【ビジネスで成功するマインドセット】伴走型メンターの随想

事業家・個人事業家に送る、ビジネスで仕事で大にしたいことをテーマに書きます。

人から得る学びも沢山あります。

2019-08-31 06:03:27 | 日記
人から得る学びも沢山あります。
その一方で人からの影響で本来の自分でない自分をつくり出してしまうこともあります。
 
強い自分でいよう!と思うけれども、

なぜ、強く生きたいと思うだろう
強いとはどういう意味なのか、
そして、どうしたら強くなれるのか。
 
教育者である山崎房一さんの「強くなろうと思うなら 」
気づきをもたらしてくれる好きなメッセージです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

強くなろうと思うなら、もっと自由になろう。

自分をしめつけている呪縛から自由になろう。

強くなろうと思うなら、人生の目的をもて。

強くなろうと思うなら、感謝を知れ。

強くなろうと思うなら、物事を善悪で見るより体験として見よう。

強くなろうと思うなら、他人に功をゆずれ。

強くなろうと思うなら、見えない基礎石となれ。

強くなろうと思うなら、自分を嫌うな、好きになれ。

強くなろうと思うなら、人をおそれるな。

強くなろうと思うなら、過去を捨てろ。

強くなろうと思うなら、未来を心配するな。

強くなろうと思うなら、開き直ってハラをすえろ。

強くなろうと思うなら、肩の力を抜いて、いつも笑顔を忘れるな。

強くなろうと思うなら、判断を早く、今に燃えろ。

強くなろうと思うなら、自分の運命は自分の手で、力いっぱいむしり取れ。

強くなろうと思うなら、神仏の力をお願いしよう。

強くなろうと思うなら、嫌な事でもまっすぐ進め。

たった一人でまっすぐ進め。

自分の力で扉を開け。

開く扉で世界が開く。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
目の前にあるのは壁ではなく、扉。








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相手が受け入れてくれるときは躊躇しない。

2019-08-30 05:50:19 | 日記
謙虚なのか、遠慮なのか、はたまたひねくれものなのか、

相手の好意を受け取らないのはもったいない。
 
かつての私は、そんなタイプの人間でした。

どうして素直に受け入れなかったのか?

今思うと…

・先を見て、今甘えるわけにはいかない、という辞退の気持ち。

 ⇒これは、起きてもいない未来に対する「恐れ」が「備え」というカッコつけに変わっていただけ。


・好意にもかかわらず、それを受け入れてしまうと弱い自分であることを認め、
 どこかに借りをつくったことになるという気持ち。

 ⇒これは単なる強がりであり、勝ち負け的な人との比較から来る心の弱さ。


・素直になれない、ひにくれもの。

 ⇒これは言うまでもありません、アホです(笑)。
 

謙虚、遠慮、もしくは斜に構えるのがカッコいいとは本心では思っていないけれど、
いずれにしても「ノーサンキュー!」が態度に出てしまうのは、心に余裕がないからでしょうか、

ストイックだ!と誤魔化したところで、ストイックであるべきだ!
と思えば思うほど弱い自分を表現していようでもありました。
 

長々書きましたが、要は、人から好意(厚意)はありがたく素直にいたただきましょう!ということです。

「これ、どうぞ!」

「ありがとうございます!」

でいきたいものです。
 
心の修行、続きます(笑)
 





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孤独を愛するなんて…家族、仲間に感謝!

2019-08-29 04:54:59 | 日記
部下は上司を選べない、とよく言われますが、上司も実際は部下を選べるわけではないので、

そうした中で、良い関係性が築けることは喜びであり感謝なのですが、、、

その良い関係性を築こうとしているか?
その意識を持ち行動すること、これ大事。

『良い上司(部下)に恵まれた』と言う人は、
良い関係性を築くことが出来る人を引き寄せているのだと思います、
「類は友を呼ぶ」とも言いますし。
 
話が少し変わって、

(年を重ねて)「孤独を愛せ!楽しめ!」と言われますが、
私はとてもとても孤独を愛すことなんて出来ません!
さびしがりやですから(笑)。

独りの時間を楽しむことはできますし、好きですが、孤独でいることには耐えられません。
 
そう考えますと、家族や仲間との関係はより大事であると深く感じます。

その関係がたとえどんなものであろうとも、つながりがあることに感謝であり喜びです。
 
家族のことや仲間のことで、少々悩ましいできごとがあったとしても、その存在があるからこそ、

そうした感情が起きるわけで、自分の目の前に何もなかったら、何も生じない…
 
良いできごと、嬉しい事だけを望む、
これは都合が良すぎますね(笑)。

色々とあっての日常であり、その日常、特に人との関係性においての日常がある、
これは大変ありがたいことです。
 
家族、仲間に感謝です!!
 




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正しい方向での正しいことを。

2019-08-28 05:44:29 | 日記
何が正しいことなのか、最後は自分で決めるしかありませんが…。
 
良かれと思ってやったことが、無駄に終わる、徒労に終わるということがあります。

それでも、その無駄、無益な苦労も、学び(気づき)となれば、
無駄ではなく次の飛躍のきっかけとなるかもしれません。

余談ですが、そういう意味では、チャレンジする、挑戦することは大事、いくつになっても。
 
 
良かれの行為・行動、それは世間一般で言う正しさもあるでしょうし、
自分の心の中にある正しさもあります。

しかし、自分の中にあるその正しさ・正義が、時にはやっかいになることも。

例えば、自分の考える行為が、人のために、会社のために、と思ってやったものの、
実はそれは不誠実、不正義であった、

自分の中でも薄々気づいていたけれども…。
 
 
正しい方向にむかって、正しいことをしてるか?

と冷静な心境の中で(心を落ち着かせて)、自分に問いかける、

その前に、正しい方向とは?正しいことは?

と意識し思考する、

迷いが生じた時に何度も何度も問いかける、

いつかはその迷いも生じなくなるように。 
 
  
京セラの稲盛さんが、こうおっしゃっています。
「人生の目的はどこにあるのでしょうか、もっとも根源的ともいえるその問いかけに、
 私はやはり真正面から、それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです」







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仕方なく受け入れるのか、積極的に受け入れるのか、それによって…。

2019-08-25 07:51:47 | 日記
出先で急に雨が降ってきて、

「ついてない!」

と思うのも束の間

「まっ たまには雨もいいか」

と起きたことを受け入れると感情の揺るぎが少なくてすみます。
 
いつまでも、「ついてない」とか「雨かよ~」と感じていても変わらないものは変わらない
(自然には勝てないですし、自分でコントロールできるのは感情位でしょうから)。
 
だから、自分の意にそぐわない事が起きた時の選択は2つ。
次への行動をあきらめる(止める)のか、受け入れるのか。
 
前者を選択する場合もありますが、
そのままずっと保留ということはありえないので、

別の行動を取るにしても起きた事に対しては何らかの受け入れをしなければなりません。
これはどちらかというと消極的な受け入れと言えます。
 
後者は、起きた事を「受け入れる」からはじまります。
そして、どうしようかと…

同じ受け入れるでも何が違うか。

後者である(積極的な)「受け入れ」することで、
心が穏やかなになります、少なくとも受け入れない状態よりも。

これが大きいと思います。

心が穏やかであるのとそうでないのとでは、行動の質が変わってくると思います。
時には判断の違いも生まれます。
 
めざすものがあればあるほど、その時々に起きる事に対して、
どのように受け止めるか、そしてそれをどう受け入れるのjか、

これを意識しておくと行動の違い・判断の違いをもたらすのではないかと実践中です(笑)。

まだまだやること沢山あります!








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モチベーションを下げるのも上げるのも自分。

2019-08-24 07:32:52 | 日記
世の中、理不尽、なんて非常な!と思うこと多々あります。

その一方で、救われた思い、ありがたい!と感じることも。

ただ、ありがたいことよりも自分の意にそぐわないことの方がより感情を揺り動かすかな?

いずれにしても、起きたことに対する反応は自分でしているわけですから

気分、感情、モチベーションなどの上げ下げは本来は自由自在なのかもしれません。


私は、イライラしたり憤りを感じた時は、

『自分のエゴが出ている!』と思うようにしています、

自分の思うようになっていないからイライラしたりするのだと。

世の中、自分の思い通りになるなんてことはそうそうないのに、

それも人に対してのイライラだとすれば、人を完璧にコントロールしない限りイライラは解消出来ない、

そんなことは無理な話で、

であれば、

自分の感情をコントロールをすることを意識し実践する方が精神的にも(おそらく肉体的にも)良いです。

感情をコントロールすると言っても、自分の心を支配するようなものではなく、

心を鎮め(静め)、平静な心を保つようにまずは意識する

私は、

「なんで、そんなにイライラしているのだろう」
「何に対して怒っているのだろうか
怒っている原因は何なのか?」

と自分を出来るだけ客観視したり、

時には、

「あっエゴが出てきた、いかん!いかん!冷静に冷静に!」

と心を静める努力をします。

それでも、違うシチュエーションで、イライラ・憤りが起きる…

まだまだです。
心の修行は続きます!







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「何か楽しいことないかなぁ~」と言ってうちは・・・

2019-08-23 05:32:52 | 日記
楽しいことをやって楽しくなるのは当たり前です。
(それでも、楽しくない!という人もいますが笑)

しかし、、、
その楽しいことが終わってしまったら
楽しさを感じなくなります。

これはある意味、受身の楽しさです。
 
これより以上に、、、
楽しもう!と思って何事も取り組んでみる。

これが結構難しい(笑)

それでも、始める前に「楽しもう!」と意識して始めてみる、

つまり主体的かつ積極的な意識と意思をもって取り組んでみる、
 
「楽しもう!」と。
 
すべてがすべて楽しく変わるわけではありませんが、

そうすることでちょいちょい景色(意識なんでしょう)が変わってきます。
 
嫌なことを「楽しもう!」と思い込ませるのとは違います。

どこかに楽しいことはないか?

楽しめることはないか?

と探るようなことが含まれています。
 
それ以上に、素直に率直に

「楽しもう!」と感じて取り組む、

これが出来たら最高です。
 
「しあわせは 歩いてこない

  だから 歩いてゆくんだね~ 」(365歩のマーチ)

です!笑




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未来をよくするために未来ばかり見ている?今を大切にすれば未来への憂いはなくなる?!

2019-08-22 05:52:01 | 日記
未来をよくするために未来ばかり見ている?今を大切にすれば未来への憂いはなくなる?!
 
と思うのです、なぜならば「今」の連続が未来への道ですので。

毎朝のウォーキングで「今」を大切に!と念仏です(笑)。
 
「未来」を考えないことではありません。
反対に未来を思うからこそ、今を大切にするということです。
 
私たちは未来に向かっているのではなく、未来がこっちに向かってきている、

時が過ぎる、経つということからもそれがわかります、

だから「未来」もやがて「今」に成るわけで、
その「今」が「今」にしか存在していないので、
その「今」を大切にしないと
先の「未来」(過去もですが)はよいものとならないという考えです。
 
今を大切にする…
本当に、真に、自分は今を大切にしよう!
と何度も何度も問いかけ心に刻んでいます。

果たして私の未来はどうなるのか?笑
楽しみです。
いいおっちゃんになっていることを願って!!







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いくつになっても礼儀は大切だが、それには心があってこそ

2019-08-21 05:48:27 | 日記
立場・役割が変わると急に態度までも変わる、ということがあります。

かつての私もそうだったと思います。

たとえば、役職が上に行けば行くほど、
自分も偉くなったと勘違いし、態度が横柄になったりと。

本質は何も変わっていないのに…
 
他方、相手(の立場・役割)を見て、つまり人を見て態度を変える人もいます。

たとえば、かつて部長だった人がそうでなくなったら、
その人に対するあのこれまでの低姿勢はどこに?

これはもう人を見てどころか…の話です。
 
その人の人間性はどこで出るのか?
 
いつも変わらない姿勢、誰とでも変わらない態度、
年を重ねれば重ねるほどこうありたいと思います。
 
礼儀礼節は大切!と、口で言うのは簡単ですが
いつも、変わらずに、継続してできるのは心あってのこと。

常に意識します。





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個別最適の追求には限界がある?

2019-08-20 05:49:42 | 日記
「One for all, All for one」というのがあります。
有名なラグビーの用語なので多くの人が知っていると思います。

私はラグビーをしたことはありませんが、好きな言葉で
目的(勝利)のために個も全員もあると解釈しています。

 
スポーツにしろビジネスにしろ、チームで取り組んでいく事が多い中、

最終的には「個」に返ってくるためにあるのだと思いますが、

その過程においては、何のためにそれを行うのか?
といった目的意識を共有化されているかどうか、

『そんなのあって当たり前だろ』と思いますが、

案外形骸化しすぎて、それが手段なのか目的なのかと
本来の目指すものが見えなくなり、

個別最適の追求ばかりしてしまっている、ということはよくあることです。
 

そもそも個別最適の追求は得意(好き?)だが、
全体最適を進めるのは苦手という人もいますが、

チームプレーをするとなったら、やはりそこはチームがめざし到達させようとすることに対し、
向き合い行動することが大事だと思います。
 
すべてを個人で完結できることがあったとしても、どこかに人の関係性が存在するものですから、
私は個別最適の追求には限界があると思っています。

 
チームメンバーで「One for all, All for one」していきたいです。

物心両面の幸福の追求をし、それを得て分かち合う
これでいきます。
 








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