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紫陽花(あじさい)のこと・・・正岡子規の意外な俳句発見?

2020-06-11 12:29:22 | 国語的随想
紫陽花(あじさい)
この当て字が好きです
梅雨の季節の代表的な花



紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘 正岡子規



時々,あれこれ行き当たりばったりでネットの記事を読むのですが,上の俳句を発見?
発見というのは失礼かもだが、私には「発見」
なぜなら、子規といえば「写生句」
余分なというか過剰な感情を排除した句とか歌の人という認識があったから。
それなのにえらく「感情」が見える、というか。
誠とか嘘っていうのは,子規の作品には表立って無縁と勝手に思っていたので意外だったわけだ。

誰もが知っている(うちの塾生の中学生以上なら)
★柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

教科書にあるので有名な
★鶏頭の十四五本もありぬべし

短歌としては,これまた教科書掲載
★くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる

どれもが、子規の心情は「察して」分かる。(と私は思っている)
察する部分に、あれこれ個人的な感情も付加して俳句や和歌は豊かになって行く。
特に短歌は子規が「脊椎カリエス」で激痛に苦しみ、血を吐き・・・そんな寝たきりの状態で多分寝床から見える庭の様子をうたったもの。
痛いとか、苦しいとか何にも感じさせない。
読み手がその状況を「察して」鑑賞は深まるわけ。
察するだけに、返って子規のどうしょうもできない痛みや苦しみが切ない。

それなのに、あらま
薄紫から濃い紫色,あるいは赤紫へと変化していく紫陽花を擬人化して表現。
「人の心も花の色のように移ろいやすいもの」という気持ちを露骨に表現していて・・びっくり・たまげた。
ちなみに、高校生とやるテキストに子規の「死後」という課題文が入っている。
耐えがたい痛みや苦しみのなか、死後の自分、葬られる自分の棺の後をついていくという話。
けっこうシュールで、初めてこの文を読んだとき、やはり「へえ--」と思ったけど、同じような感じだ。
子規じゃなければたまげませぬ。
例えば、与謝野晶子さんあたりなら,違和感なしね。
(晶子にしてはテンション低め,とは思うかも)



最後に,愛する塾猫チヨさんの命名の由来である
加賀千代女の俳句。
紫陽花に 雫あつめて 朝日かな

紫陽花に朝露の雫が集まっている・・・そこに朝日が出て来て(きらきら光っていること)だよ
                                        ↓
                                私の「察して」です

加賀千代女さんについてはまたその内に(^_^)




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