夢への道筋

青臭いけど、人が夢の実現のために発揮できる力って無限。夢を実現するための方法論について徒然なるままに。

「ゆでたろう」と「富士そば」

2006-11-19 04:51:57 | ちょっといいはなし
うちの元役員に再会するといつも言われる一言がある。

「ロボと最初に会った頃に言われた事が忘れられない。『立ち食いそばは人間の食いモノじゃない』って断言してたよ。」


これは99年ネットバブルがはじまりかけていた時期のエピソードなのだが、確かにこの頃に、こう言い放った記憶がある。当時、僕が仕事をしていた事務所の近辺には、おいしい蕎麦屋さんがいくらでもあった。その中で、なぜ立ち食いそば屋を食わねば成らないのか、という気持ちや、純粋に立ち食いそば屋でそばを食べる自分を格好悪いと思っていた。当時は、安いものよりウマいものを食べていた。「金に糸目をつけない」に近い状態だった。


そうこうしているうちに会社の業績が悪化して、自分の給料がちょっとずつ減っていき、ついにはゼロになった。食事に限らず「金に糸目をつけない」ような生活をしていた自分に貯えはなく途方にくれていた。そして、今までと同じ生活が出来ないことと自分の経営の仕事の出来なさに呆れて、強烈なコンプレックスを抱いていた。

会社の預金残高も、自分の預金残高もどんどんゼロに近づいていく恐怖を感じる中、メシもロクに食えない状態になっていて、会社が最悪な状況だというストレスとお金のないストレスと空腹のストレスで精神的に追い詰められていく中、ゆでたろうで一杯のそばを食べた。

ゆでたろうでそばを食べたのはそのときがはじめてだったわけではないのだが、値段は220円、そして、とてもおいしかった。それまで食べていたランチの平均の値段の10分の1から5分の1の値段だったんだが、そのときのゆでたろうのそばは本当においしかった。そして、その値段で自分が生存できる事に気付き、正直ほっとした。

そして、思った。会社もいいランチを食べるように贅沢なコストをかけるのではなく、ゆでたろうぐらいの最低限のコストに出来る事がたくさんあるんじゃないのか?それでも、まあ別に生存できればいいじゃん。


それから、会社の人数は大きく減ったし、家賃もケタを減らしたような場所に移転したり、社長も交代したし、大きな変化に直面し、倒産寸前のところから、経営再建を開始した。当時の人生で最大のしんがりの戦だった。

僕は、ゆでたろうの220円のそばで満足できるモードになっていて、バブリーなアントレプレナーの余計な欲やプライドは全て捨て去ったので、なんとかしんがりの役目は果たす事ができた。

『立ち食いそばは人間の食いモノじゃない』って言い放っていた自分の浅はかさや危うさが人生の早い段階で表面化したおかげで、それを修正することが出来た。

当時の僕の成功感は、ともかく早く株式公開して、名のある会社に成長させ、当時の社長を男にしたら、自分はフェラーリを買って、いい家に住んで、飛行機は絶対ファーストクラス、できれば、プライベートジェット、いいものを毎日食べて、いい洋服を着て、誰もが羨むような人生を送りたかった。そのためであれば、仕事も寝なくてもいいので、働きまくってやる。


けど、今の僕は、ゆでたろうの一杯のそばの価値を分かったこと。それはフェラーリに乗るよりも、人生成功だったんじゃないかと思っている。


長らくお世話になった千代田区の街を離れて、今僕たちの会社は恵比寿に移転した。恵比寿には立ち食いそばのチェーンとして、ゆでたろうはなく、富士そばしかない。

富士そばの方が、全体的に50円前後高い。
ゆでたろうの朝定食はめちゃめちゃ安いが、富士そばにはそれがない。
そばの味も、めんつゆの味も結構違う。
ゆでたろうって結構いいお店だったんだなあ。

貧乏臭い話だが、昔の自分ならそんなこと考えなかっただろうなあと思う。


支え協力してくれたり、競い合う人がいてくれる価値、自分の商売を支えるさまざまなモノの価値、それから、お金の価値。
ヒト・モノ・カネ。その真の価値を理解し、それらを上手に使いこなすことで、さらに磨きをかけレベルを上げていくのがビジネスだと思う。


ゆでたろうの220円のそばの価値を知る。それが僕の経営そして人生の原点の1つになっていると思う。


ただ、起業家の技に攻撃技と守備技があるとしたら、これは守備の技でしかないと思う。まだまだ僕が持っている技は少なく、質もまだまだ磨けると思う。


何かを悟ったといい切れるほど、僕はまだ何も成し遂げていない。

いろんな人に迷惑をかけたし、力を借りたし、世話になった。

それに報いるためにも、もっともっとうちの会社をいい会社にしていきたいし、そのためにも、自分自身をもっともっと高いレベルに引き上げなければいけない。


行動あるのみ。


今日、妻に同じような話をした。
深い理解を示してくれて、その話をみんなと共有すべきだと言ってくれた。
妻が理解してくれる人で本当によかったなあと思った。