昔から本と言えば、翻訳ものばかり読んでました。
日本の小説って、というに当時はねえ・・・・スピード感も無くて飽きてしまってw
いや申し訳ないんですが・・・・SFに凝るまでは、日本の小説読みませんでしたね。
翻訳ものばかりでした。
でまあ思い知ったのが、少年少女なんちゃらっていう全集の場合、完訳じゃないってことです。
いや別の全集だと同じ小説の途中が違ったり、ひどいのになるとラストが違ったりww
意訳とか抄訳ってのですね。
少し長じてからは、完訳を探して読むようにしました。
しかしこの意訳とか、本当にうまい人の場合もう唸るしかないですね。
特に原書を読むと、その翻訳のうまさに泣けます。
「ナルニア国物語」を最初に訳した、瀬田貞二さん。
この人の訳は、もう・・・・天才級。
特に固有名詞の訳が、上手くてねえ。
後に原書読んで、ああ・・・・なるほど・・・・言葉の妙というか。
日本語の語彙の多さも、手伝ってるなあ・・・と。
「ぶつくさがたろう」なんて名前、これ原書で読むと実際「不変ばかり言っている」と直訳できるんです。
それを「ぶつくさがたろう」と言う固有名詞にするということ、これ翻訳者としてのセンスと語彙の豊かさがあってのことですね。
そして固有名詞、この発音も問題です。
「少女ポリアンナ」という小説がありますが、これ村岡花子さんは「少女パレアナ」と訳してます。
うーーん、どっちが正解って言えないんですよね。
英語の発音が、無理に日本語にすると「ポァレアァナ」って感じかなあ。
「ポリーアナ」とでも?
アンナって英語発音すると、中間のンがほとんど聞き取れないです日本人。
そしてポリーもね、発音的に「ポ」の母音が「オ」ではなくて「ア」との中間音なんですよ。
まあつまり、村岡花子さんの場合かなり発音に忠実に、って感じかなあ。
ポリアンナのほうが、日本語としてはとっつきやすいかも。
「ドリトル先生」も同じく「ドゥーリトル先生」のほうが近い、でも子供読みづらい。
「怪盗ルパン」も「リュパン」なんですよ。
翻訳書の苦労がしのばれます。
日本の小説って、というに当時はねえ・・・・スピード感も無くて飽きてしまってw
いや申し訳ないんですが・・・・SFに凝るまでは、日本の小説読みませんでしたね。
翻訳ものばかりでした。
でまあ思い知ったのが、少年少女なんちゃらっていう全集の場合、完訳じゃないってことです。
いや別の全集だと同じ小説の途中が違ったり、ひどいのになるとラストが違ったりww
意訳とか抄訳ってのですね。
少し長じてからは、完訳を探して読むようにしました。
しかしこの意訳とか、本当にうまい人の場合もう唸るしかないですね。
特に原書を読むと、その翻訳のうまさに泣けます。
「ナルニア国物語」を最初に訳した、瀬田貞二さん。
この人の訳は、もう・・・・天才級。
特に固有名詞の訳が、上手くてねえ。
後に原書読んで、ああ・・・・なるほど・・・・言葉の妙というか。
日本語の語彙の多さも、手伝ってるなあ・・・と。
「ぶつくさがたろう」なんて名前、これ原書で読むと実際「不変ばかり言っている」と直訳できるんです。
それを「ぶつくさがたろう」と言う固有名詞にするということ、これ翻訳者としてのセンスと語彙の豊かさがあってのことですね。
そして固有名詞、この発音も問題です。
「少女ポリアンナ」という小説がありますが、これ村岡花子さんは「少女パレアナ」と訳してます。
うーーん、どっちが正解って言えないんですよね。
英語の発音が、無理に日本語にすると「ポァレアァナ」って感じかなあ。
「ポリーアナ」とでも?
アンナって英語発音すると、中間のンがほとんど聞き取れないです日本人。
そしてポリーもね、発音的に「ポ」の母音が「オ」ではなくて「ア」との中間音なんですよ。
まあつまり、村岡花子さんの場合かなり発音に忠実に、って感じかなあ。
ポリアンナのほうが、日本語としてはとっつきやすいかも。
「ドリトル先生」も同じく「ドゥーリトル先生」のほうが近い、でも子供読みづらい。
「怪盗ルパン」も「リュパン」なんですよ。
翻訳書の苦労がしのばれます。