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ロスチャイルド財閥ー250  ナショナルトラストに寄贈されたワデスドン館

2023-11-10 06:59:09 | 国際政治・財閥


        ワデスドン館(Wadesdon ≫Manor)


 

 

 

・ロスチャイルド財閥ー247 ドイツの台頭と19世紀後半の混乱するヨーロッパ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3947e90a2431d1d32d33e186b709d019

・ロスチャイルド財閥ー248 ユダヤ人迫害の負の歴史、英金融街成立の影にhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/73062f0ecc8f5312f2b1ade1742f29ba

・ロスチャイルド財閥ー249 19世紀後半のロスチャイルド一族https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af4fda1973cee3f44349b3747d1e8d42

からの続き

 

 


ロンドン周辺はどこまでも平坦ですが、北西に一時間ほども車で走るとなだらかな丘陵の広がるバッキンガムシャーに入ります。

世界一の富豪といわれたロスチャイルド家の居館の一つ、ワデスドン館(WADESDON MANOR)はそうした丘の一つにそびえています。


ワエスドン館を建てたのは、ロンドン家のロスチャイルド家ではなく、ウィーン家出身のフェルディナンド・ド・ロスチャイルド男爵(1839-1898)です。

ロンドン家のエベリーナと結婚したフェルディナンドは、妻をお産で失った悲しみもあってイギリスに定住することを決意し、1874年、たまたまマーボロ公爵がバッキンガムシャーに売り出していていた2500エーカー(1080ヘクタール)を20万ポンドで購入しまいた。

標高200メートルほどの小高い丘に6年以上の歳月をかけて建てたという邸宅は館というより城であり、それはイギリみられないフランス風のものです。

ウィーン生まれでヨーロッパ中の城を見ているフェルディナンドが感銘を受けたフランスのロアール川流域のマントノン城やシャンボール城、ブロア城などの素晴らしい部分を取り入れてくれるよう建築家に頼んだからだといいます。

建てたのは古い城の改修を得意とするフランス人城郭建築科家G・H・ディスティアールでした。


建設のためにまず、丘の頂上を削って平坦部分を造成しましたが、当時の技術では大変な難工事で、せっかく造成しても雨でしばしば流されたとフェルディナンドは書いています。 建物に使った石材は古代ローマ人の温泉の石像遺跡で知られるバースで採掘し、これを運ぶために丘のふもとまでわざわざ線路を引きました。

このバースは、英語のお風呂(Bath)の語源となった温泉遺跡で、おの周辺は温泉街よろしく今でも雰囲気が最高に良いです。私の好きな街ですが、イギリス領港を考えている方がいれば、是非寄ってみてください。 

ワデスドン館を取り巻く庭園もフランス人造園家、エリ・レネが基本設計したもので、花壇もさることながら植え込みの樹木にも気を配り、どこから見ても風景そのものが四季折々、色鮮やかに浮かび上がるように築かれています。

フェルディナンドは栗の巨木が好きで何本も植えましたが、それらを丘の上まで運んだのは,重い荷にもへこたれないンルマンディー地方から連れてきた16頭のペルシュロン馬でした。

こうして完成されたワデスドン館の調度品は最高の品質を謳われたセーブル窯の陶器などフランス・ブルボン王朝ご用達の物が集められました。 

壁にられた絵画は、イタリアの18世紀の風景画の巨匠フランシスコ・グアルディ(1712~1793)の「ヴェニスの風景」やイギリスの肖像画家ショシュア・レイノルズ(1723~1792)らの巨匠の作品で、それぞれの部屋に置かれた時計に至るまで超一級品ばかりです。

もともとフェルディナンドは18世紀の絵画や工芸品の熱心な収集家で、その展示の場としてワデスドン館を建設した面もありました。 若いころはロスチャイルド銀行のパートナーとしての収入だけでは足らずに、借金をして気に入った美術品を買うほどの凝り欧でした。

思う存分、超一流品の美術品を購入出来るようになったのは、オーストリアのハプスブルグ家の金庫番として巨万の富を築いた父アンセム(1803~1874)の莫大な遺産が入ってからで、その死亡年と土地を購入した年が一致することからも分かるように、館もその遺産で建てられました。

 

バッキンガムシャーの荒地に突如、出現したフランス風の豪奢なワデスドン館は社交界の話題となり、ロンドン中心街から60キロも離れているにも関わらず、来客が多く訪れ、これらの中には、各国の王族や元首、大英帝国政界の名士、作家のヘンリー・ジェームズ、ギー・ド・モーパッサンらの名前もありました。

しかしワデスドン館はどんなに沢山の来客があっても困ることはありませんでした。 な、にしろ大小220もの部屋があったからです。

 

 

 

珍事はヴィクトリア女王(在位1837~1901)の耳にも届いて、好奇心に駆られた女王は1890年、ワデスドン館を訪問して春の一日を楽しみました。

館をめぐる自然は四季それぞれに趣があるとはいえ、春には谷間や斜面全体に植え込まれた水仙などの花が咲き誇ります。女王は館で一休みしたあと、仔馬に引かれた馬車で庭を散策したりして感嘆の声を上げたと言います。

この騒ぎには、それから8年後の1898年、館に泊まったエドワード皇太子(後のエドワード7世、在位1901~1910)が、ブロア城を模してつくった螺旋階段を踏み外して足首の骨を折るというおまけまでつきました。

 

 

 

 

華麗なる一族

そのころのロスチャイルド家は、初代のマイヤー・アムシェルから数えて三代目の時代です。 創業矢が事業を興し、二代目がそれを拡大し、三代目が遊びほうけるというのは、古今東西よくある話です。 しかし、ロスチャイルド家の違うところはこのような城を建てて毎週のように大パーティを催しても、びくともしない財力があったことです。

ロンドン家の創業者である二代目ネイサン(1777~1836)は仕事の鬼でしたが、三代目のその息子たちはオックスフォード大学のトリニティ・カレッジに学んでスマートな英国紳士に育ち、社交性も身に付けていました。 

大学の同窓のエドワード皇太子とは互いに泊って遊ぶほど仲が良く、フェルディナンドが永住を決めたのは彼らと付き合ううちに、イギリスを気に入ったからでもあったからと言われてます。


ウィーン出身のフェルディナンドがワデスドン館を建てるくらいだから、ロンドン家のほうはモットすごかったと聞くと驚かれるでしょうか。 三代目には四兄弟がいましたが、その長男・ライオネル(1808~1879)は父親のネイサンが、ロンドン西部のテムズ川沿いに別荘地として購入したガナースベリー周辺の土地を買い増し、125ヘクタールを上回る公園付きの邸宅を建てた他、ハイドパークとグリーンパークの2つの公園を望むピカデリー148番地に6階建てのヴィクトリア王朝風の邸宅も持っていました。

ガナースベリーパークには29世紀初頭、広大な日本庭園が設けられていたことで知られています。

このほか現在、日本大使館のあるロンドンの一等地ピカデリー通りや、グロブナー・プレイスの一帯には一族がいくつも居を構えて、その名も「ロスチャイルド通り」とよばれました。 19世紀後半は、一族の絶頂期だったと言えます。

ワデスドン館が建てられたころ、各地の一族もそれぞれに豪華な邸宅を競うように建築しており、別荘も含めてその数はヨーロッパ中で40もあるといわれました。

それらの中でもよく知られたフェリエールの館は、パリ東方35キロの森にありました。パリ家のジェームズ(1792~1868)が1829年、ナポレオンボナパルトの大臣フーシェの子孫から購入した1850ヘクタールの狩場を備えた別荘です。パリ家は狩りのシーズンの秋だけのために別荘を構えていました。

イギリスの風景画家にして建築家でもあるジョセフ・パクストンが設計し、建設した広大な庭園付きの三階建ての館は、1862年にナポレオン3世が訪問して狩りを楽しんだところでもありました。

ナポレオン三世は、ロスチャイルド家が叔父ナポレオン・ボナパルトに敵対するイギリスや神聖同盟側に立って、失脚させたこと恨みを持ち根に持っていましたが、さその財力に頼らざるを得なくなり、フェリエール館を訪れました。 

このときの狩りではキジやうさぎなど1231羽(匹)の獲物を仕留め、ご機嫌で館に帰ってきたナポレオン三世を木陰から聞こえてくる狩りの歌が迎えました。 

謳っているのはパリ家・ジェームズが皇帝のために呼んでおいたオペラ・ド・パリの合唱団で、タクトを振るのはイタリア人の作曲家ロッシーニでした。

 

フェリエールの館とその庭園は1870年の普仏戦争(1870~1872)で攻めてきたプロシア(ドイツ)軍の司令部といて接収され、そのとき訪れたプロシア王(後のドイツ皇帝)ヴィルヘルム一世は、「王様にはこれだけのものは作れまい。これはロスチャイルドだけのものだ」とうなったといいます。


館は、第二次大戦中のドイツ軍による占領で、装飾品ははぎとられて荒廃してしまいましたが、パリ家の当主ギー(1909~)は11959年、これを再建し、同家に出入りして『失われた時を求めて』に一族の事を書いたマルセル・プルースト(1871~1922)の生誕100年記念の舞踏会や。ダリを主人公にした超現実主義者の夜会などが開かれなした。

超現実主義者のパーティにはハリウッド女優のオードリ・ヘップバーン(実は母方がリアルにオランダ貴族の出身で、英国王妃ダイアナのスペンサー家と遠い親戚)ら世界的な著名人800人が招かれました。

 

 

 

 

 

税金の攻勢を受けるロスチャイルド家

これらロスチャイルド一族の建物の多くは取り壊され、あるいはワデスドン館のようにナショナル・トラスト(英文化財保護財団)に寄贈されるという運命をたどっています。

ワデスドン館を建設したフェルディナンドが1898年に急死した後、館は実の妹・アリス(1847~1922)の住むところとなり、その亡き後は、パリ家のひ孫であるジェームズ(1878~1957)の所有となりました。

しかし、ジェームズと妻ドロシー(1895~1988)の間には子がなく、1957年にジェームズが亡くなった後、ドロシーに700万ポンドを超える相続税がふりかかってきました。

これを支払い、さらにワデスドン館の莫大な維持費をだそうとする一族はいませんでした。 こうして、ロスチャイルド家は維持費の一部として75万ポンドを添えてナショナル・トラストに寄託したのです。

 

ヨーロッパではどこでも第一次多選前後から巨額の軍事費が必要になり、税制が変わって特権的な貴族といえども苛酷な税金から逃れることはできなくなりました。

すでにロンドン家の創始者ネイサンが建てたピカデリー107番地の邸宅はなく、ライオネルの建てた同148番地の邸宅も1937年に競売にかけられました。 アスコットの邸宅にはまだロスチャイルド不死銀行(NMロスチャイルド&サンズ)の頭取であるイヴリン(1931~2022)が住んでいましたが、これも陶器のコレクションごとナショナル・トラストに寄託されました。

 

 

ちなみにイギリスの税制(1994~)によれば、15万ポンド(1ポンド=160円換算で、2400万円)までは課税されませんが、それ以上の資産には一律40%の相続税がかけられます。控除があると言っても、妻への贈与分が3000ポンド(48万円)では、莫大な土地や流動資産を持つ人々には雀の涙にもなりません。

ロスチャイルド家の税金問題では証券市場が動くこともあります。1949年6月にパリ家のエドワール・ド・ロスチャイルド(1868~1949)が亡くなったときには、パリやロンドンの証券取引所で一族が出資している大企業の株が突如急落しました。

石油会社ロイヤル・ダッチ・シェル、鉱山会社ル・ニッケル、ダイヤモンド会社デ・ビアス、資源開発会社リオ・ティントなどの株です。

フランスでは死者の保有する株式は死亡したその日の終値を算定基準とするため、その日未明に死んだエドワールの相続税をできるだけ少なくしようと、一族が挙げて売り注文を出したのです。

少しでも税金を圧縮しようとするこうした操作にも関わらず、ロンドン家よりも資産家と言われたパリ家は、第一次石油危機とそれに続く金融不安の中で、1975年、由緒あるフェリエールの館を、土地135ヘクタールを付けてパリ大学に寄贈しました。館の維持費がかかりすぎで持ちきれなくなったためです。

歴史的な建物や名勝の保護団体であるイギリスのナヨナル・トラストは、後世に残すに値する物の破壊・散逸を防ぐために、相続税などに困っている所有者から寄託を受け、国民の財産として一般に公開しています。

維持費の捻出のために入場料を有料に、みやげ店やレストランを開いて収入源にしているとろも多くあります。 一方寄託する側はそれによってはプライベート部分を確保して、そのまま住み続けたり、一般公開の時間以外に利用したりすることもできます。

 

 

 

 

大富豪のライフスタイルを維持するロスチャイルド一族

ロスチャイルド一族は王侯もうらやんだ富豪のスタイルは捨てきれないし、捨ててもいません。次々と新しいビジネスを生みだし、また将来性のる企業・事業に投資し、むしろ過去以上に儲けてるかも知れません。 また税金対策もタックスヘブンを使ったり、またあえてロスチャイルドの名称を外して誰が出資しているのかわけが分からないようにするなど対策は完璧です。

 

日本は、まだ三井・三菱・住友・安田など老舗の看板を使いたがりますが、欧米では誰の資本なのか分からない行ややtら多くなっています。

 

一例をあげれば、現在世界最強と言われるBlacRockもそうですが、よくよく調べてみると結局はロスチャイルド系・ゴールドマンサックス系・ックフェラー系・モルガン系、またその集まり(共同)だったりします。 

 

・ロスチャイルド財閥ー224 Black Rock と親会社 Black Stone、そしてワシントンコンセンサスhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/9e5f232ed05a223f6fabc318428554b7
・ロスチャイルド財閥-187   Black Rock(ブラック・ロック)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/59799b87f55aeda6d3bc3f7b396b8b66

 

ブラック・ロックの親会社がブラックストーン、ブラックストーンの創業者が、ピーター・G・ピーターソンです。 

彼はニクソン政権の商務長官
外交問題評議会(CFR)・理事長
ニューヨーク連邦準備銀行・ 理事長
ベル&ハウエルコーポレーヨン・会長兼CEO
リーマン・ブラザーズ・会長兼CEO(ロスチャイルドGr)
クーン・ローブ商会 ・会長兼CEO(ロスチャイルドGr)
ウッドロウウィルソン賞受賞

という超大物で、個人資産が約2000億円の大富豪ですが、幼少期はロスチャイルドやロックフェラーと同じく貧しい少年でした。

 

元々ロスチャイルド家と親戚であるクーン・ローブ商会(財閥・銀行)のジェイコブ・シフ頭取(日露戦争で日本に融資してくれたことで有名)がロックフェラーのアドバイザー、そして巨額の融資をして、巨大財閥に育てました。

ジェイコブ・シフが、ジョン・D・ロックフェラー、エドワード・R・ハリマン、アンドリュー・カーネギーの後援者となり、ロックフェラーのスタンダード・石油帝国、ハリマンの鉄道帝国、カーネギーの鉄鋼帝国に融資して巨大財閥に育成したのです。

その後、モルガン家、ビドル家、ドレクセル家という当時の三大有力者と提携し、ウォール街の銀行連合を形成しました。 


共和党のニクソン政権後、同じく共和党のフォード政権が誕生し、副大統領に指名されたネルソン・ロックフェラーが議会で個人資産を公表しなければならなくなりました。 その時に明らかになったのは、実はロックフェラ-家の資産は、ジェイコブ・シフ以来、ユダヤ系クーンローブ商会(財閥)が財産管理しており、その投資はすべてクーン・ローブ商会の承認を受けなければならなくなっていたおいうことです。 これは公式な議会の記録です。

ちなみに、クーン・ローブ商会の大株主もロスチャイルドです。

 

 

また、共和党のバックがロックフェラー財閥とモルガン財閥ですが、ロックフェラーはドイツ出身で敬虔なプロテスタント。モルガン一族も英国ウェールズ出身の敬虔なプロテスタント一族で、アメリカを支配しているのがWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)の共和党です。

しかしながら、その実、金融で共和党のリックフェラーやモルガンを影から操っているのが結局はユダヤ系のロスチャイルド、クーン・ローブ、ゴールドマンサックスです。 



ロスチャイルドがビジネスでアメリカに進出しようとした時、強烈なユダヤ人差別に会いました。 そしてそのアメリカ国民の目をそらすために英国のプロテスタントのモルガンをアメリカでのビジネスの代理人に任命しました。 

ですからモルガンはロスチャイルドから潤沢な活動資金を得て、大財閥に成長しました。

モルガン商会は「トラストのトラスト」と呼ばれ、十数社の鉄道事業を買収し再編成しています。 1892年にはGEを設立し電気事業を再編、1901年には鉄鋼王カーネギーを買収してUSスチールを設立し、鉄鋼業を再編。

1907年には全米の電話を独占するAT&Tを買収しています。第一次世界大戦時には英仏両国から公式代理人として選ばれ戦時国債を米国で販売。米国における英国の公式貿易代理業者でもあり、あらゆる戦時物資を自らの所有する企業から購入し英国に売りつけました。

1920年には死の商人デュポンと組んでGMを支配。その他、テキサコ。IBM、シティバンクなどにも投資を行い巨大化していきます。 この頃「モルガン商会は銀行ではなく、アメリカの国家そのものであり、アメリカの法律であり、アメリカの制度であると言われるほど、影響力を持ちました」。 

このように最盛期にはモルガン財閥は、GE・GM・ATT・USスチール・カーネギー・NY鉄道なども所有し、アメリカの影の政府と言われていました。

いうまでまでもなく、モルガンはロスチャイルドの代理人に過ぎず、裏からコントロールしているのはロスチャイルド財閥です。

 



論より証拠、アメリカをコントロールするユダヤ・イスラエルロビー、イスラエル様、ロスちぃるど様には逆らえません。

 

AIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)

                  

   

 

  ドナルド・トランプ(共和党)             マイク・ペンス(共和党)

 

 

     マイク・ポンペイオ(共和党)       ヒラリー・クリントン(民主党)

 

  

     マイク・ペンス(共和党)               アントニーブリンケン(民主党)

             ロバート・ケネディ・ジュニア(民主党) 


ロスチャイルド財閥-230 アメリカを操るイスラエルロビー・AIPAChttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a2d3149aa6cb24348d3a333e9f2f41d2

 

 

 

 

 

話をワデスドン館に戻します。 1988年のパリ家ジェームズの妻・ドロシーの死後、その遺書によって館など総額で9300万ポンド(1ポンド=160円換算で148億8000万円)にのぼるフェるディナンドの代からの遺産を相続したのはロンドン家のジェイコブ(1936~)でした。

建築として100年を越える館では、1986年からナショナル・トラストの手で老朽化した部分の修復工事が行われていましたが、ジェイコブは相続を機に一族の資金を投じて、これを大々的な全面改修工事に切り替えました。

その総指揮はジェイコブ地震が執り行いました。 大改修が終わって再び一般公開されたのは一階部分が1994年春から、二階は1995年春からです。

 

ジェイコブは1990年に男爵位を父ヴィクター(1910~1990)から相続すると共に第四代ロスチャイルド卿(Lord Rothschild  英上院の政党に臆さない中立議員)になりました。

ジェイコブは銀行家としての凄腕だけでなく、芸術に対する理解の深さでも知られており、ナショナル・ギャラリーの理事長を務めた後、国家遺産記念財団の会長に就任しています。

これはこれらの分野に年間50万ポンド(約8000万円)もの寄付を行うロスチャイルド家に対する敬意をこめた名誉職でもあります。

ワデス館の大改修は必ずしも一度のためばかりではないでしょうけど、ロスチャイルド家は館をそのシンボルとして将来のために維持したいと考えているようです。

ジェイコブは館と庭園を時々使用に使い、昔をしのばせる華やかなパーティもできるのであります。

 

 


             スペンサーハウス

 


ジェイコブはまた、1985年、ロンドンで最も古く歴史的な建物の一つであるスペンサーハウスを入手しています。

グリーンパークに面した白亜の大理石造りの邸宅は、初代スペンサー伯爵が1756年から10年がかりで建てたパラディアン形式のもので、これをジェイコブの投資会社がぢアナ妃の一族(スペンサー家)から96年間の賃貸契約を結んで借り受け、美術史研究家や装飾画家を雇って内部を18世紀の昔のままに改造しました。

その費用は2000万ポンド(約32億円)に上ったといいます。

 

スペンサーハウスにはバッキンガム空電から借りたベンジャミン・ウェストの絵画やワデスドン館から持ってきたレイノルズ作の肖像画で飾られ、ヴィクトリア・アルバート博物館に収められていた椅子のいくつかを取り戻して元あった場所に据えました。

改修した建物の大広間やダイニングルームなどは会議やパーティ会場としていますが、一部はジェイコブが投資会社の事務所に使っています。芸術の庇護者であるとともに投資家というわけです。

パリ家もフェリエール館を失った代わりにパリのど真ん中、セーヌ川のサン・ルイ島に建つランベール館(元ランベールホテル)を購入しました。

フランスお代表する啓蒙思想主義の哲学者ヴォルテール(1694~1778)が滞在したことがあったという由緒ある古い建物です。


老チャイルド家の邸宅は多くが取り壊され、あるいは半ば博物館と化しました。 しかし、すべて失ったわけではなく、ナショナル・トラストさえ利用しながら豪奢なスタイルを保とうとしています。

これまた巧みに状況を見極め、順応しながら時代を乗り切ってきたロスチャイルド一族の一流のやり方なんかも知れません。

 

 

 

 

(関連情報)

 

・ロスチャイルド財閥ー12 ワデスドンマナー
 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/85e7f5f8045775dd842672d531813728
・ロスチャイルド財閥-111 国際金融財閥の序列
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af41696ec05203f68b46d63b897e9b3d

・ロスチャイルド財閥-215 ロスチャイルド当主 ANAホテル(赤坂)プライベート会合
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/15e42c79348485224e0b9ae63ca899e4

・ロスチャイルド財閥ー224 Black Rock と親会社 Black Stone、そしてワシントンコンセンサスhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/9e5f232ed05a223f6fabc318428554b7

・ロスチャイルド財閥-230 アメリカを操るイスラエルロビー・AIPAChttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a2d3149aa6cb24348d3a333e9f2f41d2

 

★【事実】2016年、トランプ・ブームはマケドニアの小さな町ヴェレスの若者たちのデマから始まった。https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/02dc2fa491e85b3d17884ebf16907127

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