蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

泣いた赤鬼  (bon)

2017-02-17 | 日々雑感、散策、旅行

 やや唐突な話題で恐縮です。

 今月初め頃の新聞一面下段の書籍などの広告欄に「泣いた赤おに」の見出しが、ハッと目を
止めました。 いつの頃か定かではなく、多分小学生であった頃だと思いますが、このお話
を聞いたことを思い出しました。 すごく感動したことを覚えています。
  ご存知の方もおられると思いますが、心優しい赤鬼が、人里恋しく、人間に近づこうとし
ますが、なかなかうまく行きません。 そこで、親友の青鬼の一計で、無事 赤鬼君は念願を
達成するのですが、親友の青鬼は姿を隠してしまいます。 青鬼君も本当は優しい鬼だった
のです。 この二人の友情はどこまでも余韻を引く暖かいお話なんです。

 試しにネットを繰ってみましたら、何と! ありました。  いつもお世話になっている
ウイキペディアから、“あらすじ”を全面コピぺさせていただきました。

                      (ネット画像より)

 『とある山の中に、一人の赤鬼が住んでいた。赤鬼はずっと人間と仲良くなりたいと思っ
ていた。 そこで、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしい
お菓子がございます。お茶も沸かしてございます」という立て札を書き、家の前に立てて
おいた。
  しかし、人間たちは疑い、誰一人として赤鬼の家に遊びに来ることはなかった。 赤鬼は
非常に悲しみ、信用してもらえないことを悔しがり、終いには腹を立て、せっかく立てた
立て札を引き抜いてしまった。

  一人悲しみに暮れていた頃、友達の青鬼が赤鬼の元を訪れる。 赤鬼の話を聞いた青鬼は
あることを考えた。 それは、「青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ赤鬼が
出てきて、青鬼をこらしめる。 そうすれば人間たちにも赤鬼がやさしい鬼だということが
わかるだろう」という策であった。これでは青鬼に申し訳ないと思う赤鬼だったが、青鬼は
強引に赤鬼を連れ、人間達が住む村へと向かうのだった。

  そしてついに作戦は実行された。 青鬼が村の子供達を襲い、赤鬼が懸命に防ぎ助ける。
作戦は成功し、おかげで赤鬼は人間と仲良くなり、村人達は赤鬼の家に遊びに来るように
なった。人間の友達が出来た赤鬼は毎日毎日遊び続け、充実した毎日を送る。

  だが、赤鬼には一つ気になることがあった。 それは、親友である青鬼があれから一度も
遊びに来ないことであった。今 村人と仲良く暮らせているのは青鬼のおかげであるので、
赤鬼は近況報告もかねて青鬼の家を訪ねることにした。しかし、青鬼の家の戸は固く締まっ
ており、戸の脇に貼り紙が貼ってあった。

  それは「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。 もし、ぼくが、
このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼく
は、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてくださ
い。ぼくはどこまでも君の友達です」という青鬼からの置手紙であった。
 赤鬼は黙ってそれを2度も3度も読み上げ、涙を流した。その後、赤鬼が青鬼と再会する
ことはなかった。』

               作家 濱田廣介
         (ウイキペディアより)
 

 作者は、濱田 廣介という人(1893年(明治26年)5月25日-1973年(昭和48年)11月17日)
で、この他、代表作として「椋鳥の夢」、「竜の目の涙」、「かえるのきょうだい」など
多数あり、坪田譲治、小川未明とともに児童文学界の三種の神器と呼ばれたとあります。 
 また、自作の詩「日本橋から」に、古賀政男が無断で曲をつけ歌手 佐藤千夜子の歌でヒッ
トした。著作権法に抵触すると聞かされた古賀は廣介に謝罪しましたが、当の廣介はそんな
ことを意に介せず、二人で大笑いした・・とのエピソードがありました。

 ハッと目に止まった新聞の広告主は、金の星社でした。この時、節分が近かったから・・
の広告ではなかったようでした。



島倉千代子バージョン
 

 

 

オリジナル佐藤千代子バージョン

 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新宿西口  (bon) | トップ | 200坪の畑  (bon) »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『泣いた赤鬼』の謎 (hinotorigusa)
2017-02-18 01:29:29
 濱田の生家がある山形県高畠町に濱田廣介記念館があり、10数年前家族で行ってきました。
 全く偶然の所産で、前日、米沢の奥、白布鷹湯温泉に一泊。翌日、吾妻山に登る予定が、風雨強く断念。時間がたっぷりあったので、米沢から少し北、山形交通高畠線(S49年廃止)跡を訪れ、サイクリング道に整備された廃線跡を走るうち、途中に廣介記念館があったのでした。
 ちなみに旧高畠駅は重厚な石造りでそのまま残っており、凸型電気機関車と客車も保存してありました。

さて、ご存じかも知れませんが、「泣いた赤鬼」は童話なのか寓話なのか、解釈をめぐり多様な議論が今なお展開されているようです。学校式の解釈は本当なのか?
 実は私自身、子供のころこの本を読んだとき、子供心によく分からなかったし、少し成長して定番の読解を「強制」され、それでもなんか持ち前の天邪鬼から、ウーム?という違和感があったのですが、2~3年前、いくつかの学校式以外の解釈議論が展開さえていることを知り、同様の人がいるんだ、と思った次第です。
なるほど! (bon)
2017-02-18 10:10:20
hinotorigusaさん、お久しぶりです。
そうでしたか、たまたま登山ができなかったけれども、凸型機関車などに出会えてよかったですね。
泣いた赤鬼・・にも、ことのほか造形が深いことがわかり、改めて感心させられた始末です。 そして深い解釈をめぐる議論にもかかわりを持たれているのに驚きました。すごいですね! 私などは、単に、感動した・・で終わっていたのでした。

コメントを投稿

日々雑感、散策、旅行」カテゴリの最新記事