リナンの全肯定理論。

いわゆるリナンのブログ。

空気感と人格

2008-10-17 22:53:10 | 日記
今更ながら、ほんとに今更ながら、最近「村上春樹」にはまっている。先日「ノルウェイの森」を読み終え、今は「ダンス.ダンス.ダンス」の下巻を読んでいる途中だ。とはいえ、「ノルウェイの森」も読むのは3度目くらいだし、「ダンス~」にいたっては、実家に上、下巻、ツーセットづつある。そして5回くらいは読んでいる。そんなにも好きだからツーセットも買ってしまったのか、はたまた、そんなにも好きだから、ある日突然、もうワンセット湧いて出たのかは知らないが、気づいたら二冊づつあったのだ。
それはさておき。そんな訳で、アタシはとにかく彼の作り出す空気感(「世界観」とはちと違う気がする)がとても大好きなのだが、彼の本を読んでいる期間というのは、絶対的に落ち込んでしまう。その理由のひとつとして思うのは、話の中で人が死にすぎるからだろうか?ある種のことを伝えたいと思った時に、この人は登場人物を死なせる以外に方法を思いつかないのだろうか?とも思う。とはいえ、好きな他の作家の小説だって、村上春樹以上に人はいっぱい死んでる。例えば大好きなコーンウェルの「検死官シリーズ」とか(これはまあ、人が死なないと話が始まらないからしょうがないけど)。しかしながら、数ではなく、彼の小説はともかく「死」のにおいがプンプンする。読んでいてぐったりしてくる。書いていてもぐったりしてきたから「死」の話はこの辺にして。あと、主人公が必ずと言っていいほど「変わってる」と表現される。そして必ずと言っていいほど、「変わってる」と言われた時の主人公は「そんなことはない。俺は凡庸で至極マトモな人間だ」と返す。このやり取りもいささかうんざりする。たぶん、この時代が「変わってる」と言われることがステイタスだったからか、はたまた村上春樹ご本人が「変わってる」とどうしても言われたいのかは知らないが。この時代と今の時代がどれだけ違うのかはわからないが、とにかく今は(少なくともアタシは)「変わってる」と言われれば言われるほど、そして周りから「変わってる」と言われてる人ほど、フツーに見えるのは何故だろう?個人的に、本当に変わってる人というのは、誰からも何も言われずに野放しになっている気がする。自由で、気持ちよさそうに。みんな、本当に「変わってる」人には面と向かって「変わってるね」とはいいづらいらしい。なんでだろう?危険だから?ともあれ、村上春樹自身が現在も(そして過去も)「変わってる」と言われて嬉しいかどうかは知らないが、アタシはアタシの周りの、大好きな「とても変わっている人々」に「変わっている」とはあまり言いたくなくなってきた(「彼」の本を読んで)。それは褒め言葉じゃない気がするし、好きな人はホメたいタイプだから。わかんないけど。
ここまで言うと、ホントは村上春樹がキライなんじゃないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、大好きです。
ただ、読んでいる間は人格がすこぶる暗くなるだけです。そしてブログが長くなるだけです。
しかしながら、久々に前述の二冊を読んで、びっくりするくらい、キレイサッパリ、話の筋を忘れているのに驚きました。
やっぱり、本当は好きじゃないんじゃないか、と思われる方も多いかと思われますが、大好きです。
「ダンス~」が済んだら「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読む予定です。当然ながら、これも3回くらい読んでます。そして、筋はサッパリ覚えてません。楽しみです。
しばらく暗い人間になってると思いますが、よろしくお願いします。