リリーの備忘録

日々の生活の記録を綴ります。

今日は長崎原爆の日~遅すぎた決断

2020-08-09 13:00:44 | つぶやき

こんにちは。
今日は75年前、長崎に原爆が投下された日です。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

記録によると、終戦二年以上前に戦艦沈没、補給船を撃破され物資補給を断たれ多くの日本軍兵士が餓死し、南太平洋戦で苦戦しているのに、次々に若い人たちを戦地に送り、その時点で戦況は報道されていない。
1944年10月、ルーズベルト大統領はソ連に参戦を促し日本に無条件降伏をさせる構想を持った。
1945年4月、東京大空襲で10万人を失い、大阪、名古屋、神戸なども空襲され多くの人々と城など文化財が焼失した。
5月にドイツが降伏し、イタリア共和国が消滅した。
ソ連はドイツの敗北で兵力を極東に集中させ、満州国を攻めた。
多くの日本軍兵士60万人が寒冷地に送られ強制労働をさせられ10万人が死亡した。
5月に入ると再び東京、横浜などや他の約60の中小都市も爆撃された。
沖縄戦では6月23にまでに沖縄の戦域の大半を占領された。
7月26日に日本に降伏を求めるポツダム宣言でが発表されたが、日本軍は無視。
8月6日、広島に原子爆弾投下。
8月7日、ソ連が日本に宣戦布告。
8月8日、長崎に原子爆弾投下。
8月9日、昭和天皇が初めて戦争終結を口にする。
8月14日、ポツダム宣言を受諾。
8月15日、玉音放送。
ソ連軍は降伏後も樺太からの引き揚げ船を撃沈し、南樺太、千島列島、満州国への攻撃を継続し、歯舞諸島に上陸するなど9月5日まで違法な戦闘攻撃をし朝鮮半島北部など多くを支配下に置いた。

終戦直前に飛び立った若い特攻隊員、人間魚雷、軍需工場で働いていた女学生。
日本の勝利を信じていたのだろうか。
大戦以前から言論統制法規が敷かれ、報道の自由は奪われていた。
国家総動員法、国防保安法などにより、新聞記者は戦争事態を取材し書くことができなくなった。
5月にドイツが降伏した時、日本も降伏していればのちに大きな犠牲を払うことはなかっただろう。
「負けません、勝つまでは」を合言葉に国民は我慢して一致団結をし闘ってきたけど負けてしまった。

現在の日本も国の新型コロナ対策が後手に回って、よく似ている。
なぜ政府与党は臨時国会の召集に応じないのだろうか。
新型コロナ特措法を改正し、強制力を伴う休業要請や金銭的可能要望の声が出ている。
今日も各県で多数の新型コロナ患者が増加している。
このまま、政府は何の対策もせず10月まで国会を開催しないのだろうか。