私たちに与えられた恵みを数えてみれば、
どんな逆境にあったとしても、
受けているものの方が、与えられるもののほうが、
与えるものよりも多いことに気づく。
受けた重みを、どこで返そうと考えたいものである。
『いのちの言葉』(日野原重明さん著から)
私は、与えられて生きてきました
親から授かった命を、当たり前のように受け止めて
この歳になって、親から与えられた命を考えます
親に感謝しようと思う歳になりました
でも、親父の墓の前で手をあわせるだけです
その分、母に、と思います
与えようなんて思ってはいません
しかし感謝しようと思ったとき
感謝する相手は、この世にいない
そんなもんですか?
「受けた重み」をどこで返そうか、なあ親父
まだまだ未熟者だけど、まかせてくれるか
でも、また与えてくれよ、なあ親父
たまに、親父との会話
いくつになっても、親父の声を聞いています
どんな逆境にあったとしても、
受けているものの方が、与えられるもののほうが、
与えるものよりも多いことに気づく。
受けた重みを、どこで返そうと考えたいものである。
『いのちの言葉』(日野原重明さん著から)
私は、与えられて生きてきました
親から授かった命を、当たり前のように受け止めて
この歳になって、親から与えられた命を考えます
親に感謝しようと思う歳になりました
でも、親父の墓の前で手をあわせるだけです
その分、母に、と思います
与えようなんて思ってはいません
しかし感謝しようと思ったとき
感謝する相手は、この世にいない
そんなもんですか?
「受けた重み」をどこで返そうか、なあ親父
まだまだ未熟者だけど、まかせてくれるか
でも、また与えてくれよ、なあ親父
たまに、親父との会話
いくつになっても、親父の声を聞いています
この世には、自立や独立という事は、ほんとにないんでしょうかね~
自立と依存でまわっているんでしょうね。
高齢者福祉の世界においても重いテーマですね。
このバランスも保ちながら、
これからの社会の中で生きていく勇気と優しさ、強さを持たなければと思います。
介護報酬改正も「依存」を排除しつつあると思えてきます。