物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

野口王墓古墳(天武・持統天皇合葬陵)

2022-07-02 | 行った所

甘樫丘の南、ちょうど雷の丘の対象となるようなところに「亀石」がある。

 「飛鳥の謎の石造物」という物の一つなんだろうが、岩を単に見たてるのではなく、人工的に刻んでいる、何なのだろう。亀と言われればそう見えるが、目はカエルのような。下面に格子状の溝があるというが、ひっくり返して見るわけにもいかず、見たところで分からないし。酒船石とかはまあ、水を流したか、くらいには思えるのだが、このカメは何に使うんだ?寺の境界というのもピンとこない。
 亀石が西を向いたら大洪水、という伝承はちょっと怖いかも。

亀石から南西に数百メートル行くと、野口王墓古墳である。

 宮内庁は天武・持統合葬墳として祀っているが、この被葬者にはかなりの根拠がある。鎌倉時代この墓は盗掘にあったのである。そしてその盗賊は捕まった。この話は藤原定家に「明月記」あるほか、高山寺から「阿不幾乃山陵記」と呼ばれるものが発見され、これが時の検非違使による捕まった盗賊の尋問調書と墓の実況検分書であったのだ。それによれば、天武の夾紵棺(乾漆棺)は破られ、天武の骨は放り出されて、遺物はあさられ、火葬された持統の骨壺は狙われ、中の遺骨は捨てられたらしい。石室内に装飾壁画がなかったことは確からしい。


だが、今の目で新たに調査することにはやはり意義があると考える。だいたい八角形の墳形だというが、ちゃんと測量をしているのだろうか。箸墓は空中からのレーザー計測による赤色立体化図があるが、この古墳についてはどうなのだろうか。

 野口王墓から高松塚方向
南に高松塚古墳がある。飛鳥歴史公園の中をぐるりと回っていくと1キロ程度だろうか。更にその南にはキトラ古墳もある。

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箸墓とホケノ山古墳

2022-07-02 | 行った所

箸墓古墳は孝霊天皇皇女のヤマトトソモモソヒメの陵墓だといって宮内庁が管理している。

前方後円墳だが全長280メートル、二重の周濠を合わせると400メートル級の巨大古墳だ。(現在古墳の北側にため池があるのだが、これは周濠とは関係ないらしい。)
葺石も確認されており、本格的な古墳がここに出現したといっていい。築造年代は3世紀半ばから4世紀所にかけて、というがこれも諸説あるし、邪馬台国問題も絡み、決着を見ない。本格的発掘調査の見込みはないからどうにもならないだろう。
前方部に宮内庁が設けたお決まりの遥拝所がある。
主軸はずれているが、まあ三輪山を向いている、といえば向いている。

 左の木々がこんもりしているのが箸墓、右手奥に三輪山が見える。
三輪山伝説の三輪の神と交わり、神の正体を見、死んだモモソヒメの墓と思うのはロマンティックでありすぎるだろう。それに大蛇とヒメが交わる伝承は各地にある。しかし何という死に方だろう。箸でホトを突きて、とはどういう発想なのだ?。即死はできそうもない。更にこの神話を載せるものは日本書紀のみだ。記紀神話というものの神話伝承が色濃い古事記にこの話はない。昼は人が作り、夜は神が作った、という箸墓築造話も古事記にはない。

箸墓から数百メートル東にホケノ山古墳がある。全長80メートル、周濠(空堀)葺石があったらしい。前方部は小さく巻向型と呼ばれる。

 段築がわかる


ここは発掘調査されて入れ説明版も整備されているし、駐車場もある。箸墓とは違うのである。
 後円部に石囲い施設の中に割竹型木簡ということで写真を見ると竪穴式石室とは少々違うようだ。

 前方部にも埋葬施設がある。
他に後期の横穴式石室もあるが、これは墳丘を再利用したらしい。

 ホケノ山後円部から箸墓方向
箸墓とホケノ山古墳の間にもう一つ堂ノ前古墳というのがあるが、これも後期の古墳で、箸墓やホケノ山とは全く時代を異にするらしい。


ホケノ山の築造年代は3世紀半ばという弥生と古墳の時代の合わせ目、ということになる。

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