今回の衆議院選挙で自民党が大勝するや安倍自民党総裁は、選挙中に公約していた、追加の金融緩和とインフレ目標について、白川日銀総裁と協議した。 日銀は、その要請を受け、本日の金融政策決定会合で、資産買入基金による10兆円の追加緩和を決め、同時に事実上の物価目標である「物価安定の目途(めど)」を見直し、来年1月の会合で詳細を決めると発表した。
安倍さんのデフレ脱却のための処方箋は目新しいことではない。実は高橋是清が、日本が1927年の昭和金融恐慌でデフレ不況に陥ったとき、ケインズの登場よりも早く、ケインズ政策(いわゆる積極財政)を行い、デフレから脱却させた歴史があり、高橋是清がデフレ退治した先駆者であった。その後、アメリカもルーズベルト大統領の時に、高橋是清がとった処方箋を取り入れ、ニューディール政策を実施して、1929年の大恐慌から立ち直ったいうことである。
高橋是清が世界で初めてデフレを退治したということであり、今回の安倍の決断は、高橋是清を見習ったということになる。
麻生元総理と三橋貴明が、高橋是清のデフレ脱却対策「金融緩和と積極財政」を踏襲するべきであると、今回の選挙より6か月以上も前に対談しており、その模様が6月に28日にニコニコ動画が収録していたので、ここに紹介した。
未確定情報ながら、本日の新聞で安倍は麻生を副総理兼財務大臣に任命するかもしれないとの報ある。また先ほど、TVが次の日銀総裁に竹中平蔵を指名するすると報じていた。
いよいよ、安倍政権のもとで、20年続いたデフレからの脱却も本格的に動き出そうとしており、高橋是清が取った政策が実を結び日本復活につながるかどうか、大いに注目するところである。
<!-- 途轍もないデフレ対策 -->
高橋是清の波乱万丈人生:
1854年幕府の御用絵師が奉公人に手を付け生まれた私生児、仙台藩の足軽に里子とだされ、後に養子となる。その後、10歳の時に横浜アメリカ人医師の私塾で学び13歳の時に勝海舟の息子と留学横浜に滞在していたアメリカ人の貿易商、によって学費や渡航費を着服され、更にホームステイ先である彼の両親に騙され奴隷同然の生活を強いられ、幾つかの家を転々とわたり、時には抵抗してストライキを試みるなど苦労を重ねる。この間、英語の会話と読み書き能力を習得する。15歳 帰国森有礼家の書生となる。19歳 文部省の通訳 30歳 初代特許庁長官 35-35歳 ペルー銀鉱山事業にチャレンジするが失敗。日露戦争(1904-1905)発生時50-51歳の時に、日銀副総裁、戦費調達のために渡英し、外債の公募で手腕を発揮し、資金調達に成功。51歳 貴族院議員 57歳 日銀総裁 59歳 大蔵大臣。原敬が暗殺された時、高橋が第20代総理大臣、2回目の大蔵大臣を兼務、1920年代後半(75歳ごろ)昭和金融恐慌時にデフレ経済を積極的財政政策(ケインズに先駆けて)を導入して、世界で最も早く経済を立て直した。インフレ対策として、軍事費抑制策で軍部と対立、82歳、226事件で暗殺された。