~経済ニュースの森の奥~ ・・マクロな視点から。

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No28 大きな貯蓄は有益か?有害か?

2005年12月15日 | 景気
光文社のペーパーバックシリーズで9月初版の堂免信義著「日本を滅ぼす経済学の錯覚」というのがあります。ごく最近これを読みました。250P余の主張の中には疑問が残る段落も少なくないと感じましたが、マクロ経済を頭ではなく体で理解するうえで役立つようないくつかの論旨が印象に残ったので、その中からキーになる表現を紹介したいと思います。(以下論旨抜粋)

●「日本人の高い貯蓄率が日本の高度成長を支えた」という意見はまったくの錯覚である。稼ぎ-出費で倹約して生まれる自発貯蓄は経済成長に対し有害。誰かがカネを抱え込めば誰かにカネが回らなくなり、けっきょく社会全員が自発貯蓄することは不可能である。

●そもそも、貯蓄が投資資金になる(貯蓄→投資)という考え方は間違いで、投資することにより貯蓄(投資→貯蓄)、つまり投資支出が貯蓄の源泉である。例えばA企業が社会に投資すれば、そのカネは巡りめぐって社会の「貯蓄」となる。 (個人でいえば)過度な貯蓄をせず消費をして生活水準を上げれば自ずと経済は成長する。これに気がついていないこれまでの経済学とは天動説と地動説ほどの開きがある。

●企業と個人の貯蓄の和は等しく、一方が増えるためにはもう一方が減ることが必要。誰かがカネを使うとその保有金額は減るが、社会全体のカネの量は不変。
個人が貯蓄に精出し(1400兆円)すれば企業の儲けが減る。苦しくなった企業はリストラし失業者が増える。なのでまた節約して貯める・・・このサイクルが平成大不況の大きな原因となった。

バブルの実例: 地価暴騰で住宅取得コストが増大、(庶民は)コストの半分である「土地代」の返済に追われ投資(消費)にカネが回らない。その分は社会に還流せず、近郊地主が膨大なカネを取得しそのほとんどを貯蓄して眠らせてしまった。

●貯蓄の弊害を最初に指摘したのは(他でもない)ケインズ。・・中略・・金持ちの過剰な貯蓄は貧しいものを一層貧しくする悪であり、反経済的・反社会的行為。

●銀行による“信用創造”で無から生まれる資金(=企業側から言うところの資金調達)これを支出し世の中へ回すことが、社会全体の所得を増やす。かつての日本やいまの中国はその流れに沿って成長した。無借金は社会に誇るべきことではない。皆で漠然と節約すればその分社会の収入機会が減り失業増をもたらし、結果として節約分以上の収入減少を社会にもたらす。

・・・

この本の主張の最初の一部分だけを抜粋しました(実際には経済論の算式や具体例を交えて丁寧に書いてあります)。このように並べればどれもある意味当たり前と思われる事柄ですが、意外とこのようなマクロをわかりやすく表現する著作物は少ないものです。ついついテクニカルな分析や金融政策のあり方などに評論はハマってしまうものです。 

そういう意味で上記は、原点的に久々“スカッとした”ものでした。要するにカネは天下の回りもの、宵越しの銭は持たないことが社会循環に必要というシンプルな発想によると、資産保有高や貯蓄率云々で一喜一憂する現経済論は根本から勘違いしているという主張です。

残念なのはごく最近の出版の割に根拠資料が古めで、最新情報に基づいた分析とは言えない点です。また、グローバル世界においての理論踏み込みが今一歩足りないとも感じました。

しかし最も残念なのは、この手の「経済の仕組みの原点」を論議する場が盛り上がりに欠け、本屋には相変わらず「自分だけ儲け本」や「恐怖本」が目立っていることです。なぜならそちらのほうが圧倒的に売れるからです。

そもそも自然科学などと比べ、経済学理論ほどブレが多く真理が確立されていない学問はあまりない。その多くが過去の事象に基づいた仮定理論で、多くのエコノミストや教授の指摘や予測でさえ当てにならない世界です。(・・この点具体的には次回以降のファイルで書きたいと思います)


さて話を戻して、本の主張を景気上昇中と叫ばれる世間の現状と照らし合わせると、気になるのは「消費支出動向」や「貯蓄率」「銀行貸出残高」の最新の動きです。
個人消費支出は横ばいから緩やかに上昇トレンド、銀行の貸出しはマイナスからようやく脱却できるかどうかのところです。 今後を見極めないとなんともいえない数字ですが決して悪い方向ではありません。

しかし貯蓄率は大幅に低下傾向です。これまで貯蓄率の低下は高齢化と共にマイナス要因として語られていますが、上の理屈では問題ないどころか歓迎すべき傾向!となります。二極化のなかで貯蓄ゼロ世帯が40年前水準まで増えてしまっている惨状に目をつぶるわけにはいきませんが、「貯蓄を削って消費に回さざるを得ない」とネガティブに考えるのが今までの常識で「消費へ回せばそのカネは現役社会に還流する」とのポジティブ志向もあるわけです。しかし冷静に考えればこの両思考は1枚のコインの裏表にすぎません。思考方法が違うだけであるといえます。


それにしても昔から貯金好きな人種であった日本人、(金持ちでも)節約は美徳としてきた日本人・・これらの道徳観が、金融グローバル化がもたらした資産の積極投資へ傾きつつある現在のトレンドによって打ち破られていく日は近いのでしょうか? それは本当に日本へ幸せをもたらすのでしょうか?

このグローバル投資ムーブメントはいわゆる“地産地消”ではありません。下町コミュニティの中でカネを循環させて活性化させるほど単純な話ではなさそうです。

その先には内需の拡大という楽園ではなく、アメリカニズム(市場原理主義・・当ブログNo14~20参照)の大きなワナが待っている危険が常にハラんでいることを、ひとつ肝に銘じておくべきです。