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つれづれなるままに

「過ちは繰返しませぬから」の違和感

2009-08-06 20:45:28 | 社会
いまから64年前の今日、米軍による広島への原爆投下によって命を落とされた皆さんに心から哀悼の意を捧げます。そしていまもなお原爆症に苦しんでおられるみなさん、心からお見舞い申し上げます。

ところで広島の平和記念公園の原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」と刻んである。

日本語の会話では、「私は」「私たちは」を主語として話すとき、普通これらの一人称としての主語は省略される事が少なくない。他人との対話において「過ちはくりかえしません」と発言した場合、類推されるこの言葉の主語は発言者、すなわち「私は過ちをくりかえしません」ということであると日本人はあたりまえに理解するであろう。

では公共施設である広島の平和記念公園のような場所に、「過ちは繰返しませぬから」という文章があるとすれば普通の日本人はこの言葉の主語をどのように類推するであろうか。少なくとも「アメリカ軍は過ちは繰り返しませぬから」と類推する人は皆無であろう。

このような公共の場所にある碑文の文章をみて、多くの日本人は「私たちは」過ちを繰り返しません、というように類推してしまうのではないだろうか。原爆を落としたのは疑いなく米軍であるのに、何か核兵器によって民間人を大量殺戮した事が、私たち日本人の責任に帰せられてしまうかのような印象を、この碑文がこれを見る人々に与えてしまうということは十分あり得る事だといえる。

このような疑問は昭和27年にこの碑が建立された当時からあったようで、当時の浜井信三市長は「原爆慰霊碑分の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と市会で答弁している。

その辺りの経緯は以下のサイトに詳しい。
http://homepage.mac.com/misaon1/hamayuu/hibunronso.html

特筆すべきは東京裁判の判事として日本無罪論をとなえた、ラダ・ビノード・パル氏がこの碑文に疑問表明し、
「『過ちは繰返しませぬから』とあるのは日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭。落としたものの手はまだ清められていない。この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が東洋侵略のために起こしたものであることも明瞭である。・・・」

それにたいしてこの碑文の決定に関わった広島大学の雑賀忠義広大教授がパル判事に「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」という内容の抗議文を送った。

パル判事は、いうまでもなく東京裁判の判事として日本のために唯一良心的弁護をしてくださった日本人の恩人とでもいうべきかたである。日本人の利益のために(パル判事はことさら恩着せがましく日本人のために裁判に参加したのではなく、それよりも法のもとにおける平等を理念としておられたそうであるが)裁判を戦ってくださった方に、あまりにも無礼な内容の抗議であり、この抗議にはパル判事としてもずいぶん困惑された事と思うが、この当時から日本の学会はこの左翼学者のような反日的日本人が跋扈跳梁していた事が類推できるのである。

この左翼学者や左翼勢力は、この碑文において「私たち日本人は過ちを繰り返しません」ということを表現したかったのに違いないのである。しかしそのように主語を明確にしてしまえば、いかに姑息な連中であろうとも周囲から非難されるのはわかりきっていたのである。

「『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。」という槯賀教授の考え方はとはなんということなのか。「原爆投下は広島市民の過ちである」、という事になってしまわないか。このような槯賀教授の言葉にこそ、広島市民は怒りをあらわにすべきではないか。「原爆投下は広島市民の過ちではない事」は明々白々な事実であることはいうまでもない。

この教授のいう「世界史民」などという概念は、世界中の民族や国家の伝統文化をすべて否定、抹殺してしまって、共産主義による革命一色に染め上げてしまおうというコミンテルンの活動理念そのものにほかならない。戦後の日本の学会はこのような恐怖の思想に支配されていたのである。
ではこの当時いわゆる世界市民の指導者であった、ソ連や中共では何が行なわれていたか。すなわちスターリンや毛沢東による少数民族国家への侵略、国内の政敵や反対勢力ににたいする粛清という殺戮の嵐が吹き荒れていたことをこの教授は認識していたのだろうか。もしもそのような事を知らずに、ノー天気に「世界史民」などというものを理想視していたのだとすれば、学者として恥ずべき事ではないであろうか。