一人の優秀な指揮官の人生に触れることができた。
僕の中で尊敬する指揮官列伝にまた一人の人物が加わる事になった。
ラストサムライ以来僕の尊敬する渡辺謙がクリント・イーストウッドの作品で彼を演じる。
彼が指揮官としてどこが優れていたのか、自分なりに本書を読んで整理してみた。
1)自分の目で見て・考える
ともかく丹念に硫黄島の現場を実証検分していた。
歩いて歩いて歩きまくって、地の利を探っていた。
自分の目で見て自分の頭で戦略・戦術眼を研ぎ澄ましていた。
2)部下との関係
部下が作業している現場にもひょいひょい顔を出していた。2万名に及ぶ硫黄島の日本兵で彼の顔を直接見たことがないものはいなかった。また、食事や生活面など一兵卒と幹部で分け隔てないようなレベルで生活を行うようとても配慮していた。硫黄島という絶望的な場所を彼なりに考え、最善を尽くして末端に及ぶまで栗林中将は人心をしっかり掌握2万名でこの状態は驚異的だと米軍は評していたとのこと。
3)目的達成のためには周囲との摩擦を恐れない
硫黄島の地理的・生活環境の状況、必要な武器・資材が届かない状況、硫黄島に対する大本営の方針のブレ等、総合的な状況を鑑みて、彼は独自の戦略を編み出す。
帝国陸軍70年の伝統=水際作戦(水際に戦力を集中投下)
の有効性に疑問を投げかけ、地下道によるゲリラ作戦を決断する。当然、海軍はじめ周囲からは横槍が入るが、彼はやりぬく。硫黄島を米軍に取られると東京を自由自在に空襲される。彼の目的意識はともかくそれを阻止したい。阻止できなくても時間稼ぎをしたい。その一心だった。その目的に何が最短距離なのかを、実証検分しながら考え、この結論に至った。
この作戦は功をなし、米国を恐怖に陥れた。
安易な伝統擁護や精神論で思考停止や思考の浅さの上に意思決定をするのではなく、そのときどきの状況を自分の頭に考えに考え抜いて、合理的な判断を下した結果だろう。
4)目的達成のためには鬼になる
米国が圧倒的な物量で攻めてきて生き残る可能性はほぼなく、生きていても硫黄島においては水も飲めず、地熱も熱く、生きる事が非常に辛い自分の部下に対して楽に死ぬ事を禁じた。当時は、バンザイ突撃など安易に死ぬ兵士が多かったが、「米国兵士を10名殺すまでは死ぬな!」と思想統制を行った。そのためのスローガンが硫黄島の至るところで見つかっているとのこと。
上っ面の優しさで接し、大事な組織としての規律を緩めるのではなく、真に今自分たちに何が求められていて、何を守り、何をこだわらなければいけないのか、強い意志を持って、組織を引っ張ったことには敬意を表せざるを得ない。しかも、当時の硫黄島では全滅が前提になっており、その中で兵のモラルを下げない事は困難を極めたに違いない。
5)正確な現状認識
彼は30代の最も力に溢れていた時期にアメリカに渡っている。そこで、日本との大変な国力の違いを見抜いていた。現実を甘く認識している指揮官の下で作られた作戦は机上の空論でたくさんの兵が無駄死にする。彼は米国との力の差を理解していたので、極めて現実的な用兵が出来た一因になっていると思う。
6)家族への愛
妻や子供に対する彼の愛情も尊敬に値するものがある。当然のことなのかもしれないが、その強い愛が彼の仕事にプラスの影響を与えていたように思えた。またそうした愛情は彼の人柄に溢れ出ていて、部下に対してもマイナスの影響にはならなかったのではないかと思う。
過去の先人たちの命懸けの苦労の上に今があることと、善悪ではなく全ての歴史を自分たちの血や肉として後世に受け継ぐ責任があると感じました。
僕の中で尊敬する指揮官列伝にまた一人の人物が加わる事になった。
ラストサムライ以来僕の尊敬する渡辺謙がクリント・イーストウッドの作品で彼を演じる。
彼が指揮官としてどこが優れていたのか、自分なりに本書を読んで整理してみた。
1)自分の目で見て・考える
ともかく丹念に硫黄島の現場を実証検分していた。
歩いて歩いて歩きまくって、地の利を探っていた。
自分の目で見て自分の頭で戦略・戦術眼を研ぎ澄ましていた。
2)部下との関係
部下が作業している現場にもひょいひょい顔を出していた。2万名に及ぶ硫黄島の日本兵で彼の顔を直接見たことがないものはいなかった。また、食事や生活面など一兵卒と幹部で分け隔てないようなレベルで生活を行うようとても配慮していた。硫黄島という絶望的な場所を彼なりに考え、最善を尽くして末端に及ぶまで栗林中将は人心をしっかり掌握2万名でこの状態は驚異的だと米軍は評していたとのこと。
3)目的達成のためには周囲との摩擦を恐れない
硫黄島の地理的・生活環境の状況、必要な武器・資材が届かない状況、硫黄島に対する大本営の方針のブレ等、総合的な状況を鑑みて、彼は独自の戦略を編み出す。
帝国陸軍70年の伝統=水際作戦(水際に戦力を集中投下)
の有効性に疑問を投げかけ、地下道によるゲリラ作戦を決断する。当然、海軍はじめ周囲からは横槍が入るが、彼はやりぬく。硫黄島を米軍に取られると東京を自由自在に空襲される。彼の目的意識はともかくそれを阻止したい。阻止できなくても時間稼ぎをしたい。その一心だった。その目的に何が最短距離なのかを、実証検分しながら考え、この結論に至った。
この作戦は功をなし、米国を恐怖に陥れた。
安易な伝統擁護や精神論で思考停止や思考の浅さの上に意思決定をするのではなく、そのときどきの状況を自分の頭に考えに考え抜いて、合理的な判断を下した結果だろう。
4)目的達成のためには鬼になる
米国が圧倒的な物量で攻めてきて生き残る可能性はほぼなく、生きていても硫黄島においては水も飲めず、地熱も熱く、生きる事が非常に辛い自分の部下に対して楽に死ぬ事を禁じた。当時は、バンザイ突撃など安易に死ぬ兵士が多かったが、「米国兵士を10名殺すまでは死ぬな!」と思想統制を行った。そのためのスローガンが硫黄島の至るところで見つかっているとのこと。
上っ面の優しさで接し、大事な組織としての規律を緩めるのではなく、真に今自分たちに何が求められていて、何を守り、何をこだわらなければいけないのか、強い意志を持って、組織を引っ張ったことには敬意を表せざるを得ない。しかも、当時の硫黄島では全滅が前提になっており、その中で兵のモラルを下げない事は困難を極めたに違いない。
5)正確な現状認識
彼は30代の最も力に溢れていた時期にアメリカに渡っている。そこで、日本との大変な国力の違いを見抜いていた。現実を甘く認識している指揮官の下で作られた作戦は机上の空論でたくさんの兵が無駄死にする。彼は米国との力の差を理解していたので、極めて現実的な用兵が出来た一因になっていると思う。
6)家族への愛
妻や子供に対する彼の愛情も尊敬に値するものがある。当然のことなのかもしれないが、その強い愛が彼の仕事にプラスの影響を与えていたように思えた。またそうした愛情は彼の人柄に溢れ出ていて、部下に対してもマイナスの影響にはならなかったのではないかと思う。
過去の先人たちの命懸けの苦労の上に今があることと、善悪ではなく全ての歴史を自分たちの血や肉として後世に受け継ぐ責任があると感じました。