蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

帝国ホテル (bon)

2019-07-15 | 日々雑感、散策、旅行

 そうですあの帝国ホテルです。東京、大阪、上高地の3拠点で営業しています。
 東京帝国ホテルは、千代田区内幸町にあり 鹿鳴館跡を挟んだ並びに、私が勤務した会社
がありましたので、ちょっと気取った時には、ロビーでくつろぎながら、カクテルなどを
前に談笑したものでした。 現在でも、時々宴会場に出向いたりすることもありますので、
割と敷居は低く感じたりしていますが、本当は殆ど知るところもなかったのでした。

 講演録を見ていたら、現、帝国ホテル代表取締役社長 定保英弥氏の記事がありましたの
で、感じたところをご紹介したいと思いました。あわせて、いつもながらウイキペディア
の項を参考にしました。

 明治20年頃に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテル建設の動きがあり、鹿
鳴館と密接な関連を持ったホテルとして、井上薫(外務大臣)が渋沢栄一と大倉喜八郎の
2人を説いて、1888(明治21年)有限責任帝国ホテル会社を設立して、帝国ホテルが1890
年(明治23年)11月3日に落成、開業したとあります。

 この初代帝国ホテルは、木骨煉瓦作り3階建てで、客室数は60だったそうですが、1919年
(大正8年)に失火から全焼してしまいます。 そこで、元々親交のあったアメリカ人建築
家フランク・ロイド・ライトにより、1923年(大正12年)7月、着工以来4年の歳月を経て
ライトの本館は完成しました。

      ライト館完成図
       (ウイキペディアより)

 鷲が翼を広げたような巨大なホテル(地上3階、地下1階、客室数270)は、10のブロック
をエキスパンションジョイントで繋ぎ合わせた構造で、計画の費用は7倍、工期は2倍に膨
れ上がり、経営陣とライトは軋轢を生み、ライトは完成を観ずに帰国してしまうのです。

 ライト館完成・開業は、大正12年9月1日でしたが、完成披露パーティの直前に関東大震
災が起こったのでした。しかし、ライト館は無事に持ちこたえたのでした。地震に強い
工法が採られていたのだそうです。

 戦後、日本を訪れる外国人が再び増え始めたことにともない、次々と新館を建設し、ラ
イト館本館を取り壊して、1964(昭和39年)に新たに鉄筋コンクリート造、地上17階、
地下3階、客室数772の新本館(現在の本館)を建設するのです。 さらに、本館後ろに
地上31階、地下4階のタワーを建設し、ホテルフロアを12(客室数360)とビジネスフロア
を併設し、経営の安定化もはかるのです。現在、客室数931室、30の宴会場、20のレスト
ラン・バーのあるグランドホテルで、従業員は1800名だそうです。

       現在の帝国ホテル
        (ウイキペディアより)

 以上には、ハード面の内容ですが、一方ソフト面についてはどうなのか、もっぱら社長
の講演録の中から拾ってみました。

 帝国ホテルが始めたサービスとして、①ホテルランドリーだそうです。1911年(明治44
年)に、日本で初めてだそうですが、遠い欧州からスエズ運河経由の定期船で約50日かけ
た長旅のお客様のために洗濯部を設置し、衣類の洗濯やアイロンのサービスを始めたのだ
そうです。
②ホテルウエディング 美容、着付け、写真、挙式、披露宴の一連のサービスを関東大震災
の後、多くの神社などが倒壊・焼失したことがきっかけで始めたとあります。神前挙式場、
写真室、美容室などがホテル内に設置されたのでした。 ③バイキング あの、村上シェ
フが北欧の料理スタイルを研究して1958年に館内に新しいレストラン「インペリアルバイ
キング」を開店したのです。

 さらに、現場の発想から「おもてなし」の心を育んだサービスが紹介されていました。
④紙屑はもう1泊します。 お客様のチェックアウト後、もう1日保管してから破棄すると
いうサービスで、、お客様の万一の忘れ物に備えるのだそうです。931室から出るゴミを
保管するのは大変なことだそうです。 ⑤ポケットマネーは1万円 正面ロビーでお客様
をお迎えするドアマンのポケットには、5000円札と、1000円札5枚を用意しているのだそう
です。 外国からのお客様が、日本に到着後タクシーで来られた時、1万円札は持っていて
も細かいお金の持ち合わせがないことが多く、タクシーの降車をスムーズにするため。
⑥オペレータの手鏡 電話対応の時、顔が見えなくても笑顔で対応するため、デスクの前
には鏡が置かれているのだとか。  さらに、「さすが帝国ホテル」といわれるような種々
の活動を推進しているとありました。

 そして、社長の講演の最後に次のような下りで締めくくられていました。
『ホテルは、訪日外国人にとってその国の印象を決める重要な要素です。帝国ホテルは、
開業時からそうだったように、「日本の迎賓館」「民間外交を担う一翼」という自覚を持っ
て、今後も日本の価値、魅力、おもてなしの心を発信して行きたい』と。

 ちなみに、ホテルオークラは、1962年の開業で、ニューオータニは1964年でした。

 

Wintergatan - Marble Machine (music instrument using 2000 marbles)

 

 

 

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