reikoのヘタレ日記with時々身体作りに株・・とか

日記です、愚にもつかないあれこれ叫んだり呟いたり。
生存報告でもありますw
綺麗な身体作りやど素人の株も、更新中。

Happy Birthday to meとかww

2021-08-22 06:58:03 | 思い出ってほどでもないけど
外は曇り、何気に湿度も高く。
昨晩の熟睡度はイマイチで、今朝どっちかって言うと上から目線のメッセージ読んで。
気分がドカンと・・・・・落ち込みはしないけど、いささか腹立たしい私です。

がしかし、一応誕生日だったりもします。
なので今日1日は何もせずにダラダラしようか、とも思ったんですが。
自主練のスタジオは今日は借りてないし・・・・でも夕方のオンラインクラスは、通常営業。
・・・多分普段どおりの1日になるでしょう。

まあ誕生日たって、何をするわけでもありません。
昔の欧米の場合、甘やかしくれる昔からの召使いとかが。
誕生日は特別ですから、とか言いつつベッドに朝食を運んでくれたり(byアン・シリーズ)

・・・・そんなこたあ望みませんがね。
食事もアレルギーのせいで特別なものも食べられないし。

実は子供時代の誕生日の思い出ってのは、あまりないです←薄情者
というのも、夏休み中なので学校友達とかに会えないじゃないですか。
しかも私、越境通学でしたから。

親は・・・・確かうろ覚えなんですが、夕食を鳥の脚とか焼いてくれたような?
鶏肉は好物ですし、あの当時は脚1本はかなりのごちそうでした。

最も誕生日が派手だったのは、NY時代です。
毎年誰かしらが音頭とって、どこかでパーティしてくれました。

特に記憶が鮮明なのは、セレンディプティ3での誕生会。
映画にもなったあの店です、アイスクリームとかの専門店ね。
パフェが素敵なんですよ><

予約してくれてあった特別性のパフェ、まさに欧米式に。
ウェイターが「Hppy Birthday to you♪」歌いつつ持ってきてくれて。
これまた欧米らしく、店の客が唱和してくれるという。

いやあ、何とも記憶に残る誕生日でした。
あの頃は皆さん、物をというよりもこうしたパーティが多かったですね。

ちなみに私当時、Grahamの母(日本人留学生の)と呼ばれておりました。
1人だけ年が行っていたのと、やたら長くいついていわゆる顔だったのと。
おせっかいで世話焼きだった、ってところからついたあだ名でした。

おかげでこうしたパーティも、毎年やってもらっていたんです。
いやありがたいことです。

さて今年は、フライングで6月にあれこれ頂いたのと。
昨日生徒さんから。



これいただきました。
上等な素材で作られた布巾・・・手ぬぐい、ハンカチ?と。
可愛いお箸です。

ありがたいことです。

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