Renaissancejapan

哲学と宗教、財閥、国際政治、金融、科学技術、心霊現象など幅広いジャンルについて投稿しています

ロスチャイルド財閥ー55 孤立するドイツ

2022-10-15 14:34:32 | 国際政治・財閥

ヴィルヘルム2世(Wilhelm II., 1859年ー- 1941年)は、第9代プロイセン国王・第3代ドイツ皇帝(在位:1888年6月15日 - 1918年11月9日)。

ドイツ帝国のホーエンツォレルン家第3代の皇帝。ヴィルヘルム1世の孫で母はイギリスのヴィクトリア女王の娘。1888年、29歳で即位した。ビスマルク首相を辞任させ、親政によってドイツの膨張政策を主導、イギリス・フランス・ロシアとの対立を深め、1914年7月に第一次世界大戦を引き起こすこととなり、その敗戦によって1918年11月10日にベルギーに亡命した。




エドワード7世(1841年ー1910年) イギリス国王、インド皇帝





日露戦争勃発直後の1904年4月に英仏協商が締結され、イギリスはフランスのモロッコ支配を認め、フランスはギリスのエジプト支配を認めました。 植民地政策をめぐって、英仏が提携し、英独協約は頓挫したのでした。

ドイツのヴィルヘルム2世がイギリスを公式訪問している間、アルフレッドに対して不躾(ぶしつけ)な扱いをして怒らせたことが、ロンドン家をフランスに近づけたといいます。

イギリスのエドワード7世もフランスびいきでした。 ロスチャイルド家の意向が英独関係に大きく影響し、新興列強として植民地の再配分を目指すヴィルヘルム2世を英仏露で包囲する第一次世界大戦の構図がはっきりしてきました。

さらにロスチャイルド家はイタリアを味方につけ、ヴィルヘルム2世のドイツを一層孤立させ追い込んでいきました。 1906年、イタリア国債の借り換えがドイツの銀行でなく、パリ家が主導する借款団によって引き受けられたことで、イタりアはフランスよりとなり、イタリア・ドイツ・オーストリアの三国同盟は終わりを告げました。


また、ロスチャイルド家は、自ら仕掛けた英仏協商の路線に沿って、イングランド銀行およびフランス銀行のパートナ―の立場から両行を支えるとともに、金本位制維持のために中央銀行同士の協力を促しました。

こうして金融的にも、英仏が結び、孤立したドイツに対抗するという第一次世界大戦の構図がほぼ完成します。 ドイツは、イギリスによるフランス、ロシア、そして日本への接近で完全に孤立し、結局大戦に敗れることになります。



ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世は、叔父であるギリス国王のエドワード7世をドイツ包囲網の中心人物と恨みました。 彼は、晩年に書いた回顧録のなかでも、エドワード7世こそが第一次慧可大戦の元凶と断じますが、本当の元凶はロスチャイルド家であったと知っていたでしょう。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト 
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



最新の画像もっと見る

コメントを投稿