夢への道筋

青臭いけど、人が夢の実現のために発揮できる力って無限。夢を実現するための方法論について徒然なるままに。

夢を実現するために必要な人間としての基礎的な力

2005-09-23 11:34:10 | ちょっといいはなし
数年前にテレビで見たのですが、イタリアの高校教科書には以下のようなことが書いてあるらしいですね。

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指導者に求められる資質は、次の五つである。
知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。
カエサルだけが、このすべてを持っていた。
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人として求められる能力や資質というのは、職業、職種、立場によって異なるのかもしれませんが、上記の5つの資質は普遍的に必要ではないでしょうか?カエサルのような大政治家ではなくても。

 ビジネスマンでもスポーツ選手でも学者でも学校の先生でも子供の親でも、人に感動を与える人、尊敬される人、信頼される人って、上記の5つの資質のバランスが取れてる人だなって常々思います。成功する人間に求められる普遍的な要素なんだと思うんです。

この言葉を使ってカエサルのことを表現した人もすごいし、いまだにこの言葉を語り継がせているカエサルの功績は本当にすごいなあと思います。

そんなことを考えながら、この5つの資質それぞれの具体的な合格条件って何なんだろうって考えたことがあるのですが、合格条件を普遍化するのは結構難しいなあと思いました。合格がどうかはその人が担っている役割だったり、背負っている使命、目指している目標によって違うと思います。

 合格条件を低く設定してしまう人は、やはりそこまでのレベルまでにしか一生を通じても到達できないと思うし、高く設定している人は結構な高みにいけると思うんですよね。

 合格条件を高く設定している人って、結局のところ夢が大きい人ですよね。次元はいろいろあると思うんですが。高校球児であれば、県大会1回戦を突破できればいいと思っている人と、甲子園で全国制覇を目指している人って違うと思うし、大学受験であれば偏差値40の大学目指している人と、偏差値70の大学目指している人は受験という世界では全く違う評価になると思う。車も中古の軽自動車買えればいいやと思っている人と、絶対にフェラーリの新車買えないといやだって言う人だと違う生活を送ってそうだし。
 もちろん、一位になれればいいとか、偏差値高ければいいっていう単純な比較で人間としての基礎的な力が高いか低いかが決まるわけではないです。ただ、受験でも野球で持っている車でもなんでもいいのですが、自分なりのこだわりとか達成したい目標とか守りたいものとか、強い目的意識を持っている人はやっぱ強いです。

'Boys Be Ambitious'(青年よ、大志をいだけ)
改めて、いい言葉ですよね。高い志のある・ないって本当に大事だと思うんです。大人になればなるほど。

カエサルは、高い志を持っていたので、「知性・説得力・肉体上の耐久力・自己制御の能力・持続する意志」すべてを持っていたんじゃないのかな。あなたやあなたのまわりの人の5つの資質はどんなレベルにありそうですか?日々日常を忙しく過ごしているとついつい見落としがちですが、僕は自分の基礎的な力はこの5つの資質の軸で評価できると思うんです。あなたなりに自分の視点で考えてみてください。
 夢に向けた推進力が落ちてるときって5つのどれかが弱ってると思うんですよね。バランスよく力をつけなければいけませんね。
 ちなみに僕は、5つの資質それぞれに対して、「今年の合格条件は○○」みたいなことを勝手に目標設定しています。何かは恥ずかしいので秘密ですが。もう9月だからそろそろ来年の目標も考えなきゃ。

「言うは易し、行うは難し」
頑張ろう!

「逃げない」こと、「諦めない」こと

2005-09-17 09:26:57 | ちょっといいはなし
 夢を実現したり、目標を達成していく上で僕が痛感していることは「逃げない」こと、「諦めない」ことの大切さです。今日はそのことについて詳しく話をしてみようと思います。

 何かを成し遂げようとすると、たくさんの障害と出会うことになります。そのハードルにどう取り組むかがとても肝要です。人間は障害に遭遇すると見て見ぬ振りをしたり、現実逃避する傾向にあるのではないかと思います。特に遭遇した障害が大きければ大きいほど。

 僕も障害に遭遇したときは、ともかく一目散に逃げたい一心でした。「でした」というのは、今は違う考え方に自分の意識を変えたからです。ただし、まだ全ての障害に対して、逃げないのか、諦めないかは分かりませんが、意識を変えてから今日まではなんとか心の上では逃げず諦めずに行動し、今を楽しむことにしています。なぜならそれが成長のまたとない機会だからです。結果として十分な成果が出てないことは多々ありますが…。また、正直キャパを超えちゃったときは逃げ腰になる悪い癖はまだ残っちゃっていますね。
 しかし、勝負事で逃げ腰になると勝てることはまずないですね。負け方も相当悲惨な負け方になることとが多いと思いますね。気をつけなきゃ。

それでは、まずは、意識を変えることが出来たエピソードから。

 僕は、2001年3月期までは今の会社の副社長でした。時はネットバブル。未公開ITベンチャーの株式公開キャピタルゲインを見込んだ巨額の資金が溢れんばかりに日本中を駆け巡っていました。売り上げ一桁億円の会社(今では日本中の人が知っている会社も多々あります)が数百億円の資金を株式公開時に調達して時価総額も3桁億円を超えている事例も複数ありました。うちの会社も2桁億円に届く金額の資金を公開前だったのですが、調達することができました。
 それまで資本金が億に届いておらず、売上げも億に届いてやっとちょっと億プラスαになったばかりの会社が2桁億円のお金を未公開にもかかわらず調達してしまっていたのです。資金調達を担当していた当時の社長の投資家を惹きつけた力量は今更ながら感心しています。
 その資金調達によって事務所も移転しました。結構広くて新しいきれいな事務所です。それまでお世話になっていた筆頭株主だった某大企業のビル内にあったちょびっと古めの事務所とは大違いでした。家具も筆頭株主の企業さんにお借りしていたのが全て新調。引越しにはかなりのお金を使いました。従業員も大幅に増やしました。ベンチャーらしくもなく身の丈の合わない大手の人材派遣会社から契約社員も雇いました。そして、致命傷になったシステムに対する超大規模な投資も行いました。役員の生活も同年代の会社勤めの人たちと比較すると、少し贅沢になりました。洋服、食事、遊び、住居。身の丈に合わない資金を持って使っているうちに、謙虚さがなくなりました。慎重さもなくなりました。そのときはリスクを取ることが美徳だという片方向的な意識が強調され、当然考えるべきリスク回避策も考えないことが黙認され続けてしまいました。今まで扱ったこともない大きなお金に僕自身も役員としてのそれまで持っていた価値観・経験は全く役に立たない機能不全の状態に陥りました。
 そうこうしているうちに、会社の支出構造だけは大きな資金調達をした会社に見合ったものになる一方で、売上げは従来どおりという危機的な状況が続きました。当然ながらその状況は長く続く訳でもなく、すぐに会社の存続が危ない状況が続きました。当時はまだネットバブル絶頂の時期で投資したがっている人はたくさんいたので、可及的速やかに再調達しようということになりました。が、既に役員が自分たちではコントロールできない状況に陥っているのは、投資する立場の人からみれば明らかで、彼らにその状況を見透かされてしまい、再調達の試みは全て失敗しました。翌月で資金ショートという倒産寸前の事態に直面しました。
 そこから起こったことは本当にいろいろあったので、割愛させてもらいますが、結果として、生まれてはじめて本格的な「経営責任」というものに直面しました。

 既に役員報酬は全役員無給の状態でした。少なくない報酬をちょっと前までもらっていたので、きちんと貯金をしていれば、ある程度しのげたはずなのに、私生活のコスト構造もゆるくなってしまっていた自分は、金欠による焦りや恥で心の余裕がなくなり、冷静な思考ができなくなりはじめました。それまで仕事以外では我慢をしたことがあまりなかったのですが、私生活でいろいろな我慢を強いられました。
 また、会社は当然のことながら不信感で覆われました。労使というか従業員と役員の間の不信感・不透明感はこれ以上ないものとなり、役員の間でも心の余裕がなくなってきたことから、価値観の違いや会社に求めるものの違いが深刻になってきて、もう一緒にやるのは無理かなー?って状況に陥りました。役員と従業員間、役員間が一番力を合わせなければいけないのに何をやっていんろうだろう?という惨めな気持ちでいっぱいになりました。仕事を始めて最も大きく、かつ、深刻な敗北感を感じた一瞬でした。このままこの会社は、僕の人生は、どうなるんだろう?と意気消沈していたある日、毎晩行っていた事態打開のための有志のミーティングである人から突然「社長はお前がやれ」と言われました。その人は別に取締役ではなく僕を社長にする権限を持っている人ではありませんでした。

 資金調達を開始して自分たちの会社にもネットバブルの余波がきてから、ぶっちゃげ当時の僕は経営者として会社を制御できておらず、現場スタッフの一員的な働きしかできていませんでした。そんな中、これまで経験したこともない損失を出している会社の取締役として機能するかどうかも自信が全くありませんでした。「もはや取締役を辞任して責任を取ろう」と考え始めていたところでした。責任といえば聞こえはいいかもしれませんが、その状況から逃げたくて逃げたくてしょうがなく、諦める直前の精神状態でした。そんなときに、この話が出てきました。その話が出るまでは、この状況が本当に嫌で苦でしょうがなくいつ抜け出せるのか?早くこの状態が終わって欲しい!そればっかり考えていたのですが、「社長になれ」という一言で目が覚めました。

 固辞しそうな状況だったのですが、「もしかしたら、これはチャンスかもしれない。ここまでのピンチは狙ってもそうそう陥るチャンスはない。これを乗り切れたらかなり成長できそうな気がする。どうせなら受身でこの状況から抜け出すのではなく、社長として最高責任者として自分でピンチを乗り切ってみたら得られるものは大きいのではないか?どうせ今が最悪だからこれ以上状況が悪くはなりはしないだろう」不思議とそんな気持ちが沸々と湧いてきました。純粋に株主に結構な投資をしてもらったのに、何もお返しできないのは株主に任命していただいた取締役の立場として、ともかく情けなく、辛かったという気持ちも強かったですが。。。
 そう思ったら吹っ切れました。真っ暗だった気持ちにも少しずつ光が差し込んできました。役員・社員・株主などいろいろな関係者の皆さんの協力もあり、なんとか会社は倒産せずにすみました。僕がその中で出来たことはわずかだったかもしれないのですが、どん底だった気持ちからちょっとずつエキサイティングな気持ちに変わり、なぜか分からないのですが今までにないモチベーションを持つことが出来たような気がしました。その過程で自分の社会人として経営者としてプロとしての至らなさを痛切に感じ、また一方で周りの人たちの協力や優しさのありがたさが心に染み入りました。

 会社の存続がこのままでは難しいという確定的な判断をしてから、なんとか最悪の状況を乗り切るまで半年に満たない約数ヶ月というすごい短い期間でした。嵐のような毎日だったのですが、嵐に吹く飛ばされないよう一つだけ自分の心の中で唱えていた言葉がありました。それが「逃げない」という言葉でした。あの当時は正直言って仕事出来ていることの方が少なく出来ていないことだらけで反省だらけだったのですが、「逃げない」ことを行動規範の中核においた判断だけは手前味噌で申し訳ないですが立派だったと思っています。現実逃避をせずに真正面から受け止め、この状況をなんとか打開してやろうと自己洗脳しました。会社の役員としては当然といえば当然で、義務を果たしただけですけどね。「もう何が起きても逃げない」。それだけを当時は考えていました。そうこうしているうちに本当に代表取締役社長に就任しちゃっていました。


意識を変革したエピソードは以上です。

 
 当時「逃げない」という言葉を心に唱えるときはいつも同じ映像が頭に蘇っていました。それは、漫画のスラムダンクで湘北高校の安西監督が何回か言っていた「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という台詞のシーンです。
  スラムダンクはそれまで大学時代に週刊誌で読んでいたのですが、大学時代は毎週月曜日のスラムダンクが楽しみで楽しみでしょうがなく、あまりにも唐突に連載が終わったときは喪失感でいっぱいでした。それだけに記憶に鮮明に残っていたのだと思います。

 その台詞は、何箇所かで使われていたのですが、一番印象に残っているのは、山王工業戦で絶体絶命のピンチでベンチにいる桜木花道にオフェンスリバウンドの策を授けているところのシーンです。そのシーンがが特に頭に思い浮かびます。

 一般的に逃げ始めると、逃げること、もしくは、現実を否定することのみに神経が集中し、本質的に考えなければいけないこと、やらなければいけないことに意識が集中しなくなります。
 勝利することに諦めをいだいているからです。この山王工業戦のこのシーンでは、桜木をベンチに下げた時点から安西監督はなぜ湘北がここまで山王にひどくやられているのか?という現状分析が出来ており、その現状を打破する「オフェンスリバウンド」という答えを用意しており、その策を当事者の桜木に納得させ、桜木もその指示通りに素晴らしい働きをして、反撃のきっかけをつかみました。この安西監督と桜木花道は現状から逃げず、諦めず、自分たちの使命を果たしました。
 僕はこのシーンを思い出すことでどんなにピンチに陥っても「今のこの状況において【オフェンスリバンド】は何だろう?」というように打開策がないかどうかを心の中で唱えることを心がけています。

 こういうと事業においては撤退しないことが正しいのか?と誤解される人がいるかもしれませんが、「撤退」と「逃げる」こと「諦める」ことは次元が異なります。根本的に何が違うかというと「勝利」の定義です。勝利の定義には5W1H(Why、What、Who、Where、When、How)の前提が必要です。

 歴史好きの人はご存知かもしれませんが、「金ヶ崎の戦い」で信長軍は撤退しました。信長の「勝利」の定義が、元亀元年(一五七〇)に朝倉義景の首を取り朝倉氏の勢力をぶっ潰すことのみであれば、この撤退は勝利から逃げたし、勝利を諦めたことになったんだと思います。
 ただ、織田信長の勝利は、「天下布武」であり、それにつながる一連の戦略を実行し、戦乱の世を終わらせ新時代を迎えることだったのだと思います。したがって、織田信長は朝倉家をぶっ潰すことは一時中断しても生き永らえる必要があったし、戦力の損失を最小化する必要がありました。
 織田信長は天下布武から逃げなかったことで「金ヶ崎の戦い」では撤退を選択したんだと思います。天下布武が彼にとってどうでもよくて、元亀元年に朝倉義景の首を取ることが最終目的だったのであれば、歴史はまた別の結果に終わったことでしょう。

 逃げない・諦めないためには、何が大事なのか?何が勝利なのか?という命題に答えが出ていることが前提になります。その命題に答えが出ていないと何から逃げないのか?何を諦めないのか?の「何」に答えが出ていないことになり、決断そのもの意義がよく分からないものになってしまいます。会社経営においても、人生の選択においても「何」が大事なのか?勝利なのか?何から逃げたくないのか?何を諦めたくないのか?はっきりと明確にする必要があります。明快に答えられない人が多いのではないでしょうか?真剣に何かに取り掛かる前にしっかり心の整理をした方が時間の無駄がないと思います。
 
 僕は組織においても個人においても逃げてはいけないもの・諦めてはいけないものは「夢」なのではないかと思います。アメリカ独立宣言日本の憲法の前文にも、実現したい夢がしっかりと表現されています。アメリカのキング牧師の有名な"I Have A Dream"というスピーチも明快ですよね。
 夢は漠然としたものより5W1Hが明確なほうが、揺るがないものになります。特に大勢で夢を共有するケースでは単純かつ明確なほうが、何から逃げてはいけないのか?何を諦めてはいけないか?という問いかけに対して揺るがない方向性を示すことができると思います。
 価値観が多様化し目まぐるしく変化する現代社会では国も地域も企業も学校も個人も同じ夢を共有するには難しい局面に立たされているのではないかと思います。しかし、しっかりとこの問題を突き詰めた考えた組織や個人のみが夢を実現し、真の幸せを掴むことができると思います。

 何から逃げてはいけないのか?何を諦めてはいけないのか?しっかり意識して一日一日を大切に過ごせば、夢には一歩一歩近づいているのではないでしょうか?

「言うは易し、行うは難し」
頑張ろう!

「痛感」という言葉

2005-09-15 14:07:01 | ちょっといいはなし
「痛感」という言葉について考えていました。

利用例はいろいろありますよね。
1.歯が痛くなってしまい、痛みが気になってしょうがない。歯磨きの大事さを痛感した。
2.二日酔いで翌日身動きが取れなくなってしまった。自己管理の大事さを痛感した。
3.あいつとは、この問題に対して、こんなに認識が違っていた。対話の大切さを痛感した。

辞書では、下記の通りです。
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[名](スル)強く心に感じること。身にしみて感じること。「力量の差を―する」
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プロかどうかを判断する基準の一つに、仕事上で生じる様々な出来事に対して「痛感」できるかどうか、というのがあると思います。プロとしての仕事は、経験・技術などその職業に特有の個別の能力を高めることも当然大事です。でも、それ以上に、自分の使命を果たす過程で遭遇する様々な出来事に対して、「痛感」できる素地が整っていることが大事ではないかと考えました。今日は「痛感」について詳しく話をしたいと思っています。

僕が最近痛感したことは、たとえば以下のようなことです。
1)ビジョンを浸透させる重要性を痛感した
2)方向性を共有できていないリスクを痛感した
3)継続することの必要性を痛感した
4)強い信念を持ち続けることの難しさを痛感した
5)当たり前のことを当たり前にやることの大切さを痛感した

これも言葉としては、「ふーん」って感じかもしれませんが、たとえば、この言葉に対してどれだけ痛感できるかどうかで、その人の状況が分かるのではないかと思います。頭だけで聞いて理解することと、心の奥底から身にしみて感じることでは天と地の開きがあると思います。

 たとえば、仕事でミスをして、お客さんや上司から目茶目茶怒られたとします。怒られたことに対して、このミスがお客さんに対してどういう影響があり、その結果、自分たちの会社や部署に対してどのような影響があるのか、をしっかり考える新人A君と考えない新人B君がいたとします。
 影響をしっかり考えるA君は、「どうして怒られたのか?」まずは理由を正確に把握しようと動き出します。把握した結果、「あー、なに、俺、こんなにヤバいことしてたの?!」そう思うに至りました。その思いに嘘偽りがなくしっかりそう思えたA君は、「もう二度とこんなミスはしたくない!」という気持ちになり、そのおもいが行動にあらわれ、「ミスはしたくない」という強い意志を持つだけでなく同じミスはもう二度としないような対策をしっかり立てます。そうすることで、完全にミスを撲滅します。また、A君には、怒ってくれたことで気付かせてくれたお客さんや上司には、感謝の気持ちも芽生えてきます。また、A君はこの会社で働けていることも有意義に感じます。同じミスをしないA君には新しいチャンスが生まれ、今度は今までとは違うミスをしてしまっても、同じ取り組みをして乗り越えていきます。成長のスパイラルに入ります。
 しかし、影響に対して興味がないB君は、「なんで俺が怒られなきゃいけないんだ?」と怒られている自分をかばいに入ります。「あー、なんで俺はこんなうるさい客の担当になっちゃんたのかなー。担当を変えてくれないかなー。」とか「なんで俺はこんなに怒る上司の下に組み込まれたのかなー。配置を換えてもらえないかなー。」とか自分のせいなのに原因を他のことに転嫁します。「ミスなんて誰でもするのになー」とか甘えはじめたり、「ミスの起きないマニュアルや仕組を作っていない会社が悪いのに、なんで俺が怒られるのよ」とかどんどん主体者意識をなくします。「原因は他人にある」という思考に傾きます。B君は、この精神状態のままだと当然同じミスを繰り返します。また、B君は当然怒ってくれた人に対して、感謝の気持ちなど湧く余地がありません。また今の会社にいることの意義も給料を貰っていること以外は特に感じません。
 この二人、どっちが成長するかは一目瞭然ですよね。A君は「痛感」できる人、B君は「痛感」できない人。一週間で同じ40時間働いていたとしても、A君とB君の差は歴然です。1年、3年、5年、10年でこの二人の差がどうなるかを考えるととても怖いですよね。自分が採用担当者であればどちらを採用するかは明確だし、自分が上司であればどちらに部下になって欲しいかは明確だし、お客さんの立場でもどちらに仕事を発注したいか明確だし、自分が部下だとしたらどっちに上司になってもらいたいかも明確だし、自分が取締役ならどっちをCEOにしたいか明確だし、自分が株主ならどっちを取締役に選ぶか明確ですよね。誰がどう見てもこれは歴然なんですよね。
 話はそれますが、管理職の人たちに一言。若い人は人に対して正しく怒ることが下手だし、自分の後輩や部下に怒らない人が増えたと年配の方に言われます。部下や後輩を持っているあなたは、感情のしこりを恐れて怒らないのではなく、怒ることでしっかり気付かせてあげる義務があると思います。怒ることはコミュニケーション手段の一環なのでこちらの意図がしっかり伝わるのであれば、どなったり語気を強める必要はありません。気付いてもらうべきことに、気付かせてあげればいいのです。でも、これをしないで放置してしまうことは、部下や後輩の成長のきっかけを潰しているだけでなく、今のあなたが管理しているチームにも確実に悪影響があります。あなたも仕事がやりづらい状況が放置されているのです。あなたは人に「痛感」させる義務もあるのです。

 話を元に戻しますが「痛感」するためには、当然、自分の使命に関わるさまざまな事に対して基礎力(知識、技能、経験など)がなければいけません。ただ、知識があれば痛感するのか?というと違います。使命感がない人は知識があっても、痛感できません。また、使命感のある人と使命感のない人では吸収できる基礎力も圧倒的な差がついてきます。痛感のレベルは立場や実力によってさまざまだと思います。ポカミスをして自分の至らなさを痛感するケースもあれば、練りに練って準備の万全だったにもかかわらず勝負に負けてしまって自分の実力のなさを痛感するケースもあります。また、いままで一度も出来なかった何かをやり遂げたときに、初めて「やり遂げたこと」の重要さを痛感することもあるでしょう。自分の使命を果たすプロセスで「ある出来事」の重みが自分でしっかり認識できたときにはじめて、何かに対して「痛感」するという状態に至ります。

 「痛感」という状態に至ったときにやっと【当事者意識】が芽生えます。プロにとって何より大事なことは自分の仕事や自分の身の回りで起きていることに対する当事者意識です。自分の属する部署に関して最もたくさんのことや最も大事なことに当事者意識を持てる(痛感できている)人がその部署の責任者には最適です。自分の属する会社で最もたくさんのこと最も大事なことに当事者意識を持てる(痛感できている)人が社長に向いています。逆に仕事に対して、当事者意識が欠けていて、他人事のようにしか行動できない人は、大きな責任を与えるべきではありませんし、そういう人は評価されては駄目だし、組織にい続けられても困ります。そういう組織風土をはぐくむ必要があります。

 いろいろ言いましたが、つまるところ、「痛感」することが少ない人はプロとしては機能していないのです。ごくごくたまに「この人、痛感することなんてないんだろうなあ」という人がとてつもない才能を持っていたり、想像以上のアウトプットを出すことがあります。ただし、昔から心技体というように「心」が備わっていない人は、逆境に弱いので、安定的かつ継続的な成果が望めなかったり、今以上に成長することはないように見受けられます。

あなたは生活をしていて、仕事をしていて、何を痛感しましたか?「痛感」の先には、あなたの大事なものやあなたを成長させる種が見え隠れしています。その痛感を乗り越えたときに、あなたは大事なものを必ず掴み取れていますし、必ず何か一つ成長できているはずです。
 どうせ一日8時間とか通勤あわせて10時間とかそれ以上の自分のかなりの時間を会社で過ごすのであれば、痛感しながらいろいろなことを感じて、試みて、仕事をまじめにやった方が有意義だし、楽しいし、純粋に得ですよ、きっと。働きすぎには注意ですが。

僕は「痛感」した出来事をもっともっと大事に扱おうと思い、手帳にメモり、週末の自宅や外出先などいつもの仕事をしている環境とは別の場所で気分を転換して、見つめなおすことにしました。なんとか継続したいです。

「言うは易し、行うは難し」
頑張ろう!


9・11に夢を考える

2005-09-12 01:58:55 | ちょっといいはなし
今日は9・11。アメリカでも日本でも歴史に残る日ですね。

ここ1ヶ月、自分が人生を通じて果たしたい夢って何なんだろう?ということを考えていました。自分はこれまでの30年どう生きてきて、これからの30年どこに進みたいのか?改めてよ~く考えてみました。そして、今日9・11を迎え、自分の夢を整理することが出来ました。まだ具体化できていない部分はたくさんあるのですが、とても幸せな気持ちになりました。具体化している時間は結構楽しんでいます。また一方で、本当に達成できるかどうか重圧をひしひしと感じています。今日までに決めたことは、自分の基本理念・戦略となります。(夢が何かは秘密ですが)

今回、夢をブラッシュアップするにあたってきっかけとなったことを忘れないうちにまとめておきます。

(1)10年前の新聞記事
10年前にやっていたこと(新聞記事)に触れたことが、夢を本気で再度見つめ直すきっかけになりました。あの当時と今で変わったこと・変わらないことを整理するプロセスで、日常の中で漠然と考えていた自分の夢をより詳細化することができました。実現に向けた強い意志が溢れ出すきっかけになりました。

(2)幹部社員の退社
これまで5年一緒に戦ってきた幹部社員が退社をする決断をしました。その話を聞いた後、彼と飲みながら、これからのお互いの計画を意見交換しました。退社のことはあまり話さず、お互いの志や夢の原点は何なのかだけを中心にじっくり話しました。様々なことを一緒に考えたのですが、ずばっとお互いの核心を話したのは新鮮で非常に有意義でした。その飲みも自分の夢をより具体化するきっかけになりました。真の仲間とは、お互いの夢の実現に向けて支えあったり、刺激しあい、成長を促進しあう関係であり、寂しさを紛らわせたり、傷を慰めあったりするのではなく、ましてや、足を引っ張り合ったり、お互いレベルを下げあう関係ではないと想いを持ちました。これからも切磋琢磨しようという話をしてその日を終えました。

(3)取引先の役員の人との会食
夢への執念の大事さを感じました。この方は仕事も当然ながら非常に成功を収められている人なのですが、その根底にあるその方がお持ちのゴールやゴールに対する思い入れに触れることができました。なぜ今を精一杯に過ごすことができているのかとてもよく理解することができました。

(4)某社社長の野望について
某社社長の野望を某社取締役の人づてに聞くことができました。その野望があったが故にこれまでの成功や今の行動や結果があったのかー!なるほど!と納得することができました。やはり自分の夢の実現に向けて鉄の意志を貫き通すことの出来た人が成功者になるようです。

(5)テレビ番組
普段はあまりテレビを見ていないのですが、この週末とても刺激のある番組に出会うことができました。なぜだが、気付くと全て野球ネタでした。野球にこだわった訳じゃないんだけど。野球にはいろんな人のいろんな夢が詰まってるんですかね。
1.何が大リーグを復活させたのか
純粋に「野球を愛している!」想いが根底にあることが復活の条件だったと思いました。選手・チーム・ファン・リーグが立場は違えどそれぞれの立場で野球を愛している姿に感動を覚えました。いくつかテーマがあったものの基本はそこだと思いました。
2. フジテレビ(9/11 14:00)のザ・ノンフィクション
 今週は、故高畠導宏さんについてです。プロ野球伝説のコーチが高校教師に転身したものの、すぐにガンで亡くなってしまいました。その番組では「気力」の大事さが強調されていました。古臭いかもしれませんが、その番組では高校生が「気力」という言葉を非常に大事にしている姿がとても新鮮でした。高畠導宏氏に関する本も読んでみようと思います。高畠導宏さんの指導を心の底から楽しみにしていた福岡・筑紫台高校のコーチや選手をおもうと涙が出ました。
3. サンデープロジェクトの特集の中のJリーグ川渕さん
日本のプロ野球改革が特集のテーマだったのですが、プロ野球のコミッショナーのリーダシップのなさと対比して川渕さんが取り上げられていました。リーダの条件は、以下の3つを指摘していました。
 1 強い意志
 2 私利私欲のない方向性
 3 説得力
また、エピソードとしてチュースブルグが理想になったという話や「90%が賛成に回ったときはすでにもう遅い。時機を失している。20-30%が賛成のときにリーダーシップを発揮すべき」ということが印象に残りました。責任取るのを怖がってみんなが賛成に回る根回しをしてからでないと何もできないリーダー(もどき)が多い中、20-30%で行動に移すのは確かに大事だなーと思いました。人より一歩先に行く秘訣かもしれませんね。全員に根回し終わる頃にはいかにいいアイデアでも人に先を越されちゃうことが多いですよね。「リーダーは責任取るのが仕事なんだからウダウダやっても駄目でしょ!」と自分に言い聞かせました。どうせ責任取るなら、殉じても後悔しない素敵なプランに対して責任を取りたいですけどね。

(6)Steve Jobsのスピーチ
このスピーチは感動しました。"Stay Hungry. Stay Foolish. "心の底から同感です。素晴しい言葉に出会えました。感謝。

夢の見つめなおしのきっかけになったのは以上の6つです。
奥さんにはこれらの話を休日にもかかわらず熱く語ってしまいました。お休みだったところ、すいません。

自分の夢というのは嫌いなことからは生まれず、心の底から愛しているコト・モノ・ヒトの先に存在するものだと思いました。(自分を取り巻く悲惨な環境・ハングリー精神・コンプレックス的なものから始まっているケースも多々ありますが。)人間の夢を実現したい気持ちはとてつもなく大きな力を生み出すと思います。それをおもうと、幸せとはいい夢に出会うことが最重要ではないでしょうか?
ここで言う「夢」とは、「理想」、「愛する対象」、「志」、「解決したい問題」、「なりたい自分(自己実現)」などに置き換えてもいいと思います。

いろいろな考察を通して、僕は結構前から既にいい夢には出会っていたんだなあという事実に気付くことができました。来週からも夢の実現に向けて、一秒一秒を大切に、一歩一歩着実に進みます。

「言うは易し、行うは難し」
頑張ろう!