黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

生体廃墟-大野一雄

2005-01-24 16:48:39 | コラム:アート・デザイン・音楽・映像
 

一昨日、久しぶりに大野一雄を観ました。
本来は大野慶人のミニ公演だったのですが、珍しく体調が良かったので、大野一雄も来たのでしょう。
大野一雄とは、日本舞踏界の第一人者で、土方巽と共に舞踏を世界に知らしめたその人です。
もう100才近いため、殆ど公演を行うことはできなくなってしまいましたが、それでも本人は健在です。

それにしても舞踏はなぜ廃墟のイメージと繋がるのでしょう?
土方巽大駱駝艦山海塾も、そして勅使河原三郎も、
それぞれまったくアプローチは違いながら、そのどれもが観るたびに常に廃墟を連想します。
人の息吹が十分に感じられる若い廃墟の土方巽、
さらにもっとわぎわぎとして体液を感じる麿赤子の廃墟、
逆に乾ききって、もう人の息吹を感じなくなった山海塾の廃墟、
そしてインダストリアル・エイジの廃墟、勅使河原三郎。

そんな中にあって、大野一雄の廃墟は、凄く身近であり、常にそこには花があります。
できる事なら、見る物を涙の渦に誘い込む、
生体廃墟-大野一雄の指先から咲く一輪の美しい花を、また観てみたいものです。



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3 Comments

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トラックバックさせて頂きました。 (セイ)
2005-01-27 16:44:55
はじめまして。

goo検索でお寄りしました。



個人的には、大野一雄は受けつけ、

土方巽は受けつけない、

なぜか自分でも謎。

これ、感覚体質、、とでもいうんでせうか、、、。
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ありがとうございます (Kurosawa)
2005-02-10 11:42:48
セイ様



トラックバックとコメント、ありがとうございます。



土方巽を受けつけない・・・

詳しく伺っていないので間違ってるかもしれませんが、

自分の感覚を思い出してもみても、そういう所はあります。

土方巽の舞踏は、

ある意味神経を逆撫でするようなところがあると思います。

ただそれと同時に、

その感覚は確実に自分の中にあって、

でも普段は眠っている、というよりは

あまり出てきて欲しくない感覚、

そんな印象も受けるのですが。



返信する
得心 (セイ)
2005-02-11 10:01:54
ああ、そういうことなのかもしれません。

共感覚とでもいうんでしょうか、混じりあう状態。

常には独立している感覚が『ないまぜ』になってしまって、

うろたえて自分のそれを受け入れ難いというか、、、。



お返事いただけるとは思いもよらず、

驚きました。ありがちうございました。
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