長野からたいして日が経っていないのですが、実家に戻ってきました。
先日急に連絡があり、祖母が入院したというのです。
慌てて準備をし、次の日の新幹線で息子と郷里へ向かいました。
その日はおじ達がお見舞いしたこともあり、私は次の日に息子を姉に預けて入院先へ。
母と一緒にナースセンターを訪ね、その隣にあるICUへ案内されました。
手指の消毒とマスクをして入ると、複数あるベッドのひとつに祖母が居ました。
数珠を持った手には紫の班が浮かび、昔と違って随分と痩せていましたが、面影はあります。
母が耳元で声を掛けるとうっすら目を開け、掠れながらも「よく来てくれたね」と声を出してくれました。
「おばあちゃん、私だよ。久しぶり」
「長いこと顔見せなくてごめんね。会えて嬉しいよ」
自然と涙が流れてしまいました。
ずっと気にしてはいたけど、いろいろと事情があって会いに行きづらい状況だったので、祖母の声を聞くのは随分と久しぶりでした。
本当は子供を見せたかったけれど、ICUには連れてこられませんでした。
結婚の報告と子供の誕生のことを伝え、姉の子供のことも伝えました。
祖母はうなづいたり、少し話してくれました。
一度、母が同じ事を何度も耳元で言うのでしつこく思ったのか、「わかったよ!」なんてちょっと声を荒げたところがあって「ああ、祖母らしいなぁ」と、笑ってしまいました
母が言うには今日は体調が良かったようです。
帰り際に手を握りました。
「ああ、あったかい」
と言ってくれた祖母の手は少し冷たかったです。
でも私がぎゅっぎゅと手を握ると、力強く握り返してくれました。
面会は5分ほどに制限されていた為、「また来るね」と言って笑顔で帰りました。
医師の言うことには、祖母はもう老衰で内臓が一部機能しておらず、気力で持っているのだそうです。
週末には他のきょうだいもお見舞いに行けたようで、ほっとしました。
小さい頃はよく家に遊びに行って、ご飯をごちそうになっていました。
買い物に連れ出してくれたときは、決まってある食堂へ連れて行ってくれて、そこでクリームソーダを注文するのが楽しみでした。
夏休みには従兄弟たちも来て、大勢で祖母の家に泊まり、川で遊んだり牡丹餅を一緒に作って食べました。
って、食べた話ばかりだなあ(笑)
あれから十数年。
戦争で自分の兄弟を失ったり、連れ合いや子供に先立たれたり、祖母は悲しい想いも沢山してきたでしょう。
だけど、大正から平成までずっと時代を生き抜いてきた結果、今、祖母には沢山の孫と、ひ孫までいます。
祖母のような強い女性がいたからこそ、連綿と人が繋がり続けてきたのでしょう。
子供をもったいま、祖母に深い尊敬を抱かずにおれません。
私は、祖母のようになれるのかな。
今の体調はどうだろう。
用事で既に東京に帰った私は、すぐにお見舞いに行けないから、申し訳なく思う。
明日、祖母にハガキを送ってみよう。
読んでくれるといいな。
先日急に連絡があり、祖母が入院したというのです。
慌てて準備をし、次の日の新幹線で息子と郷里へ向かいました。
その日はおじ達がお見舞いしたこともあり、私は次の日に息子を姉に預けて入院先へ。
母と一緒にナースセンターを訪ね、その隣にあるICUへ案内されました。
手指の消毒とマスクをして入ると、複数あるベッドのひとつに祖母が居ました。
数珠を持った手には紫の班が浮かび、昔と違って随分と痩せていましたが、面影はあります。
母が耳元で声を掛けるとうっすら目を開け、掠れながらも「よく来てくれたね」と声を出してくれました。
「おばあちゃん、私だよ。久しぶり」
「長いこと顔見せなくてごめんね。会えて嬉しいよ」
自然と涙が流れてしまいました。
ずっと気にしてはいたけど、いろいろと事情があって会いに行きづらい状況だったので、祖母の声を聞くのは随分と久しぶりでした。
本当は子供を見せたかったけれど、ICUには連れてこられませんでした。
結婚の報告と子供の誕生のことを伝え、姉の子供のことも伝えました。
祖母はうなづいたり、少し話してくれました。
一度、母が同じ事を何度も耳元で言うのでしつこく思ったのか、「わかったよ!」なんてちょっと声を荒げたところがあって「ああ、祖母らしいなぁ」と、笑ってしまいました
母が言うには今日は体調が良かったようです。
帰り際に手を握りました。
「ああ、あったかい」
と言ってくれた祖母の手は少し冷たかったです。
でも私がぎゅっぎゅと手を握ると、力強く握り返してくれました。
面会は5分ほどに制限されていた為、「また来るね」と言って笑顔で帰りました。
医師の言うことには、祖母はもう老衰で内臓が一部機能しておらず、気力で持っているのだそうです。
週末には他のきょうだいもお見舞いに行けたようで、ほっとしました。
小さい頃はよく家に遊びに行って、ご飯をごちそうになっていました。
買い物に連れ出してくれたときは、決まってある食堂へ連れて行ってくれて、そこでクリームソーダを注文するのが楽しみでした。
夏休みには従兄弟たちも来て、大勢で祖母の家に泊まり、川で遊んだり牡丹餅を一緒に作って食べました。
って、食べた話ばかりだなあ(笑)
あれから十数年。
戦争で自分の兄弟を失ったり、連れ合いや子供に先立たれたり、祖母は悲しい想いも沢山してきたでしょう。
だけど、大正から平成までずっと時代を生き抜いてきた結果、今、祖母には沢山の孫と、ひ孫までいます。
祖母のような強い女性がいたからこそ、連綿と人が繋がり続けてきたのでしょう。
子供をもったいま、祖母に深い尊敬を抱かずにおれません。
私は、祖母のようになれるのかな。
今の体調はどうだろう。
用事で既に東京に帰った私は、すぐにお見舞いに行けないから、申し訳なく思う。
明日、祖母にハガキを送ってみよう。
読んでくれるといいな。