存在しないので、私にとって心強い協力者になってもらえた訳なのである!
                      
 で、よしださんが書いたこの「姿三四郎と富田常雄」は富田常雄が新人時代、匿名で少年小説を書いていた作品までリスト作成をして実に深く調べられているが、だからと言って固い研究本にはならず、姿三四郎というキャラに誰もが思うであろう適度なツッコミみを入れているのが楽しい(笑)
 是非ともお勧めの一冊である。
                 
  香港映画におけるトランポリン・アクションの源流とその流れは、ブルース・リー主演「ドラゴン危機一発」で敵の工場社長役を演じたハン・インチェ(韓英傑)が元々サーカス出身の人間だったので、59年に香港映画会社「ショウブラザーズ」へ入社してから武術指導の際、トランポリン・アクションを導入されたのが始りだとされている。・・・まあこの頃日本映画界では先に述べた通り、黒澤監督の戦時中の映画「姿三四郎」ですでにトランポリン・アクションの萌芽が生まれていて、後にトランポリン・アクションをふんだんに取り入れライダー・アクションの原型を作った「柔道一直線」に出演した倉田保昭氏が香港へ渡り、「帰ってきたドラゴン」で「姿三四郎」に登場したトランポリン・アクション「二段投げ」をそのまま演出したりして、トランポリン・アクションを広め定着させていったという流れがある。つまり香港でも独自にトランポリン・アクションを演出していたものの、日本からの輸入があった事も事実なのだ!
                          
 私の映像作品取材では、富田常雄の柔道モノを「柔シリーズ」として映像化してきた「エクラン社」という所が60年代からトランポリンアクションをふんだんに演出してきたので、トランポリンアクションのパイオニアというプライドがあるから、取材を入れる時も、私の「ハリウッドの香港系の監督達が、『トランポリン・アクションは、全て香港映画が原点だ!』と言ってますので、その間違いを正すために取材したいのです!」という言葉が殺し文句になり、「そういう事ならドンドン書いて下さい!」と取材許可がスンナリ行えたのだった。 そして私の「宇宙船」連載企画のラストでは、やはり柔道本家の講道館にお出まし願おうと考え講道館に突撃取材!かくて「宇宙船」に「協力・講道館」の文字が載ったのも空前絶後の事となったが、講道館の資料書籍に「宇宙船」が並んだのも空前絶後の事となったのだった。
 で、ライダー・アクションの原型を作った「柔道一直線」に「指導・木村政彦」の名前があったので、その事を講道館幹部の方々に尋ねたら、講道館とは関係なく木村政彦七段のほうで大学柔道部の学生を使い、柔道技の模範を演じていたそうだ。
 ・・・しかし講道館のお偉方達が口々に「木村先生」と呼んでいた事に感動したな。木村政彦はその昔、「プロ柔道」を起こし、グレイシー柔術創始者・エリオ・グレイシーにも勝ち、現在の小川直也、吉田秀彦の先を行くパイオニアだったのだが、結果、当時の講道館と対立する形になってしまったからだ。それがやっと偉大な先人として講道館にも認められたと確信出来たからに他ならない。「プロ柔道」が興行不振でわずか半年で崩壊とか力道山との対決も、八百長前提で試合を受けたら、間違って入った急所攻撃に一方的に力道山にマジギレされ、ボコられてしまったり、暗黒世界との繋がりやら、マイナス面も多かった木村七段は、大外刈りを編み出した人物でもあり、「腕がらみ」も海外では「キムラロック」と呼ばれる程の当時最強の柔道家と云われていたから、その偉業もやっと講道館に認められたと思いたい。
                       
  写真左は、雑誌企画で再現した、講道館初期の稽古着。腕や膝を出した活動的なスタイルで、レスリングを意識した感じだが、起倒流柔術の練習着が元になったらしい。
  右は山嵐の再現。下は講道館の柔道創始師範・嘉納治五郎像と、姿三四郎のモデルとなった西郷四郎の柔道着。

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