漕手のやんごとなき日常

~立教大学体育会ボート部の日常を漕手目線で~

6/8 Coxswain 2年 早川葵

2016-06-08 22:20:02 | 日記
こんばんは。
更新が遅れすみません。
2年COXの早川です。
最近は軽量級があったり、風邪をひいてしまって寝込んだり、Aフィールドに引越しをしたり、普段乗ったことがない人たちとクルーを組んだり、自分にとってたくさんの出来事がありました。今日は最近特に練習を通して感じること、COXをしていて考えることを書きたいと思います。

突然ですが、みなさんはCOXについてどう考えていますか?

COXになった時からなのですが、最近また “COXの存在意義” についてよく考えます。

ボートには “なし艇” と “付き艇” が存在します。同じクォドでも、“舵手付きクォドルプル(4×+)”と“舵手なしクォドルプル(4×)”の二種目があります。フォアやペアもそうです。なし艇で問題なく競技ができるのに、付き艇が存在することに疑問を感じませんか?これは“COXがいなくても成立する”ということです。

ではなぜ付き艇があって、COXというポジションがあるのでしょう?

わたしはまだはっきりとしたものを見つけることはできていません。居なくても成り立つこのポジションで、いかにその存在意義を見出すのか、なくてはならない存在になるのか、と考えさせられます。きっとこれはわたしがCOXをする上での課題となっていくのではないかと思います。

以前4年生のCOXである田沼さんが “自分のテーマは少しでも自分がチーム全体の艇速に貢献するというものです。チームにおける自分のポジションもMから+に変わり、できることはるかに増えたと思います。+を➕にできるくらいのコックスになりたい” と日記に書いていらっしゃいました。わたしはCOXになってからずっと、“自分にしかできないこと、なくてはならない絶対的な存在になりたい”と考えてきました。着実に進歩しているとは思います。陸から見る目も、艇の上での漕手の動きや艇の動きの感覚も、前よりは身についたと実感しています。しかし理想と現実はかけ離れていて、まだまだ理想への道のりは長そうです。こうしたいああなりたい、そんな想いばかり膨らんでいきます。その想いの中で、考えれば考えるほど、COXは深く難しいものだなと感じます。

call1つとっても、自分の表現したい漕ぎを短い言葉で “伝える” ことはとても難しいです。callして、イメージ通りの漕ぎや艇の動きをした時は“伝わった!これだ!”と思うこともあります。しかし反対に、漕ぎや艇の動きとしての反応がないことやマイナスに働くことも少なくありません。この時自分の存在意義や無力感を感じます。基本は変わりませんが、一人ひとりに合わせて、クルーに合わせて、そのクルーに沿ったCOXをする、ということもCOXの技量の1つなのかな、と大学に来て感じました。

艇に乗っていて、わたしの掛けるcallで艇の動きが変わったと感じられることが度々あります。その時は自分が4×+の “+” になれていることを感じることができます。乗り慣れたクルーであれば『このcallをかけたらどういう反応が起こる』と予測することが可能です。しかし、今の新しいクルーには初めて乗る人たちがほとんどという状況で、どのcallがどのように捉えられ、どう表現されるのか、艇の動きに繋がるのか、わたしにはまだ掴めていません。1日も早く、1部でも早く、癖や特徴を掴んで、その感覚を得たいと思います!

まだまだ拙いCOXで漕手の足を引っ張ることばかりですが、現在女子部にはわたししかCOXはいません。種目さえあれば出漕できることが決められたポジションですが、1番の敵は自分自身です。現状維持は退化です。COXの評価には数値的なものや絶対的なものがないからこそ、このチームに必要とされるCOXへと、進化し続けたいと思います。

まとまりのない長文ですみません、、、
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
次は2年漕手の林原です!