ボヤキ嫁の日々の記録

“超”がつくほどの楽天家ダンナと文句が多いボヤキ嫁の日々の記録
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ビルマ旅行(4) マンダレー・その3

2012年12月23日 | 旅行 - ビルマ

この日の昼食は、ボヤキ嫁がお腹を壊さないようにとの配慮から外国人観光客が多く来ている場所を選んだ。

なので、ボヤキ嫁たちのテーブル以外ほぼ欧米人。大型観光バスが乗りつけどどーと旅行者たちがやってきてお昼を食べていた。

お昼を済ませた後、サガイン・ヒルへと向かった。ここは第二次世界大戦中に多くの人が非難していた場所とのこと。


(丘には多くのパゴダが建設されており、丘の上どこを見てもパゴダがあった)

マンダレー市内へと戻る途中、有名なシルクで作るロンジーのお店へと立ち寄った。このお店はいまだに機織り機が現役で使われており、ロンジーの細かい模様を何人かで手分けしてパターン図を見ながら作り上げていた。

本当は反物を選び採寸して自分にあったロンジーを作りたかったが、2-3日かかるとのことなので既製品の中から選ぶことにした。既製品といっても、上着・スカートと別に置かれており、そのなかから自分で組み合わせを見つけて購入。 あまりに数がありすぎて訳がわからなくなってきたボヤキ嫁。親戚女性陣に助けてもらい選んでいった。


(ロンジーの山。色・デザインが違うので見ているとどれがいいのか分からなくなってきた・・・)


(奥の棚に置かれているのが上着)

このお店で全て別の色のロンジーを4着購入。試着してみると腰周りがぶかついていることと、丈が少し長いと楽天家ダンナの妹が指摘。別の場所へ観光に行って戻ってくるまでにお直しをお願いした。
ここのお店のロンジーはシルク入りなので肌触りがよく、着心地抜群。もっと買ってくればよかったと後悔した。 

ロンジーのお店のあと、有名なウーベイン橋へと向かった。

すると橋の一部に人だかりが。なにやら映画の撮影をしているとのことで、ミーハーボヤキ嫁見てみたい!と近づいてみた。

この男性が主演らしき人なのだが、姪っ子ちゃんたちに聞いても知らないとのこと。あんまり有名な俳優さんではないらしい。残念。

ウーベイン橋は一部欄干がなく、ボヤキ嫁は写真を撮りながらうろうろしていたため楽天家ダンナに落ちるよと何度も心配されてしまった。

 

橋の途中にある船着場で船に乗り込み、船から夕日を見ることにした。この船、ビルマ人だったら10人まで、外国人だったら4人までとのこと。乗り込むときに全員ビルマ人だといって乗り込んだそうだ。

この船頭さん、「俺は外国人の国籍を当てるのが得意だせー。」と言っていたそうだ。ならばボヤキ嫁の国籍を当ててもらおうとクイズを出した。チャンスは3回まで。1回目、シンガポール人。2回目、中国人。3回目、マレーシア人。おーい、おじさん・・・。ここには日本人も結構くるようなのだが、ボヤキ嫁はまったく日本人らしくないとの総評を頂いた。だからどこへ行ってもビルマ語で話しかけられるのか。

近くを漕いでいた下の写真の船頭さんが、「俺の船、ビルマ人5人分だよーーー」と叫んでいたそうだ。こういうきつい冗談を皆さんいうのよね。船のお姉さんがビルマ語分からなくてよかったよ。

橋の向こうに落ちる夕日を写真に収めたい観光客が沢山来ていて、ボヤキ嫁たちの隣の船ではは皆さん一斉にカメラを構えていた。こんな方々の周りで、綺麗だね~などと言いながらビールを飲んで楽しんでいた私たち。(ビールを飲んでいたのはボヤキ嫁と楽天家ダンナだけ。)

この後、ロンジー屋へお直しをお願いしていたロンジーを取りに行き、タペストリー屋へと行った。このタペストリー屋は卸価格で売っているそうで、他のお店よりも安いと楽天家ダンナや妹が色々買っていた。

このお店は人形や仏像などあらゆるお土産を扱っているらしく、興味津々でお店の中をうろうろしていた。

すると、姪っ子ちゃんたちがある部族の民族衣装を着せてもらっていたのを発見。「次は私も」ボヤキ嫁も着たいといったら大人たちにちょっとひかれてしまったよ。こういった格好が出来る機会が少ないのだから、着れるときは着てみないとね。

この日の最後はマハムニ・パゴダへ。

この仏像の近くへは女性は近づけず、お祈りするときもある一定の距離以上は女性が入ってはいけないことになっていた。お祈りの場所のすぐ脇で女性たちが花かごを作っていた。糸に通された花束を近くで売っており、それを買って寄付するとこの花かごの一部になるとのこと。そして作られた花かごは翌日仏へと寄贈されるとのことだった。

お寺の境内では夜8時過ぎだというのに子供たちがサッカーに興じていた。お寺はお参りする場所でもあり、遊び場所でもあるらしい。

 

ここのお寺には青銅で出来たかごを担ぐ像が置かれていた。歴史的背景はまったく分からないが、楽天家ダンナがこれは写真に撮れというので撮ってみた。

このお寺は参道がにぎわっており、多くの出店が出ていた。楽天家ダンナ以外の女性陣はうきうきとお店を見ていたが、妹が乗る高速バスの時間が迫っており、その前に夕食も食べねばならないため、出店を見ることがほとんど出来なかった。残念。

この日の夕食は、YKKOという麺のチェーン店へで食べた。もともと薄味スープなのだが、スープに入っている内臓や豆腐などを食べるときチリソースに付けてから皆さん食べていた。ボヤキ嫁も真似してみたが、3回に1回くらい付けて味を変えればいいかな~という感じ。

最後に楽天家ダンナの妹を高速バスの乗り場へと送った。このバス乗り場、広すぎてどのバスがどこ行きなのか皆さん把握されているのかとびっくりした。大きな都市、ヤンゴンやマンダレーなどを結ぶ交通機関が飛行機かバス、もしくは車を借りての移動しかなく、飛行機は料金が高く多くの人が高速バスを利用しているようだ。だからこれだけ込み合っていて繁盛しているのかと納得。

この日も昨夜と同じくマンダレー・ヒルが見えるホテルに宿泊。 


ビルマ旅行(4) マンダレー・その2

2012年12月23日 | 旅行 - ビルマ

ビルマ滞在4日目。この日はマンダレー市内を廻った後、マンダレー郊外へと足を延ばした。

最初に訪れたのはクドードー・パゴダ(Kuthodaw Pagoda)。中央にある金色に輝くパゴダを取り囲むように、四方に真っ白なパゴダ群が配置されていた。


(クドードー・パゴダの入り口)


(中央のパゴダ)


(白いパゴダ内部には、ビルマ文字で表記されたパーリ語の経典が刻まれた石碑が設置されている。)

そしてほぼどのお寺でも野良犬もしくは野良猫を見かけた。

どのお寺でも思ったのだが、この野良たちはのーんびりゆったりとしていたのよね。誰かがえさをあげる以外、他の人はそこに犬(もしくは猫)がいるという認識以上の関心を持っていないような気がした。ボヤキ嫁が見ている限り誰も撫でたりかまったりせず。ペットとして着飾って生活している動物を見てビルマ人はどう思うのだろうか?と気になった。


(お寺に来ていた人曰く、樹齢100年を越えている樹木)

この樹の右には参拝者用のお水、そして左側には精霊を祭るための小さな祭壇が設置されていた。ここの境内にはこのような樹木はよい芳香の小さな花をつけており、それを拾い集めて束にし子供が売っていた。姪っ子ちゃんその1がボヤキ嫁にと買ってくれたのだが、この花の束は一日中いい香りを放っていた。

この後、マンダレー王宮へと足を運んだ。王宮は政府が管理しているとのことで、外国人は入り口でパスポートを提示せねばならないとのこと。運転手さんがボヤキ嫁のパスポートを持って詰め所へと言ったのだが、「言わなきゃわかんないよねぇ」と親戚一同ブーブー文句を言っていた。この日は別の運転手さんに変わり、こういう場所では融通が聞かない感じだったわ。


(王宮入り口の詰め所。銃はいるのか??)

マンダレー王宮は戦後に再建されたもの。この色合いやデザインを見ると、当時も今もマンダレーは中国の影響が強いのかな?

マンダレー王宮を見た後は、市外を抜けてマンダレー郊外へと向かった。マンダレー市内で花をバイクで運ぶ人を発見。これらの花は大抵ピンウーリンから運ばれてくるとのこと。ピンウーリンはお花の街としても有名だそうだ。

郊外へと向かう前に、この日自宅へ戻る楽天家ダンナの妹のため高速バス売り場へ向かった。バスチケットは電話で空席を確認して、手書きのチケットを渡されていた。ビルマ語が話せないとここでチケットを取るのは難しそうだわ。

 

郊外を走りぬけ一路ミングンへ。


(マンダレーとミングンを繋ぐ橋)

上記写真の橋を渡り、川沿いの道をひたすら走ってやっとミングンへと目的地へ到着。この日は雲ひとつない快晴で、真っ白なパゴダが青空に生えていた。ここが一番綺麗だったな。だが、名前がわからない・・・。


(お土産やに釣らされたハンモック。子供が寝ていた。)

その後、隣にあるミングン・ベルへと足を運んだ。 このベルは世界で2番目に大きいとのこと。(楽天家ダンナ談)

ここでかわいい姉弟に遭遇。やってきた観光客にこのベルの歴史を説明してくれていた。この女の子、ボヤキ嫁に話しかけてくれたのだがビルマ語しか話せず、ボヤキ嫁にはまったく分からず・・・。楽天家ダンナが通訳で色々教えてくれた。

楽天家ダンナの意地悪質問にも一生懸命答えていた弟君。物売りが多くいる場所で、説明し終わったら「じゃあね!」で終わった子たち。楽天家ダンナは色々教えてくれたからとお金を渡していた。お金を渡すことについて色々思うことはあるが、この子達はこのベルについて大人から聞いたのか結構詳しく知っていて、それを教えてくれたガイド料と考えることにした。

ミングン・ベルの後は、ミングン・パゴダへ。このパゴダはまだ未完成で、地震で亀裂が入ってしまい、以前は中に入れたが今は中に入ることが出来ないとのこと。(中に入れないのは外国人だけかもしれない)

パゴダの向かいには二頭のライオンがいるのだが、どちらも地震で頭が落ちてしまった。地元の人たちは「ライオンたちは喉が渇いていたから水を飲みたかった」と言っているそうだ。ものは考えようだな。

ミングンからマンダレーへと戻る途中で得度式の行列に遭遇した。男の子は一時的な出家、女の子は耳にピアスを開ける儀式。数家族が一緒にこの儀式をやるのは聞いたことがあったが、ここは村をあげて行われていたため大行列だった。

行列に阻まれ車が動けなくなっていると、どこからともなく現れたおじさん。この儀式は村一番のお金持ちが全員分の費用を負担してくれたのだと説明してくれた。ビルマ人にとっては大切な儀式、一人の人が負担とは相当な額になったはず。お金のある人は貢献し、村の人はその人や村への感謝の気持ちを強くしていく。こういうことでビルマ人の村の連帯感が強くなっていくのかな。

列の最後尾は巨大なスピーカーを乗せたトラックが爆音で音楽を流していた。これもビルマ的。 

この珍しい儀式を見れてよかったね、と話しつつ一路マンダレーへと戻った。

マンダレー・その3編へと続く。