2005.10.17号の敬天愛人第3講についてです。
本講では、南洲翁遺訓第5条、第4条、第19条の3つが取り上げられていました。
まとめると以下の3点について説明してあったような気がします。
1)「志とは辛いこと苦しい目にあって初めて固まるものであり、男子の本懐は志に玉となって挑み、砕けるのも厭わぬ勇気である」という逆境に対する気構えと志への取り組み方について
2)「貪欲が正道を外す」という社会的使命を帯びた指導者にとって私利私欲を追求するのではなく、無私の精神を持つことの重要性
3)「主君・臣下ともに自分が完璧だと思っているときには世の中はうまく収まらない」という謙虚さの大事さ。
辛いとき苦しいときなどネガティブなときにも自分を勇気で奮起せず、今の自分でいいと思ってしまえば、志を忘れてしまう。調子がいいとき・幸せなとき・結果が出たときには謙虚になって気を引き締めなければ、傲慢になり、志を忘れてしまう。
その両面を説いていると思います。
そして、私利私欲のない無私の精神で使命に取り組むこと。
まあ、言葉にするのは簡単ですが、実行は本当に難しいですね。
あとは、無私という言葉の意味するところの認識かな。
僕は、自分の私利私欲を追求することで得られる推進力というか成長力というか爆発力は否定はしないし、それはそれですごくいいと思うんですよね。
ただし、組織は一般的に、一人の人間の利益や欲求のみを追求するために存在しているケースは少なく、組織の持つ使命を果たすために存在していると思うんです。したがって、組織の指揮官は、自分の私利私欲ではなく組織の使命を果たすために身を投げ打つ事を第一義と捉えるべきだと思います。
自分の私利私欲と組織の使命にコンフリクトが起きたときは、私利私欲を捨てるか、指揮官を辞めるか、二択だと思います。
指揮官は、無私の精神で突っ走って結果を出した後に、自分にとってのリターンは後からついてくるんじゃないかと思います。結果を出す前にリターンを求めちゃ駄目。
南洲翁遺訓いちいちいい事書いてあると思う。
しかし、実行は本当に難しい。
そして、難しいからこそ挑む価値あり!
一歩ずつ前に進もう。
本講では、南洲翁遺訓第5条、第4条、第19条の3つが取り上げられていました。
まとめると以下の3点について説明してあったような気がします。
1)「志とは辛いこと苦しい目にあって初めて固まるものであり、男子の本懐は志に玉となって挑み、砕けるのも厭わぬ勇気である」という逆境に対する気構えと志への取り組み方について
2)「貪欲が正道を外す」という社会的使命を帯びた指導者にとって私利私欲を追求するのではなく、無私の精神を持つことの重要性
3)「主君・臣下ともに自分が完璧だと思っているときには世の中はうまく収まらない」という謙虚さの大事さ。
辛いとき苦しいときなどネガティブなときにも自分を勇気で奮起せず、今の自分でいいと思ってしまえば、志を忘れてしまう。調子がいいとき・幸せなとき・結果が出たときには謙虚になって気を引き締めなければ、傲慢になり、志を忘れてしまう。
その両面を説いていると思います。
そして、私利私欲のない無私の精神で使命に取り組むこと。
まあ、言葉にするのは簡単ですが、実行は本当に難しいですね。
あとは、無私という言葉の意味するところの認識かな。
僕は、自分の私利私欲を追求することで得られる推進力というか成長力というか爆発力は否定はしないし、それはそれですごくいいと思うんですよね。
ただし、組織は一般的に、一人の人間の利益や欲求のみを追求するために存在しているケースは少なく、組織の持つ使命を果たすために存在していると思うんです。したがって、組織の指揮官は、自分の私利私欲ではなく組織の使命を果たすために身を投げ打つ事を第一義と捉えるべきだと思います。
自分の私利私欲と組織の使命にコンフリクトが起きたときは、私利私欲を捨てるか、指揮官を辞めるか、二択だと思います。
指揮官は、無私の精神で突っ走って結果を出した後に、自分にとってのリターンは後からついてくるんじゃないかと思います。結果を出す前にリターンを求めちゃ駄目。
南洲翁遺訓いちいちいい事書いてあると思う。
しかし、実行は本当に難しい。
そして、難しいからこそ挑む価値あり!
一歩ずつ前に進もう。
南州翁を敬愛してやまない経営者は多いですね。
敬天愛人の思想は現代経営にも通じるのでしょう。
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