針供養は、昔から行われている行事で、豆腐などの柔らかい物に針を刺して供養する・・
よく知るところですが、今も行われているのでしょうか? 2月8日が針供養の日・・と
ありましたので、少しネット調べをしてみましたら、なんの、現在も、淡島神を祀る神社で
は、行われているのですね。
起源や、その意味などを、かいつまんで以下にまとめてみました。
「針供養とは、折れ、曲がり、錆びなどによって、使えなくなった縫い針を供養し、近く
の神社に納める行事。各地の社寺で行われているが、主に淡島神社(粟島神社)または淡島
神を祀る堂(淡島堂・粟島堂)がある寺院で行われる」と、ウイキペディアにありました。
(ネット画像より)
その起源は、明らかではないようですが、「中国に『社日(土地神の祭日)に針線(針と
糸、針仕事)を止む』という古い慣わしがあったとされ、それが日本に伝わったとされる」
とあり、平安時代には針供養の堂が法輪寺に建立されており、9世紀の後半には存在していた
ようです。 室町時代には、大量の鉄の針が生産されるようになり、和歌山の淡島信仰と
結びついた針供養の風習が江戸時代中期以降、日本全国に広まったとありました。
和歌山県加太 淡嶋神社
(ウイキペディアより)
針供養の日は、2月8日か12月8日のどちらか、あるいは両日行われるようで、地方によって
異なるようです。八日(8日)というのは「事八日」(ことようか)といって、「事」は、
神事や祭事を表わし、この日は本来、事の神を祭るための、物忌みの日でした。(物忌み=
祭事において、神様を迎えるために一定期間飲食を慎み、心身を清めること。普段の仕事を
お休みする。) これには、見方によって2つの意味があるというのです。
すなわち、◇ 年神様を祭る場合:正月行事の準備を始めるのが12月8日で、すべての行事を
終え、後片付けを済ませるのが2月8日。 また、◇ 田の神様を祭る場合:田植えの準備を始
めるのが2月8日で、農作業がすべて終わるのが12月8日。
で、この2つの“8日”は、つまり、「事始め」(または、こと納め)の日であり、農作業
や裁縫も休み、折れた針を集めて淡島神社に納め、針に感謝し、あわせて裁縫が上達するよう
に祈り、針とともに米、人参、大根などで作った五目飯などをお供えした・・そんな風習なん
ですね。 女性の年中行事だったのですね。前述の「社日(しゃにち)に針線を止む」という
中国の古い習わしが伝わったのですね。(針線=針と糸・裁縫・針仕事)
淡島神社は、和歌山県加太に鎮座する「淡嶋神社」が、全国の淡島神社の総本社とされて
いて、淡島信仰の祭神には、いくつかの説があるようですが、その1つ、婆利塞女(ばりさ
いじょ)を祭神とするものがあり、これに女性の仕事(針仕事)の針が結びついた、と考え
られているとありました。
で、針供養の起源は、この和歌山の淡嶋神社とされています。 針供養が行われる全国の
寺社の主なところは、淡島神社(粟島神社)と淡島神を祀る堂(淡島堂、粟島堂)がある
寺院で、本家?の和歌山のほか、淡島神社(北九州市)、浅草寺(東京都)、荏柄天神社
(鎌倉市)、太平寺(大阪市)などがあります。
浅草浅草寺にある淡島堂で行われる針供養会では、三宝に乗せられた豆腐に針を刺し、
祈りと感謝を捧げるのだそうです。
(ネット画像より)
なお、淡嶋神社(和歌山)は、人形供養の神社としても有名で、境内には供養のために
納められた、無数のひな人形や市松人形、はてはフランス人形までもが所狭しと並べられ
(2万体?)、異様な雰囲気をかもし出しているという。
人形供養
(ウイキペディアより)
浅草寺淡島堂での針供養もよう(2014年の映像です。)