(素性法師 古今集)
意味は以下のページからの抜粋
【あの人は「すぐ行きます、待っててくださいね」なんて言ったのに。優しそうな人だったのにな。結局私は待ちぼうけ。夜遅くなってもあの人は来ないし、眠らずに待ってたら、出てきたのは夜更けの有明けの月だけ。普通なら男が帰っていく時刻じゃないの。結局、月を待って夜を過ごしたことになるのかあ。あたしっていったい何なんだろう…。】
有明の月を「あの人」に見立てた詠とも読める。当時の有明の月で一番とされていたのは長月の有明の月であったらしい。月にまつわる言葉は今でも沢山ある。三日月、十五夜、十六夜(いざよい)、十三夜、中秋の名月、そして有明の月。満月は日没とともに昇ってくるが、十六夜は日没よりわずかに遅れて昇る。それをまだかまだかと待つ心情。それが古来の人の感覚にあった。
今来むと 言いしばかりの
というのは、日没後ずっと月を待ち続けるという古来の感覚を、あの人に投影させて暗喩だろう。今日の我々は、月が昇ってくるのをそのような待ち遠しい感覚としては捉えていないのではないか? したがって、和歌という文学を理解できない不幸がそこにある。
そして何故当時、長月の有明の月が有明の月の中で最上であったのかについても、我々はよく知らない。
我々の今の情緒だけをつかって、この詠の心情を捉えるには大きなものが欠けている。よって学問的知識を使って、すこしでもその情緒に迫れないだろうか?以下に人間が作った暦という学問的システムを理解して、この詠の情景を復元してみようと試みる。
有明の月。明けてもまだ有る月ということで有明の月ということらしい。時刻は午前4時過ぎのこと。今日は太陽太陰暦においては3月27日。満月より下弦の月を経て新月に至るまでの期間は月の15日〜30日まで。(今年の3月は大の月)
天文学的な定義はともかく、和歌において有明の月とは、おそらく下弦の月(22日)から新月直前の三日月(27日)あたりの月ということになるだろう。
太陽太陰暦では3月は春の最後の月であり、従って今日より4日後はいわゆる暦の上では夏になる。(太陽暦においては未だ春であるが)
上の和歌は長月(太陽太陰暦9月22〜27、太陽暦で8月下旬)のもので、今とは有明の月の時間の空の明るさとは若干違う。太陽太陰暦は潤月があるので、この歌が詠まれた当時の日の出の時刻が何時だったのかは、本当のところは正確には分からないが、おおよそ太陽暦における8月20日あたりにしておこう。太陽暦8月20日の日の出時刻はグーグルで調べたところによると5時3分。これが、和歌における長月の有明の月である9月27日(この詠の有明の月は三日月ということにする)
太陽太陰暦では秋の終わりの長月だが、太陽暦の8月20日ということは、残暑である。当時の地面はアスファルトに舗装されていないので、熱帯夜ということはないだろう。つまり夜更かししても寒くはない季節。それが長月の有明の月である。
しかしこの詠では、有明の月(あの人)を待っていて朝の5時まで起きていたことになる。(三日月が前提) 当時の人がそこまで夜更かしをしていたかどうかは疑問だし、また流石に朝の5時まで待ってたら、もう来ねーよチクショク!と、とっくに諦めてしまうのかもしれない。従って有明の月を三日月に設定するのは間違いかも。月を下弦の月まで近づけていくならば、その月が昇る時間はもう少し時間を遡れる。8月に空が白み始める時刻は4時くらいかもしれない。その頃の有明の月なら三日月ではなく24日の月、あるいは22日の下弦の月あたりかもしれない。
平安時代の夜の逢瀬が何時頃まで続いたのかは分からない。男が帰っていく時刻とやらが、はたして午前5時なのか、4時なのか、謎が謎を呼ぶが、たしかに今日の明け方の月は私にとって美しかった。
その月の美しさと、早朝に誰もいない中で散歩した一抹の寂しさの感慨を、この素性法師の詠の情景に重ねると、今までとは違った趣を感じたことは確かである。