あのNHKの台湾にかんする偏向番組をつくったのもおそらくは「戦後レジームそのもの」である団塊の世代が中心となった事は疑いない。
団塊の世代の定義としては、
最も広い定義としては、1946年から1954年までに生まれた世代である。この背景は:(1)第二次大戦後の復興期に生まれた事、(2)親が第二次大戦を経験した世代である事、(3)戦後教育の強い影響下にある事、(4)学生運動との関連、(5)高度経済成長期に「金の卵」と呼ばれた事など;多くの分野で共通する体験と、そこから生じた価値観を持つとされる。
(ウィキペディアより)
このなかでも「戦後教育の強い影響下にある事」がもっともネックとなる点ではないだろうか。
いうまでもなく戦争直後の学校教育は駐留米軍のもっとも強い統制を受けたはずである。旧来の日本の伝統文化はことごとく否定され、旧日本軍の行動は全て悪とされ、アメリカの占領軍は解放軍として日本国民に位置づけられた。
米軍の、日本の主要都市にたいする爆撃機による無差別攻撃、広島・長崎への核爆弾の投下、沖縄侵攻後の地上戦における殲滅行為など、戦闘行為においてほんらい民間人を対象にする事などあってはならないことであったのにもかかわらず、これら米軍のきわめてあきらかで深刻な戦争犯罪行為さえ旧日本軍の責任にしてしまうほどの、苛烈な教育を無垢な子供たち(=団塊の世代)にたいして行なったことは想像に難くない。
また団塊の世代周辺の人々の多くは「わたしは無宗教だから」という言葉を自慢げに口にする。つまりこうした人々は目に見えないものは信じないというわけである。そう言うことが何かインテリのように勘違いしているようにもみえる。しかし伝統的に日本人はカミ、ホトケ、先祖、など目に見えないものに敬意を払って生活してきたはずである。私の知る限り世界中で、宗教というか、目に見えない大切なものを否定する思想は共産主義だけである。
このように戦前から日本に存在して政府から弾圧をうけた(それが大日本帝国政府の極めて正しい選択であった事はいうまでない)日本国内の社会主義者やアナキストと、占領軍のなかに紛れ込んでいた共産主義者とが結束して当時の日本国民をまるごとオルグしたのは疑いのない事実なのである。
一例として、GHQにおいてマッカーサーの側近として重用されたE.ハーバート・ノーマンという民政官は筋金入りの共産主義者であったことは周知である。かれの晩年には米国におけるマッカーシズムの赤狩りにより、自殺に追い込まれているほどである。ソ連のスパイであったという説もあるそうだ。
ノーマンはハーバード大学のライシャワー教授のもとで日本学を研究した学者でもあったので、かれのようなGHQの有力者らは、一橋大学学長をつとめた都留重人氏らを筆頭として日本国内の共産党シンパの研究者、学者たちを続々と日本の学会に復帰させていったのである。そのために日本の有名大学において、ぞくぞくと左翼学者、左翼学生が量産されていったのである。(いうまでもなくこのことが、あの噴飯ものの学生運動につながっていく)
とうぜん大学に残って教職員になれるのも、このような共産党シンパの教授に好まれる、同傾向の思想をもった学生に限定されるというわけであり、そうした戦後の大学の左巻きの教授たちの弟子、そして孫弟子の教授に教えられた学生たちが、小中高の教師となって全国に散らばり、日教組を組織し、日本全体の学校教育を今日においても蝕んでいるわけである。
昭和39年生まれの私も当然、このような教師たちによる昔の日本は悪かったという自虐的な教育を受けてきた。私の父と母も小学校の教師であったので、当然私はそのような風潮の中で育った。家のなかには「教え子を再び戦場におくるな」などと書いてある鉛筆が転がっていたりしたが、いったいこれはなんなんだ、と思ったが、これは日教組のスローガンであった。いまおもえば祖国を守るために、教え子を泣く泣く戦場にもいかせねばならないこともあるはずだ。ソマリア沖の海賊から、日本の船舶の安全を守るため派遣されている自衛隊の皆さんがまさしくそのような立場であるはずだ。
ともかくまかりまちがっていれば私もそのような環境の中、共産主義とまではいかないが、左巻きの考え方になっていたかもしれないが、それを救ってくれたのが明治生まれの祖父の存在であった。
祖父は大東亜戦争の召集を受け、シナ戦線に一兵卒の衛生兵として参戦し、後半生は貧乏寺の住職として一生を送った極めて平凡な庶民であり、ことさら私にたいして何を教えるということもない無口な人であったが、「天皇陛下が日本で一番偉い」ということだけを私に教え、昭和天皇がテレビに登場されるとかならず居ずまいをただして正座し、大東亜戦争の事を取り扱った番組がはじまると普段は感情を表す事のない人であったが、男泣きに泣いた。それは無言の愛国心の教育となった。
このことからも明らかなように、天皇とは日本人にとってものすごい存在である。古くは南朝の義士、そして明治の元勲たち、日清日露、大東亜戦争を戦い抜いた先人たち。そして敗戦後の経済発展。私たちの愛国心の根元は天皇の存在を抜きにしては決して考えられないであろう。つまり国体=天皇ということだ。現代に生きる私たちにとって大東亜戦争末期、日本の軍人さん、兵隊さんが特攻という非常手段をもちいてまで守ろうとしたものがおのずと理解されるはずである。
団塊の世代の定義としては、
最も広い定義としては、1946年から1954年までに生まれた世代である。この背景は:(1)第二次大戦後の復興期に生まれた事、(2)親が第二次大戦を経験した世代である事、(3)戦後教育の強い影響下にある事、(4)学生運動との関連、(5)高度経済成長期に「金の卵」と呼ばれた事など;多くの分野で共通する体験と、そこから生じた価値観を持つとされる。
(ウィキペディアより)
このなかでも「戦後教育の強い影響下にある事」がもっともネックとなる点ではないだろうか。
いうまでもなく戦争直後の学校教育は駐留米軍のもっとも強い統制を受けたはずである。旧来の日本の伝統文化はことごとく否定され、旧日本軍の行動は全て悪とされ、アメリカの占領軍は解放軍として日本国民に位置づけられた。
米軍の、日本の主要都市にたいする爆撃機による無差別攻撃、広島・長崎への核爆弾の投下、沖縄侵攻後の地上戦における殲滅行為など、戦闘行為においてほんらい民間人を対象にする事などあってはならないことであったのにもかかわらず、これら米軍のきわめてあきらかで深刻な戦争犯罪行為さえ旧日本軍の責任にしてしまうほどの、苛烈な教育を無垢な子供たち(=団塊の世代)にたいして行なったことは想像に難くない。
また団塊の世代周辺の人々の多くは「わたしは無宗教だから」という言葉を自慢げに口にする。つまりこうした人々は目に見えないものは信じないというわけである。そう言うことが何かインテリのように勘違いしているようにもみえる。しかし伝統的に日本人はカミ、ホトケ、先祖、など目に見えないものに敬意を払って生活してきたはずである。私の知る限り世界中で、宗教というか、目に見えない大切なものを否定する思想は共産主義だけである。
このように戦前から日本に存在して政府から弾圧をうけた(それが大日本帝国政府の極めて正しい選択であった事はいうまでない)日本国内の社会主義者やアナキストと、占領軍のなかに紛れ込んでいた共産主義者とが結束して当時の日本国民をまるごとオルグしたのは疑いのない事実なのである。
一例として、GHQにおいてマッカーサーの側近として重用されたE.ハーバート・ノーマンという民政官は筋金入りの共産主義者であったことは周知である。かれの晩年には米国におけるマッカーシズムの赤狩りにより、自殺に追い込まれているほどである。ソ連のスパイであったという説もあるそうだ。
ノーマンはハーバード大学のライシャワー教授のもとで日本学を研究した学者でもあったので、かれのようなGHQの有力者らは、一橋大学学長をつとめた都留重人氏らを筆頭として日本国内の共産党シンパの研究者、学者たちを続々と日本の学会に復帰させていったのである。そのために日本の有名大学において、ぞくぞくと左翼学者、左翼学生が量産されていったのである。(いうまでもなくこのことが、あの噴飯ものの学生運動につながっていく)
とうぜん大学に残って教職員になれるのも、このような共産党シンパの教授に好まれる、同傾向の思想をもった学生に限定されるというわけであり、そうした戦後の大学の左巻きの教授たちの弟子、そして孫弟子の教授に教えられた学生たちが、小中高の教師となって全国に散らばり、日教組を組織し、日本全体の学校教育を今日においても蝕んでいるわけである。
昭和39年生まれの私も当然、このような教師たちによる昔の日本は悪かったという自虐的な教育を受けてきた。私の父と母も小学校の教師であったので、当然私はそのような風潮の中で育った。家のなかには「教え子を再び戦場におくるな」などと書いてある鉛筆が転がっていたりしたが、いったいこれはなんなんだ、と思ったが、これは日教組のスローガンであった。いまおもえば祖国を守るために、教え子を泣く泣く戦場にもいかせねばならないこともあるはずだ。ソマリア沖の海賊から、日本の船舶の安全を守るため派遣されている自衛隊の皆さんがまさしくそのような立場であるはずだ。
ともかくまかりまちがっていれば私もそのような環境の中、共産主義とまではいかないが、左巻きの考え方になっていたかもしれないが、それを救ってくれたのが明治生まれの祖父の存在であった。
祖父は大東亜戦争の召集を受け、シナ戦線に一兵卒の衛生兵として参戦し、後半生は貧乏寺の住職として一生を送った極めて平凡な庶民であり、ことさら私にたいして何を教えるということもない無口な人であったが、「天皇陛下が日本で一番偉い」ということだけを私に教え、昭和天皇がテレビに登場されるとかならず居ずまいをただして正座し、大東亜戦争の事を取り扱った番組がはじまると普段は感情を表す事のない人であったが、男泣きに泣いた。それは無言の愛国心の教育となった。
このことからも明らかなように、天皇とは日本人にとってものすごい存在である。古くは南朝の義士、そして明治の元勲たち、日清日露、大東亜戦争を戦い抜いた先人たち。そして敗戦後の経済発展。私たちの愛国心の根元は天皇の存在を抜きにしては決して考えられないであろう。つまり国体=天皇ということだ。現代に生きる私たちにとって大東亜戦争末期、日本の軍人さん、兵隊さんが特攻という非常手段をもちいてまで守ろうとしたものがおのずと理解されるはずである。