「心して聞け」という言葉がある。
今回は身にしみた。
睡眠不足のうえ、芸術劇場の公演前にいっぱいやってしまい、一曲目のminha voz,minha,vidaではがーんと来たものの、その後不覚にも小用にたった後はもう駄目だった。
目の前で最高の音楽が奏でられているにも関わらず、それを受け入れる器が全然なっていなかった。
大好きなdesde que samba e samba e assimやsampaが演奏されても駄目だった。
全部全部ぼくの責任だ。カエターノに失礼である事この上ない。
アンコールではプレスリーのラブミーテンダーやルイスボンファのカーニバルの朝までやってくれたカエターノのサービス精神に申し訳なく思う。すみません。
その後、ウルバナにいったのも悪かった。音が大きいだけの、ドラムががちゃがちゃのあまりにもひどい演奏を聴かされてしまったからだ。コンサートで知り合いになった人たちもウルバナに誘ってしまったが、来なくて正解だったと思う。ウルバナの雑音でカエターノの余韻が消えてしまった事は間違いないからだ。
それにしても平常であれば彼の声と演奏は腰がへなへなになるほど魅惑的なものだったろう。
また名古屋に来てくれる事を心から願っている。
今回は身にしみた。
睡眠不足のうえ、芸術劇場の公演前にいっぱいやってしまい、一曲目のminha voz,minha,vidaではがーんと来たものの、その後不覚にも小用にたった後はもう駄目だった。
目の前で最高の音楽が奏でられているにも関わらず、それを受け入れる器が全然なっていなかった。
大好きなdesde que samba e samba e assimやsampaが演奏されても駄目だった。
全部全部ぼくの責任だ。カエターノに失礼である事この上ない。
アンコールではプレスリーのラブミーテンダーやルイスボンファのカーニバルの朝までやってくれたカエターノのサービス精神に申し訳なく思う。すみません。
その後、ウルバナにいったのも悪かった。音が大きいだけの、ドラムががちゃがちゃのあまりにもひどい演奏を聴かされてしまったからだ。コンサートで知り合いになった人たちもウルバナに誘ってしまったが、来なくて正解だったと思う。ウルバナの雑音でカエターノの余韻が消えてしまった事は間違いないからだ。
それにしても平常であれば彼の声と演奏は腰がへなへなになるほど魅惑的なものだったろう。
また名古屋に来てくれる事を心から願っている。