三ケ根山の殉国七士墓の前で、同廟に祀られている陸軍の松井石根大将が崇拝しておられたという『観音経』を読誦して、4人でお参りする。三河湾を望む風光明媚な環境と、ともに観音経を読んでお参りするという清澄な雰囲気にみんなけっこう感動していた。
その後はこうちゃんのいきたかったという蒲郡の三谷温泉街にある、大聖寺大秘殿へむかう。
http://www.sukima.com/19_gama01_02/19daihi.htm
これはなんというか、上のサイトにも書いてあるが昭和の温泉旅行定番の「ハメのはずし場」のようなところで、いわゆる珍寺である。B級スポット好きにはたまらないかもしれない。が、私は苦笑の連続であった。
ふつう、京都でも奈良でも法衣を着ていれば、「どうぞ、どうぞ」と無料で拝観させてくれるものであるが、ここの受付のおばさんにはしっかりと入場料をとられてしまった。
しかし通常ならば一人1000円の入場料のところ、団体料金の800円にまけてくれたので、おばさんなりに気をつかってくれたのかもしれない。
お参りの後、おばさんがスイカくらいでかい抹茶茶碗でお茶を出してくれるのであるが、これを4人でまわし飲みするのもけっこう間抜けな絵であった。ちなみにお茶菓子の「もなか」のなかにはいっていた餅がちょっと固かったそうだ。(私は酒飲みなので、甘いものはあんまり、だ)
その後、三河湾に浮かぶ竹島にある竹富神社に参拝。ここはちょうど神奈川の江ノ島のようなところで、弁天様がお祀りしてある。一同バンド仲間で、芸能の神様でもある弁天様に喜んでお参りする。
この竹島の弁天様には、娘の初宮参りをお願いさせていただいた。おかげで娘はすくすくといい子に育っている。感謝、感謝である。ちなみに長男は松平東照宮。家康公のようにりっぱに成功してもらいたいという思いからだ。
弁天様といえば、私には不思議な体験がある。
むかし愛知県設楽町の山の中を車を走らせていたところ、細い渓谷にある清澄な小さな祠を見つけた。妙にその祠に惹かれるものがあったので、車を止めてお参りしてみたところ、弁天様がお祀りしてあった。
由緒書きを読むと、江戸時代に、この辺りから材木を伐り出すためにやってきた幕府の普請奉行が上野の不忍池の弁天様を分祀したものである、とあった。
その夜、夢の中で確かに弁天様と契ったと思った。甘美な体験であった。結婚前のことである。
後に、その祠が妙に気になったので、美酒をもってその祠を訪ねお参りし、神様とともにお神酒をいただいたりした。
やがて私は結婚し、その祠のことなどほとんど忘れてしまった。あるとき、たまたま山中のその弁天さまの祠のそばを通りかかったので、お参りしてみたところ、以前には清澄な雰囲気に感じたその場所が、ひどく「もの凄い」ものに変化しているように感じた。寒気がして、直感的にもうここには来てはいけないと感じた。
弁天様の嫉妬だろうか?それとも私が夢の中で「契った」と感じたのは狐狸のなすわざであろうか?
私のようなもののところに弁天様が好んでいらっしゃるとは思えないので、それはおそらく後者であろう。
その場所はたいそうな山の中にあるので、村人により祭祀が行われているとはとても思えない。上野の不忍池の弁天様から分祀されたというその祠も、放置されてきっと狐狸のすみかとなってしまったのかもしれない。
祠でも、お墓でも祭祀を絶やさないことが重要である。みなさんご先祖のお墓参りは是非行ってください。
さて、こうして楽しい秋の日のパワースポット巡りは終了した。
「精進落とし」は豊田のダイニングセラー1109にて開催。
現在こうちゃんと「着物でパワースポットを訪れる会」の結成を計画中である。
その後はこうちゃんのいきたかったという蒲郡の三谷温泉街にある、大聖寺大秘殿へむかう。
http://www.sukima.com/19_gama01_02/19daihi.htm
これはなんというか、上のサイトにも書いてあるが昭和の温泉旅行定番の「ハメのはずし場」のようなところで、いわゆる珍寺である。B級スポット好きにはたまらないかもしれない。が、私は苦笑の連続であった。
ふつう、京都でも奈良でも法衣を着ていれば、「どうぞ、どうぞ」と無料で拝観させてくれるものであるが、ここの受付のおばさんにはしっかりと入場料をとられてしまった。
しかし通常ならば一人1000円の入場料のところ、団体料金の800円にまけてくれたので、おばさんなりに気をつかってくれたのかもしれない。
お参りの後、おばさんがスイカくらいでかい抹茶茶碗でお茶を出してくれるのであるが、これを4人でまわし飲みするのもけっこう間抜けな絵であった。ちなみにお茶菓子の「もなか」のなかにはいっていた餅がちょっと固かったそうだ。(私は酒飲みなので、甘いものはあんまり、だ)
その後、三河湾に浮かぶ竹島にある竹富神社に参拝。ここはちょうど神奈川の江ノ島のようなところで、弁天様がお祀りしてある。一同バンド仲間で、芸能の神様でもある弁天様に喜んでお参りする。
この竹島の弁天様には、娘の初宮参りをお願いさせていただいた。おかげで娘はすくすくといい子に育っている。感謝、感謝である。ちなみに長男は松平東照宮。家康公のようにりっぱに成功してもらいたいという思いからだ。
弁天様といえば、私には不思議な体験がある。
むかし愛知県設楽町の山の中を車を走らせていたところ、細い渓谷にある清澄な小さな祠を見つけた。妙にその祠に惹かれるものがあったので、車を止めてお参りしてみたところ、弁天様がお祀りしてあった。
由緒書きを読むと、江戸時代に、この辺りから材木を伐り出すためにやってきた幕府の普請奉行が上野の不忍池の弁天様を分祀したものである、とあった。
その夜、夢の中で確かに弁天様と契ったと思った。甘美な体験であった。結婚前のことである。
後に、その祠が妙に気になったので、美酒をもってその祠を訪ねお参りし、神様とともにお神酒をいただいたりした。
やがて私は結婚し、その祠のことなどほとんど忘れてしまった。あるとき、たまたま山中のその弁天さまの祠のそばを通りかかったので、お参りしてみたところ、以前には清澄な雰囲気に感じたその場所が、ひどく「もの凄い」ものに変化しているように感じた。寒気がして、直感的にもうここには来てはいけないと感じた。
弁天様の嫉妬だろうか?それとも私が夢の中で「契った」と感じたのは狐狸のなすわざであろうか?
私のようなもののところに弁天様が好んでいらっしゃるとは思えないので、それはおそらく後者であろう。
その場所はたいそうな山の中にあるので、村人により祭祀が行われているとはとても思えない。上野の不忍池の弁天様から分祀されたというその祠も、放置されてきっと狐狸のすみかとなってしまったのかもしれない。
祠でも、お墓でも祭祀を絶やさないことが重要である。みなさんご先祖のお墓参りは是非行ってください。
さて、こうして楽しい秋の日のパワースポット巡りは終了した。
「精進落とし」は豊田のダイニングセラー1109にて開催。
現在こうちゃんと「着物でパワースポットを訪れる会」の結成を計画中である。
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