夢への道筋

青臭いけど、人が夢の実現のために発揮できる力って無限。夢を実現するための方法論について徒然なるままに。

オペレーティングシステムについて

2008-05-18 23:18:11 | ふと思ったこと
最近Windows VistaのノートPCを購入し、結構いいハードウェアスペックのはずなのだが、体感速度が何をやるにしても遅すぎる。

ここ数年でハードウェアの性能は飛躍的に向上しているはずなのに、ユーザーとして体感速度が早まった実感はあまりない。ハードウェアの性能があがった分、OSやアプリケーションが肥大化が吸収してしまっているような錯覚に陥り、なかなかストレスが解消されない。

体感速度というあいまいな基準で判断するからであって、何かのベンチマーク結果では飛躍的に処理速度が早まっているのかもしれないが、技術革新の恩恵に授かってないような錯覚に陥るばかりだ。



これは、OSを作っている某社の陰謀だとの私の勝手な仮説で、この週末に、自宅の押入れで眠っていたLet's NoteのCF-R4にLinuxを入れてみることにした。仕事でもOSのインストールをすることは、ここ数年やらなくなってしまったし、自宅のPCにLinuxをインストールするのはおそらく10年ぶりだ。あやうく、一生しないで終わるかもしれないところだった。

Distributionは週刊ASCIIにのっていたUbuntuにした。

昔に比べると、格段に楽になっていた。
WWWでインストール方法を調べて、CD-Rを近くの店に買いに行った時間を含めても、おそらく2時間はかからなかった。昔は、丸1日か2日かずっとインストールに四苦八苦していたことを思いだし、ちょっと感動した。
無線LAN接続まですぐに成功したのには、驚いた。

アプリケーションもFirefox、Thunderbird、OpenOfficeなどが整備されており、デスクトップ端末としても昔に比べると格段に使いやすいと思った。(というか、使わなすぎだっただけか。)

それから、これは想定どおりだったが、比較的低めのスペックでも体感速度は快適。

仕事を完全に置き換えるのには、やはり、Microsoft Officeの部分がもう少し。
僕の仕事では、差は、ExcelとPPTなんだろうな。

僕に必要なWWW・メール用端末としては、全く申し分ない。
開発用の端末としては、こっちの方が全然いいし。

デスクトップ端末のOSは、選択肢がWindows/Macの2つしかないと思っていたら、いろいろ進化が進んでいるんだなあと思いました。

この記事もUbuntuで書いてます。

勢いあまってプログラミングまでしはじめつつあります。。。


アウトサイダーズ

2008-04-06 12:40:27 | ふと思ったこと
先週は、大学の入学式前後にあわせて、僕が大学時代に属していたアメリカンフットボールチームのアウトサイダーズの新入生の勧誘を手伝った。

いつも話をするのは20代後半から40代前半の人たちが多いので、18歳前後のちょっと前まで高校生・浪人生だった学生さんたちと話をする、しかも、普段話慣れていないアメリカンフットボールの話をするのは非常に新鮮な体験だった。



大学4年生の時からなんやかんやで加速度的に忙しくなってしまったため、このチームの活動にOBとしてほとんど何も手伝いが出来ていなかった。

1990年設立のアウトサイダーズは今期で18年目になる。ここ数年、部員数が減りすぎて、チームの存続が危機的な状況にあるため、OB有志かなり大勢で解決策を検討し、チームの存続をかけて今回の勧誘にOBもコミットすることになった。僕も卒業後約10年何も貢献できていなかったため、今回は有志の一人として、若干ながらお手伝することにした。

ある人はパンフレットやポスターの作成で、ある人は新歓パーティーの準備で、ある人は新歓パーティーにテレビでも見かける若手芸人を呼んでくれたりと。僕は、平日にキャンパスに現場入りし、ビラ配り&氏名の記入を通じて、勧誘活動を約12時間行った。土曜日には、防具を装着して、練習に加わり、結構本気でヒットをする練習にも参加し、体がボロボロになりながら、新歓パーティーにも参加した。



伏線があった。

去年の8月の暑い夏のまっさかり、11年ぶりに僕はアメリカンフットボールの試合に出場した。アウトサイダーズのOB戦だった。そして、アウトサイダーズのリーグ戦最終戦に現役選手だけでは人数が足りないため、OB有志が参加することになり、その試合にも出場し、いきなり2007年は10年ぶりに2試合に出場した。やってみた思ったこと。アメリカンフットボールはやっぱり結構面白かった。そして、アウトサイダーズというチームは自分にとって、大事な場所なんだなあということを感じた。


11年前、大学4年の僕は学業やら起業の準備やらで忙しく、いっぱいっぱいな毎日の合間をぬって、ちょっとだけしか練習・試合に出場できなかった。同期や後輩が頑張っている中、当時の自分の優先順位に沿った判断だったとはいえ、大学三年のときに副主将を務めていた自分が4年生のときにこれしか貢献できなかったことは、申し訳ない気持ちがあった。

僕は、慶應義塾高校3年間を振り返ると、結果的にアメリカンフットボールが自分のトッププライオリティだった。高校3年間で何をしたかと問われれば、「アメフト以外には何もしなかった」と明確に答えることができる。

全国優勝をしてたら大学でも続けるつもりだったのだが、関東大会準決勝で敗退してしまい、この厳しい高校3年間を大学でもう4年行う余力は自分にとっては残っておらず、強豪校で優秀な選手も多かったことから、チーム内での実力は平均レベルかそれより下ぐらいだったという自分に対する評価もあり、もうやり尽くしたかなという気持ちになり、もうアメフトはやめて、アメフト以外のことに専念しようと、固い決心をして、日吉から遠く離れた総合政策学部に進学した。

その後、アメフトなしの大学生活を始めたものの、数か月でアメフトをやりたくなってしまった。ただし、自分の中で、アメフト以外のことをトッププライオリティにしようという軸は変えるつもりはなかったので、週2回しか練習のないアウトサイダーズに入部することにした。

そのときもいろんな葛藤があった。どうせやるなら体育会がいいんじゃないかとか、いやいやそれなら総合政策学部に進学した意味がないじゃなんとか、体育会にいってもどうせ自分のポテンシャルだと通用しないよなとか、週2回の練習で本当に怪我をせずにアメフトはできるのか、など。何より、アメフトって自分のトッププライオリティにせずにできるほど、甘いスポーツじゃないよな。。。っていう気持ちが、アメフトを再開させる上で最も大きなハードルになっていた。が、まあ、うじうじ悩んでいてもしょうがないので、試してみようという気持ちになった。

そして、練習に参加させてもらった。けれども、高校のチームの練習と比較してしまい、いろいろイケてないじゃんということを周囲に漏らして、まわりでアウトサイダーズで頑張っている人たちを不快にさせてしまった。そもそも週2回という制約の中で、ベストを尽くそうというチームの前提があるのに、今にして思えば、子供なことを言ってしまったなあと恥ずかしい。高校で本気でやっていたスポーツを大学で体育会ではなく同好会でやろうとすると同じような体験をした人は多いのではないかと思う。

そんなKYな奴だったが、試合ではある程度実績を出せたり、アウトサイダーズというチームで先輩・同期と人間関係も出来て、大学で自分の居場所を作ることができた。

高校に引き続き大学でもアメフトにフルコミットしていたら、在学中はたぶん起業する様々な機会には遭遇しなかったと思う。一方、大学でアメフトを全くしていなかったら、おそらく今ほどタフに仕事をこなす体力は続かなかったと思うし、充実した時間もなかったと思うし、貴重な人たちとも出会えなかったと思う。特に僕は、起業・経営の仲間とアメフトの仲間が僕の場合は結構かぶっている。また、社会に出てもチームメートとの話は仕事・プライベート双方で楽しいし、役に立つことが多い。もう年なのかもしれないが、昔の試合の振り返りも楽しい。

いまだ引っかかっているのは、チームにはアメフトにフルコミットしていた選手もたくさんいたので、僕のプライオリティは正直失礼だったと思う。高校経験者で試合で結果が出せなければ、許されなかったんだろうなあと思う。試合で結果を出したとはいえ、チームの士気にマイナスなこともしてしまっていたと思う。



すべてひっくるめてまとめると、僕にとっては、アウトサイダーズというチームや仲間と出会えたことは本当に大きかったなあと思う。要するに、体育会や他のチームではなくSFCのアウトサイダーズだったおかげで僕は学業や起業準備の活動とアメフトを両立できたんだと思う。

僕にとってのアウトサイダーズとのストーリーは、ざっと上記のようなものだのだが、十人十色のストーリーがあると思う。

たくさんの新入生が入ってほしいし、入部した学生の人たちには僕と同じように人生の中でこのチームに入ってよかったと心から思えるような大学生活を送ってほしい。

今になって振り返ってみると、僕は高校→大学→社会人へという流れの中で、運よく軸をぶらさずに、自分の時間配分の選択を行った。

人によっていろいろな軸があるのだと思うけれども、僕の場合は、「アメフトと同じぐらい本気で打ち込めるアメフト以外の何か」を大学で見つけて、それを行動に移すことが基本的な軸になった。僕にとっては、それが最終的に今のAIPでの活動につながった。

そういう意味では、アウトサイダーズがなければ、AIPもなかったんじゃないかなあと思う。これまでそんなことはあまり考えなかったが、今回、勧誘活動をしながら、そんなことを考えた。


人生何が、何につながるかはわからないが、人との縁、そして、「自分の軸」大事にしたい。

何かをやり遂げるためには、自分の生活を大局的に見つめたときに「自分の軸」どおりに自分の時間配分が出来ているのかどうかってことがすごく大事なような気がしている。

それを肝に銘じて、今の自分の軸と自分の時間配分をみつめなおしてみたいと思う。


台湾で感じたこと

2006-09-24 01:50:36 | ふと思ったこと
先日、私用で台湾に数日滞在しました。

仕事では行ったことがあったのですが、今回、私用で行って改めて感じたことがいくつかありました。

1) 地名
台北市内を移動して感じたことは、中国本土の地名を通りに使っていた。

たとえば、南京東路、西路、長安東路、西路、重慶北路など。あとは中山北路や辛亥路など国民党にゆかりがある通りなど。

この命名センスに違和感というか政治色というか権力者の意志というか台湾の歴史を感じました。

2) デモ
台北駅で赤いTシャツを着た人たちが陳総統の退任を求めたデモをやっていたり、緑のTシャツを来た人がデモを行ったりして、びびりました。

ガイドさん曰く、「台湾人は政治が好きだから」。

台湾という地域の歴史から育まれたこうした国民性、そして、日本の現状と比較してどう捉えればいいのかなあ?みたいなことを考えていました。

3) 中山記念堂
バカでかい蒋介石の像を見て、おったまげました。
中国本土を向いているというじゃないですか。

建物の結構上にある像の場所から下を見下ろすと気分は皇帝気分。

1980年に作られたらしいですが、当時はこういうの作るセンスが許容されたんですかね?

記念堂で彼の資料をみましたが、日本の陸軍士官学校に通い、孫文と行動をともにし、中国で覇権を狙い、第二次世界大戦では国家元首として終戦を迎えながら、台湾に撤退し、台湾を蒋ファミリーの王朝にしながら本土への捲土重来を期していたものの、ニクソンの北京訪問当時の彼の心境はいかに?みたいなことを考えていました。


晩年に近づき、共産党から中国を取り戻す戦いをしたかったのか、台湾の民のための為政者だったのか、どんなこと考えてたのかなあみたいなことにも興味がありました。


世界の現代史、中国の現代史、蒋介石そして国民党の執念、犬が去って豚が来たと言った内省人の気持ち、これからの中台問題がどう解決していくのか、を考えながら、このどでかい建造物を見物しました。


4) 日本統治のおもかげ
日清戦争で割譲した台湾。50年間も日本が統治していたのか!!!と本では読んでいたものの、改めて現地に来てその歴史的事実にびびりました。

中国本土にはない日本のおもかげをいくつか感じました。日本の先代のひとたちの努力が台湾の発展につながったのなら何よりだけど。

5) 伝統的中国文化
行天宮や龍天寺など伝統的中国文化に触れることができました。

中国本土ではあまり触れられませんからね。

シンガポールなど華僑がいるエリアにはこうしたカルチャーに触れられますけどね。共産党により中国本土はちょっと違うカルチャーなのかもしれませんが、道教などその民族特有の伝統って大事にした方がいいと思うんですよね。漢民族の文化に限らず。

中国本土では逆にあまり見かけられない漢民族の伝統文化が台湾、シンガポールなどで見られるのは、なんというか面白いなあと思いました。

日本は、海外で古き日本に触れられるわけじゃないですからね。そういう場所がいくつかあるって本も本屋でみかけたような気もしますが。

6) コンビニが多い
ともかく多い。

シンガポールや中国のコンビニは日本と置いてある商品が違うのですが、台湾は結構日本と近いような感じでした。まあ、でもともかく多い。レジ袋が有料なのもいいですね。

7) POLICE
中国では「公安」、台湾では「警察」。
公安より警察の方が親近感を感じました。日本人だからかな。




話は飛びますが、中国共産党の五星紅旗、国民党の青天白日旗を見ながら、中国には紅い中国と、青い中国があるんじゃないかと常々思っていました。

紅いカルチャーにはよく触れていたのですが、青い中国に触れることができ、その違いを感じる事ができたような気がしました。

香港といい、台湾といい、シンガポールといい、中国本土とは違うものの、中華系カルチャーが中核になりながらも独自の発展を遂げていて面白いなあと思います。アジアにおける中国の影響力、特に、極東エリアを除き、東南アジアにおける影響はすごいものがありますね。



まあ、ともかく、台湾に対するイメージが深まったのでよかったです。

Googleについて

2005-11-20 17:35:52 | ふと思ったこと
一昔前のネットビジネスのビジネスモデルって、消費者に対してサービスやコンテンツそのものはタダで提供して、法人から広告費で回収するモデルが多かったと思います。

そして、それらのビジネスモデル全般に言えたのが、消費者にとってサービスやコンテンツもたいしたことないし、法人に対する広告効果もたいしたことないものが多かったと思います。

この時点で何と比べて「たいしたことない」のかというと、ネットビジネス以前の既存のビジネスだったり、ネットビジネスで成功していたYahooなどの先行者だと思います。

そして、サービスはサービスで有料でも成り立つものじゃなければ生き残れないし、広告は広告でメディアや広告のプロのビジネスになったような気がしていました。

そんななか、Googleは、消費者に対して無料で提供しているサービスもかなり優れたものになっているし、広告は広告で、これまでの既存の広告の概念を完全に変革したと思います。どっちも中途半端なものではなく、プロの仕事。完成度がめちゃめちゃ高い。

しかもなによりすごいのが、業績も半端ないし、時価総額も半端じゃない。
ここまで新規性の高いことをやっていながらも、すげー決算が出ているのは、ちょっともう信じられない。

ITサービスもマイクロソフトとかでは発想できなそうな楽しいことやってくるし、広告主にとっての価値も相当破壊力のあるものになっている。
ここまでいいものがしっかり出来てくると、コンシュマー向けソフトは広告モデルにしちゃって有料にしなくてもいいんじゃないっていう気がだいぶしてきた。
また、広告領域も、雑誌・新聞への実験展開なども考えると既存の広告業界を革新する力はここ数年~数十年で相当大きなインパクトになると思います。

Yahooもすごいけど、WEBビジネス・ポータルビジネスっていう枠の中だけでNo.1な感じだけど、Googleはその枠では捉えられず、ネットビジネスの枠そのものを大きく広げてる感じがする。

これまでも予感させるものはたくさんあったけど、この11月前半ぐらいまでの動きでだいぶ誰もがイメージできる次の時代のデモンストレーションがたくさん行われたような気がします。

って、評論家っぽく外から言ってるだけではつまらんです。

世界戦略

2005-10-15 22:02:01 | ふと思ったこと
昨今、日本のネットベンチャーの世界戦略がようやく本格化してきた。

楽天のリンクシェア子会社化

アクセスのパームソース吸収合併

そんななか、ライブドアだけが異彩を放ってますよね。
ヒスパニックだと!?
誰が見つけてきた案件かわからないけど、堀江さんやっぱ普通じゃないな。
ラム酒持ってくるっていうのもいいじゃない。
25歳?カラテチャンピオン?

やはりホリエモン普通じゃない!普通はアメリカ・中国だと思うんだけど。


当社も世界戦略に関してだけは、彼らに負けず、もっと成果のあることをしたいなぁ。本気に。

#あぁー、今日はブログ書きすぎだ。

「見据えた夢目指して舵を取る」

2005-10-15 21:44:34 | ふと思ったこと
昔に友人からDragon Ashを薦められて以来、彼らが僕の最も好きなアーティストの一つです。

その中でも特に好きなのは、「Let yourself go,Let myself go」です。


なんでこの曲が好きなんだろうって、さっき聞きながら考えていたのですが、考えた結果、「歌詞」が僕の気持ちとこれほどマッチしてる曲が他にないからなんじゃないかという結論に至りました。

僕が好きな歌詞は「行く当てもなく漂うのではなく」~「勇気あるものが持ちうる本能」までの一節。

その中でも特に好きなフレーズは、
 「見据えた夢目指して舵を取る」

 「恐れからくる一歩の遅れ、それがもたらす致命的なLOSS」
です。

「夢への舵取りに、恐れからくる一歩の遅れがあってはいかん!」という僕の行動指針になってるんだと思います。


カラオケ行ったら、この曲、ウザいぐらい絶対歌うんですよね。最近、カラオケ行ってないなー。

「勉強」の重み

2005-10-15 09:44:57 | ふと思ったこと
世を騒がせてる村上ファンド。既にTBSネタが中心になってきましたが、阪神電鉄のネタが世を騒がせていたときの村上さんの会見をテレビで見てて、思ったことを3つ。


1)ファンドマネージャーなのにすっかりテレビ慣れしてきている。この人はどこに進もうとしてるんだろう?何になろうとしてるんだろう?彼がプロとしてのファンド運営を追求した結果、今のスタンスが確立されたのかな?


2)阪神電鉄やタイガースのことをともかく情熱的にほめる。投資した会社を、世に対して表に出て自信満々にほめるのは、株主としては悪くない行為だと思う。会社を愛してるステークホルダーは、誰も損しないもんね。


3)「西武のときから電鉄株は本当に勉強した。その上で、今の阪神がある」というような感じの発言があった。村上さん、あなたの「勉強」って、どんな勉強なんですか!?



「勉強」っていう一つの行為をとっても、村上さんと僕の勉強のレベルの差には大きな開きがあるんだろーなー。

 この人の勉強した成果は、ファンドの出資者には当然メリットを提供しながら、日本の資本主義、そして、日本の産業経済に、いつも一石を投じていると思う。その逆で、一石を投じて、出資者にメリットを提供してるのかな?(ファイナンスの世界は、素人なので、本当のところどうなのか、よくわからんのですが。)
 この人は、自分のビジネスを愚直にやる抜いてるだけだろうけど、既定の枠におさまらずに、世の中の流れをクリエートしてる感じがしてすごい。

彼が会見で言っていた「勉強」って言葉と今の僕が使う「勉強」では言葉の重みが全然違うよね。彼の勉強は果たして、いくらの価値を生み出すのだろう?元手も、阪神電鉄への投資は約1000億円規模の投資だって言うから勉強も尋常じゃないでしょうね。

彼我の差は圧倒的でいかんともしがたいものの、なんとか、彼と「勉強」って言葉の重みが同じ重さになるように、早く追いつきたい。


 そして、自分が勉強した成果を、より多くの人の幸せのために、そして、よりよい社会にしていくために、還元したい!


そんなふうに思いました。



しかし、あっという間にTBSネタに変わっちゃいましたね。ますます時代を作る村上ファンド。ファンドがこういうかたちでマスコミのスポットを浴びる日本ってどうなんだろう?