利休の茶室日記

侘び寂びを求めて、何を思う

理解

2005-10-08 | 心に残る言葉
理解とういのは、
一緒になること、
一緒に悩むこと、
そして悩む人の心に共感できることである。
『いのちの言葉』(日野原重明さん著から)

広辞苑によれば「理解」とは、物事の道理を悟り知ること。
意味をのみこむこと。
ひとの気持ちや立場がよく分かること。

わたしはどれほど物事の道理を悟って生きているか、
全く自信がない
一緒に悩んであげているか、
その対象がいない
悩む人の心に共感できているか
本当に心を傾けたか、
全く自覚がない

でも考えたい
分かり合いたい
お互いの違いを
子供たちが生きる社会のために
老人が生きる価値を見出すために

これからの自分のために
未来の社会のために
平和のために

しかしこの地球には
平和を知らない人がいる
アフリカ、アジア、中近東
だから平和の求め方が分からないという

そんなことも理解していこう


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6 コメント

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分かりました (もぐら)
2005-10-08 00:51:10
「分かりました」が私の口癖。ただただうなづく。

怒られても「分かりました」

会話のあとに「分かりました」

そんな安易ではいけないのですね。

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Unknown (かつお)
2005-10-09 01:05:42
どもです。

「仕事」「自立支援」「福祉」「安楽」「老健」

知ってる言葉だけれども、何処まで知っているのか。

「知っている」を安易に使うと、後で全く知らない自分に嫌気がさしてきます。

知ろうという、努力は必要ですよね。

どんなに、頭でっかちだといわれようとも。

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>かつお様 (利休)
2005-10-09 08:24:57
「知ろうとする努力」は必要ですね。

わたしもついつい「知らない」ことが恥だと思って、見栄をはったり、知らないこと不安に思ったり。

しかし偉い先生が「知らない」ことを伝え、教えをこう場面を見ることがあります。

教えてもらう謙虚さ、そこが知ることの原点だとしたら、知っていることを主張するのにエネルギーは使う必要はないのかと思ったりします。

場面場面ですけど。

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>もぐら様 (利休)
2005-10-09 18:24:11
素直なことは、それで素晴らしいことだと思います。

でも自分が守らなければならないものがあるとき、そのときには違う行動もあるかもしれません。

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Unknown (のじり苑)
2005-10-09 20:58:37
いつも、素敵な内容を拝見し勉強になります。

理解する事の、奥深さを改めて思い知らされました・・・



安易に発する「分かった」は、本当の理解ではなかったと・・・
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>のじり苑様 (利休)
2005-10-09 21:23:28
ありがとうございます。

青森の秋は深まっていることと思います。

今月末の青森出張を楽しみにしています。



「分かった」とうなずくこと、そこに共感するものがないといけないのかもしれません。

私の感ずることですが、どうしてもそこには謙虚なスタンスが必要だと思います。
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