炎と水の物語 2013 Apprehensio ad Ignis et Aquarius.

広大な宇宙を旅する地球。私たちは今、どの辺にいるのでしょう. 

中越沖地震の謎 その一 怪談刈羽

2007-07-21 | 人災社会学!
 東京電力刈羽原子力発電所の直下に、活断層が存在することが明らかとなりました。なぜ、国の安全にとって重大な意味のある活断層が見落とされたのでしょうか。その原因を考えます。

 そもそも日本の原子力発電所は、過去五万年で最大の大地震に耐えるとされてきました。でも、五万年も前の地震をいったいどうやって想定するのでしょう?

 歴史時代の地震は、過去の地震記録から推定されています。『日本書紀』以降の歴史的文献によって、そのわずかな記述をたよりに、過去の地震の規模を推定しているようです。
『理科年表』国立天文台編 には、日本書紀の時代の地震から現代の地震まで、その規模(マグニチュード)を文献から推定して記載しています。しかし、理科年表に記載されている地震の資料は、国立天文台の職員が調査したものではなく、主に、東京大学地震研究所の宇佐美龍夫というお方の業績を基に創られてます。

 宇佐美龍夫氏は、日本各地の地震資料を網羅し、年代ごとに地震の歴史をまとめた『 新収日本地震史料 』を編纂されたことで高名です。 しかし、近年、その内容に疑問視する声が、日本各地の郷土史愛好家から沸き上っています。『 新収日本地震史料 』に記載された地震の日付の間違が大変多く、また、地域の主要な文書が取り上げられていなかったりしているために、実際の災害とかなり異なった評価がされている場合が少なからずあるというのです。
 
 宇佐美龍夫氏は、日本海中部地震の前年の1982年にある報告書で、秋田では津波の記録はほとんど見当たらないので、津波の心配はないという事を再三述べています。これは、当時、秋田県が計画していた海岸埋め立てによる工業用地造成計画に対して、差しさわり無きように配慮した結果と解釈されています。(過去の津波が明らかになると、当然、工場はやってこない・・・・。事実、現在にいたるまで、造成されたその工業用地には、一社の工場も無いそうです。)

 宇佐美龍夫氏は、秋田でもっとも有名な商家の日記記録などを資採用せず、この地域にさも大規模な津波が無かったかのように歴史を書き換えたといわれています。地域の思惑によって災害の歴史を歪めた結果、1983年の日本海中部沖地震では、津波による人的被害が100人を超えてしまいました。

 宇佐美氏の業績は、所属する東京大学ではなく、日本電気協会という所から出版されています。日本電気協会とは、NEC(日本電気株式会社)ではなくて、電力会社各社などで構成されている団体です。また、日本各地に出向いて、地震の歴史資料を収集したのは、宇佐美氏本人ではなく、とある地質調の査会社が請け負っていたことも事実です。こうして創られた『 新収 日本地震資料 』は、日付の誤りなどが多数あり、宇佐美氏が古文書を理解するか疑問の声さえも、上がっています。

 さて、過去五万年の地震を探るには、文字記録のない時代も調べなければなりません。
こちらは、その地質調査会社の仕事です。岩盤の地表からの深さを調べ、その違いから、断層や褶曲の可能性を探るために、さらに掘り下げます。
もし仮に、秋田での例のように、地域の都合に沿って、地質調査の結果が歪められ報告されていたとするとどうでしょうか? かつて地域を襲った津波が無きことにされたように、あるはずの活断層は無かったことにされ、原子力発電所は、建ててはいけない所に建設されてしまうのではないでしょうか。

 ともあれ、歴史を書き換えたり、科学的調査データを捏造することの恐ろしさをひしひしと感じさせられた今回の地震ではありました...。無かったはずの断層が原子炉の下から現れたなんて、なんだか怪談じみたお話ですよね~(^^;

 BGM;  PETE SEEGER.  Acres of Clams !  視聴してね(^^)。 Amazon.com USA.


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。