好事家の世迷言。

調べたがり屋の生存報告。シティーハンターとADV全般の話題が主。※只今、家族の介護問題が発生中です。あしからず。

小説とは無限の可能性である。

2019-05-13 | ネット・デジタル

 昔から、小説のフォントいじりが大好きだ。我が原体験は、辻真先氏による『ルパン三世』のノベライズ。爆発音の大フォント、枯れた声の小フォント。アクションシーンでは、動きの通りに文字が走る。語り手が語れなくなれば、何ページでも白紙になる。

 Web小説の『99人の最終電車』が登場した時は、いよいよ凝ったギミックが世の主流になるんだとワクワクした。出来事はリンクされ、独創的な絵と文字が華やかに動き、読者はパズルを相手にするように作中の秘密を解いていくと。

 が、結果は違った。Web小説の大半は今、外部サイトさん達による無難な定型に収まっている。モチロン、基本的な形があってこそ、変則的な作品が栄えるわけだが、全員横並びの画面というのは、個人的に何とも寂しい。

 ただ、近頃は恐ろしい事態が起こっている。ある方の指摘で私も自覚したが、ネットの長文で、原稿用紙のルールが滅びつつある。「段落の一字下げ」「理由のない行がえ・行あけをしない」「文の末尾に句点」などの事項が無視されている。これではもう変則どころの話ではない。

 先人の文章を読まずして、文章を書く事は出来ない。私自身も、まだまだ不勉強ではあるが、自戒した上で、自分なりの可能性を試したい。只今の作品でも、フォントいじりのギミックやります、と予告。なお、今回の記事は極力、原稿用紙のルールを守りました。

 それでは。また次回。

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