伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅷ(1984,4~1986,3)

2006-07-10 | 夜のヒットスタジオ/番組史
◆昭和59(1984)年04月16日(第803回)
ロンドンからの衛星生中継でTHE MODSが初出演(歌:バラッドをお前に)。日本人アーティストの海外中継での出演はこれが最初であった。
◆昭和59(1984)年04月23日(第804回)
・荻野目洋子初出演(歌:未来航海)。
・井上順不在につき、芳村真理が単独で司会を担当。
◆昭和59(1984)年04月30日(第805回)
この年「52歳の大型新人」として歌謡界を席巻した、上方喜劇を代表する俳優・芦屋雁之助が初出演(歌:娘よ)。
◆昭和59(1984)年05月21日(第808回)
「秋のささやき」、「愛しのクリスティーヌ」などの曲で知られるフランスのピアニスト、リチャード・クレイダーマンが来日初出演。1976年に発表された自身の出世作である「渚のアデリーヌ」を演奏。
◆昭和59(1984)年06月25日(第813回)
・バイオリニスト・辻久子が初出演。「セレナーデ~ドリコ~」を演奏。
・高橋真梨子初出演。同年、カメリアダイアモンドのCMソングとして話題となった「桃色吐息」を披露。
◆昭和59(1984)年07月09日(第815回)
ガジャ・グー・グーが来日・初出演。別スタジオから「Back On Me」を披露。
◆昭和59(1984)年07月23日(第817回)
前年の「FNS歌謡祭」部門賞のノミネートを辞退したことを起因として、以降約8ヶ月間夜ヒットの出演に制約が課されていたとされる中森明菜が、新曲「十戒」を引っさげ、久々に夜ヒットに登場。
◆昭和59(1984)年07月30日(第818回)
・一世風靡セピア初出演(歌:前略、道の上より)。初出演は通常のメドレーからの登場ではなく、「海外アーティストと同じ扱いで」との意向から、メドレー終了後、階段セットから降りてくるいう「生意気集団」らしい登場の仕方であったが、メンバーの一人が意図的に(?)ずっこけるハプニング起きる。このシーンは後年、番組史上に残る「珍場面」として幾度となく紹介された。
◆昭和59(1984)年08月13日(第820回)
小林幸子が芳村真理の代理司会を担当。
◆昭和59(1984)年09月03日(第823回)
舘ひろし初出演(歌:泣かないで)。
◆昭和59(1984)年09月17日(第825回)
世界に視野を置いた活躍を見せるバイオリニスト・前橋汀子初出演。「亜麻色の髪の乙女」「美しきロスマリン」の2曲を演奏。
◆昭和59(1984)年09月24日(第826回)
松坂慶子・志穂美悦子、映画「上海バンスキング」の劇中挿入歌「ウェルカム上海」をデュエット。スリットの入った妖艶なチャイナドレス姿で魅了。
◆昭和59(1984)年10月01日(第827回)
・16年間の野球生活に終止符を打った、元阪神・西武の田淵幸一選手が特別出演
・五木ひろしが東宝映画「おはん」の同名主題歌を初披露。応援ゲストとして同映画の原作者・宇野千代、主演の吉永小百合が駆けつける。
◆昭和59(1984)年10月08日(第828回)
2時間スペシャル版。オリジナルの曲ではなく、他のアーティストの曲をアレンジして披露するという一風変わった趣向を取り、松田聖子は小坂明子の1974年の大ヒット曲「あなた」、中森明菜は自身が信奉する山口百恵の「イミテーション・ゴールド」、田原俊彦はマイケル・ジャクソンのヒット曲「BEAT IT」、そして、美空ひばりは欧陽菲菲のロングセラーヒットである「ラブ・イズ・オーヴァー」を堂々の熱唱。また、特別ゲストとして、萩本欽一率いる「欽ちゃんファミリー」が局の垣根を越えて総出演。この放送の好評ぶりが翌年春の「DX」版への大リニューアルの布石となった。
◆昭和59(1984)年10月15日(第829回)
ビートたけしがたけし軍団を伴って歌手として初登場。スマッシュヒットした「抱いた腰がチャッチャッチャッ」を披露。
◆昭和59(1984)年11月12日(第833回)
映画「ゴースト・バスターズ」の同名主題歌が全米チャート第1位の大ヒットとなったレイ・パーカーJr.が初登場。
◆昭和59(1984)年11月19日(第834回)
西城秀樹、郷ひろみ、ワム!のヒット曲「ケアレス・ウィスパー」で競演。
◆昭和59(1984)年11月26日(第835回)
ピアニスト・中村紘子初出演。「幻想即興曲」を演奏。
◆昭和59(1984)年12月17日(第838回)
20年の歌手生活に幕を下ろすこととなった都はるみの「サヨナラ」企画を放送。盟友・水前寺清子ら関係者が駆けつけるなか最大のヒット曲「北の宿から」を熱唱(後、1990年に歌手活動を再開するも夜ヒット出演はなく、これが彼女にとり最後の夜ヒット出演回となった)。
◆昭和60(1985)年01月14日(第841回)
松田聖子、結婚休業前最後の夜ヒット出演。
◆昭和60(1985)年01月21日(第842回)
プロモーションビデオ・コンサートでの過激なファッション・パフォーマンスが様々な波紋をなけかけていた、アメリカを代表するポップスクイーン、マドンナが来日初登場。全米1位の大ヒットとなる「Like A Virgin」を披露。この後、日本でも同曲はヒットチャート上位にランクインされるヒットとなり、日本でも熱狂的なファン層を獲得する。
◆昭和60(1985)年01月28日(第843回)
吉幾三初出演(歌:俺ら東京さ行くだ)。後見人的存在である千昌夫が応援で駆けつける。
◆昭和60(1985)年02月04日(第844回)
・元高見山の東関親方(当時)が特別出演。
・郷ひろみ、大勢のファンがかけつける異常な熱気の中、新曲「どこまでアバンチュール」を熱唱。
◆昭和60(1985)年02月18日(第846回)
・プロレスラー・アントニオ猪木が特別出演。
・木の実ナナ・細川俊之、10年以上のロングセラーとなったミュージカル「ショーガール」の一場面を再現。
・菊池桃子初出演(歌:卒業)。
◆昭和60(1985)年02月25日(第847回)
「ガジャグーグー」の元ボーカル、リマールが、日本でも話題となった映画「ネバーエンディング・ストーリー」の同名主題歌を引っさげて来日初出演。
◆昭和60(1985)年03月11日(第849回)
同日初出演の東京JAPのボーカル・立川利明が「摩天楼ブルース」を演奏中、突如ショルダーベルトが外れるトラブル発生。
◆昭和60(1985)年03月25日(第851回)
約17年近く続いた月曜日22時台での放送終了。「さよなら月曜日」と題して、これまで番組を彩った歌手の面々をスタジオに招き、翌週からスタートする「DELUXE」版の導入と過去の名・珍場面を紹介する内容で月曜での放送を締めくくった。また、このリニューアルを機に、1969年春のカラー放送移行時より16年間「ニューブリード」のバンドマスターを担当してきたダン池田が「タレント活動を充実させるために毎週の番組出演が困難になった」という理由で降板(但し、これは表向きの降板理由であり、実際は番組制作陣に対する(特に金銭・待遇面での)不信をきっかけとした降板であり、このことが同年11月のダンによる暴露本発売の遠因となった)。
◆昭和60(1985)年04月03日(第852回)
・放送時間・曜日を水曜21~23時までの2時間に拡大・移動し、「夜のヒットスタジオDELUXE」としてリニューアルスタート。司会は引き続き芳村真理・井上順が担当。このリニューアルを機に月曜時代にイレギュラーで行われていた芳村真理企画のファッションショーをコーナーが番組前半・後半の間のハーフタイムコーナーとして完全レギュラー化されたほか、海外アーティストのゲストも毎週1~2組出演させるなど、ワールドワイドな音楽情報番組へと番組コンセプトを移行。また、歌手の多面的な魅力を引き出すことをコンセプトとする「マンスリーゲスト」制を導入(最初のマンスリーは小柳ルミ子)。このほか、出演歌手の現在と過去の姿を対比する「タイムトンネル」や、「ビデオレター」などの新コーナーを設置。
・ダン池田に代わり、元ブルーコメッツの三原綱木が「ニューブリード」の新バンドマスターとして参加(これより以前、三原は長らく郷ひろみのバック演奏を務めており、バンマスへの就任の話も疋田拓プロデューサーの委嘱を受けた郷から直々に三原サイドに持ち込まれたものだったとされる)。これを機に「ザ・ニューブリードスペシャル」とバンド名を変更(但し、同バンド名および、三原を中心とするバンド編成は元々ヒットスタジオ限定の形態であり、「NHK歌謡ホール」「オールスター家族対抗歌合戦」など他の番組では、三原がかつて在籍していた「ブルーコメッツ」の元”同僚”である小田啓義が「ニューブリード」の指揮を務めていた。三原が正式に小田から「ニューブリード」のバンマスを継承し、「三原綱木とザ・ニューブリード」のバンド名での演奏活動を開始するのは、同番組との出演契約が切れた1986年春からの事である)。
・ラッツ&スターが同日に行われたメンバー全員の合同結婚式終了後、同番組に新婦・親族一同を伴って出演。「俺だけのマドンナ」を披露。
◆昭和60(1985)年04月10日(第853回)
・前年、アルバム「夜明けのランナウェイ」でデビュー、日本でも高い人気を獲得しつつあったボン・ジョヴィが初登場。
・吉幾三が、地元である青森県金木町の人々と「ご対面」。感慨もひとしおの中「俺ら東京さ行くだ」を披露(一説では、同町住民のほぼ全員が駆けつけたとの話もある)。
◆昭和60(1985)年04月17日(第854回)
・アメリカショービジネス界を代表する大スター・フランク・シナトラが来日出演。東京・河田町の旧フジテレビ局舎玄関前から赤絨毯が引かれ、マンスリーの小柳ルミ子がエスコートしてスタジオ入り。局舎にはシナトラ来日を歓迎する旨のメッセージが書かれた大型ボートが設置されるなど、超VIP待遇ともいえる登場であった。
・ティナ・ターナー、ロンドン衛星生中継で初出演。
・とんねるず初登場(歌:一気!)。
◆昭和60(1985)年04月24日(第855回)
・髪型・衣装の奇抜さが話題を呼んだC-C-Bが初登場(歌:スクール・ガール)。
・ビューティー・ペア時代以来ともいえる同年の女子プロレスブームの立役者・クラッシュギャルズ(ライオネス飛鳥・長与千種)が歌手として初登場。途中、当時彼女たちの敵役として共に人気を集めていた「極悪同盟」のタンプ松本らが乱入する一幕も。
◆昭和60(1985)年05月01日(第856回)
斉藤由貴初出演(歌:卒業)。
◆昭和60(1985)年05月15日(第858回)
・出演2回目のとんねるずがスタジオ狭しと集まった大勢のファンに囲まれながら新曲「青年の主張」を初披露。また、マンスリーゲスト・田原俊彦が「タイムトンネル」コーナーで「哀愁でいと」を披露した際には飛び入りでバックダンサーを務めるなど大車輪の活躍ぶりを見せる。
・岩城滉一初出演(歌:笑い話)。
◆昭和60(1985)年05月22日(第859回)
「哀しみのマンディ」などで知られるアメリカを代表するバラードシンガー・バリー・マニロウが初出演。同年6月12日放送ではスタジオに来日出演。同日放送の際の司会者とのやり取りの中で彼が語った要望通り、100人の現役芸者がスタジオに集結、華々しく彼を出迎える。
◆昭和60(1985)年05月29日(第860回)
岡田有希子初出演(歌:Summer Beach)。
◆昭和60(1985)年06月05日(第861回)
大関・若島津関(現・松ヶ根親方)との結婚のため歌手活動を引退することとなった高田みづえの「サヨナラ」企画を放送。新郎である若島津関をはじめ、堺正章、玉置宏、西川きよしら関係者が駆けつける中、「私はピアノ」ほか代表曲のヒットメドレー、そしてラストナンバーとなる「カーテンコール」を熱唱。
◆昭和60(1985)年06月12日(第862回)
爆風スランプ初登場。この際に披露した「無理だ!決定版」では、1978年のサザンオールスターズ初登場時と同じく、歌詞が聞き取りづらいとの理由から、夜ヒットでは異例の歌詞テロップが表示された。
◆昭和60(1985)年06月19日(第863回)
「ナベサダ」の愛称で親しまれる日本を代表するサックス奏者・渡辺貞夫が初出演。
◆昭和60(1985)年07月03日(第865回)
「東京ディズニーランド」の名物キャラクター、ミッキーマウス、ドナルドダッグらが登場。斉藤由貴らの歌でバッグダンサーを務める。
◆昭和60(1985)年07月10日(第866回)
・デビュー20周年を迎えた加藤登紀子が久々の登場。デビューシングル「赤い風船」の作曲者・小林亜星を初め、長谷川きよし、岡田真澄、加東康一、妹尾河童ら彼女の「シンパ」を標榜する著名人が多数応援ゲストとして登場。
・アデランスの全面協力により、西城秀樹が老人風の特殊メイクを施して番組ラストに「リアル・タイム」を披露。
◆昭和60(1985)年07月17日(第867回)
・日本を代表するロック・ギタリスト、高中正義初出演。CMから話題となった「渚・モデラート」を演奏。
・TUBE初出演(歌:「ベストセラー・サマー」)。元々は当日「イン・ザ・ワールド」コーナーのゲストとしてキャスティングされていたU2が諸事情により本番直前になって急遽出演見合わせとなったことに伴う”代打”としての出演であったが、この出演をきっかけに一躍知名度が上昇、翌年の「シーズン・イン・ザ・サン」でのブレイクに繋がる布石となった。尚、番組プロデューサーの疋田拓が彼らの代打出演を最終決定したのは本番当日の夕刻の事であり、ほとんど打ち合わせや音合わせもする時間もないままにオフを過ごしていた湘南から東京・新宿河田町のフジテレビに駆け込み、そのまま本番に臨むという慌ただしさだった事もあってか、直前まで彼らの存在を全く知らなかった司会の井上順が、曲の紹介時にバンド名を「ウェーブ」と誤って紹介してしまうというハプニングも起きている。
◆昭和60(1985)年07月24日(第868回)
・中山美穂、おニャン子クラブ初出演(歌:中山―「C」、おニャン子クラブー「セーラー服を脱がさないで」)。
・「新人類」という言葉を流行らせた大関・北尾関が特別出演。
◆昭和60(1985)年08月07日(第869回)
・マンスリーゲスト・谷村新司と佐藤隆が「12番街のキャロル」で競演。
・元ポリスのスティングがソロアーティストとして夜ヒット初登場。
◆昭和60(1985)年08月21日(第871回)
・森進一、日航機墜落事故で夭折した先輩歌手・坂本九への追悼の意を込め「見上げてごらん夜の星を」を涙の絶唱。
・当時の角川映画のエース級俳優、原田知世・野村宏伸・渡辺典子・原田貴和子が特別ユニット「BIRDS」として登場。 
◆昭和60(1985)年09月18日(第876回)
おニャン子クラブからのソロデビュー組第1号、河合その子がソロ初登場(歌:涙の茉莉花LOVE)。おニャン子クラブの面々が応援。
◆昭和60(1985)年09月25日(第877回)
・井上順が司会を降板。エンディングでは田原俊彦、研ナオコ、堺正章、河合奈保子らが駆けつける中、自身の代表曲「お世話になりました」を歌唱。長年コンビを組み、井上に全幅の信頼を置いてきた芳村真理は別れを惜しみ号泣。
・10年以上の苦境期の末、この年、「涙のフィーリング」で全米チャート1位に上り詰めたREOスピードワゴンが初出演。
◆昭和60(1985)年10月02日(第878回)
・4代目の芳村真理のパートナー司会者として古舘伊知郎が抜擢される。地元・滝野川の母校の校歌に乗って副調整室の階段から登場。
・横綱・千代の富士関(現・九重親方)、アントニオ猪木がそれぞれ芳村・古舘の友人として特別出演。
・アン・ルイス、吉川晃司が「六本木心中」を放送コードの限界ともいえる過激なパフォーマンスでジョイント、波紋を呼ぶ。
・「千恵っ子よされ」で2度目の出演の岸千恵子の応援として、彼女の地元後援会の面々が大挙スタジオに押しかける。
・山口百恵の引退から5年、「タイムトンネル」特別企画・「山口百恵Again」を5週連続放送、往時の歌手・山口百恵の魅力を過去の夜ヒット出演シーンから紹介。
・同年、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主題歌「Power of Love」が全米1位となり、人気絶頂期を迎えたヒューイ・ルイス&ザ・ニュースが初登場。
◆昭和60(1985)年10月09日(第879回)
・坂本龍一、矢野顕子の夫婦共演が実現。第6スタジオより「Steppin' Into Asia」を披露。
・中森明菜、「百恵Again」内の特別企画として「夢先案内人」に挑戦。
・HOUND DOG、100人を越えるファンを従えて「ff(フォルティッシモ)」で堂々の初出演。
◆昭和60(1985)年10月16日(第880回)
・阪神の21年ぶりとなるセントラル・リーグ優勝がかかった試合「阪神×ヤクルト戦」を神宮球場から同番組の名義の下で臨時中継。阪神優勝決定の瞬間まで中継を継続。この回の大半の歌手は曲を披露できず、他の回に代替出演させる措置が採られる。また、通常はオープニング時に行われる「他人の歌メドレー」やハーフタイムショーの「ファッションショー」コーナーもエンディング時に簡略化した形で行われた。
・三田佳子、15年ぶりに夜ヒットに出演(歌:お人好し)。
◆昭和60(1985)年10月30日(第882回)
・同年、「Take On Me」が全米1位、全英2位という大ヒットとなり一躍人気バンドとなったA-haが初登場。
・シンガーソングライター・長渕剛との離婚後、芸能活動を本格的に再開した石野真子が4年ぶりに夜ヒットに出演、「めぐり逢い」を披露。
◆昭和60(1985)年11月06日(第883回)
・宝塚歌劇団を退団して間もない大地真央が11月のマンスリーとして出演。歌手としてのゲスト出演である薬師丸ひろ子、布施明の応援ゲストとして登場の浅野温子、紺野美沙子、沢口靖子(布施が当日披露した楽曲が彼女たちの出演する映画「姉妹坂」の同名主題歌であった縁から出演)、という当代の人気女優が豪華そろい踏み。
・前月の「百恵Again」に続く「タイムトンネル・特別企画」第2弾として、前年末に引退した都はるみにスポットを当てた「はるみAgain」を放送(~同月27日まで)。現存する番組VTRからスタッフ・関係者が選んだ彼女のベストパフォーマンスを計4週にわたりフルコーラスで放映。
◆昭和60(1985)年11月13日(第884回)
ホイットニー・ヒューストンが衛星生中継で初登場。
◆昭和60(1985)年11月20日(第885回)
・矢沢永吉が衛星生中継で夜ヒット初登場、「ヨコハマ・20歳まえ」「TAKE IT TIME」を披露。この出演が彼にとり、テレビ生番組最初の出演であった。
・岩崎良美が当時フジテレビ系で放映されていた人気アニメ「タッチ」の2代目OPテーマ「愛がひとりぼっち」で登場。曲中には同アニメの主人公「上杉達也」と「浅倉南」が合成で登場(アニメーションキャラクターとスタジオ映像の合成は81年12月の「川崎黄金猫舎」に続きこれが2例目)。
◆昭和60(1985)年12月04日(第887回)
・マンスリーの西城秀樹、作者であるバリー・マニロウと共に「腕の中へ」をジョイント。
・SHOW-YA初登場(歌:Masquerade)。
◆昭和60(1985)年12月18日(第889回)
逸見政孝アナウンサー(当時)が古舘伊知郎の代理司会を担当。
◆昭和60(1985)年12月25日(第890回)
・THE ALFEEが「夢よ急げ」を演奏中、アンプ機器が故障するハプニング発生。本来、彼らの演奏後に行う予定となっていた1985年の年間総集編企画を先に実施の上、別のアンプを用意して再度一から演奏をし直す措置が採られる。
◆昭和61(1986)年01月15日(第892回)
・マンスリーゲスト・梓みちよ、「ナタラージュ」をワインで純白のドレスを汚しながらの熱演。
・中森明菜、シブがき隊の成人式記念「ご対面」企画。中森は家族・「明菜番」の雑誌編集者と、シブがき隊は大勢のファンと「ご対面」。
◆昭和61(1986)年02月05日(第895回)
・露木茂アナウンサー(当時)が古舘伊知郎の代理司会を担当。
・1985年度グラミー賞12部門ノミネートという快挙を成し遂げた、大物ヴォーカルグループ・マンハッタン・トランスファーが初登場。
◆昭和61(1986)年03月12日(第900回)
爆風スランプ、「青春の役立たず」の演奏中、他の歌手のために用意されてていたセットを破壊する暴挙に出る。
◆昭和61(1986)年03月19日(第901回)
鈴木雅之がソロ歌手として初登場(歌:ガラス越しに消えた夏)。
◆昭和61(1986)年03月26日(第902回)
放送900回突破を記念し、春の特別版として総集編企画や河合その子・中島美春のおニャン子クラブ卒業特別企画などを放送(実際には1986年3月12日に放送900回達成)。