goo blog サービス終了のお知らせ 

ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

最近のこと

2018-07-25 | アメリカ事情

http://besttemplatess.com/templates/free-family-reunion-clip-art-apfzv-fresh-black-family-reunion-clip-art-clip-art-library-261400/



先週末は北加の夫の長兄を訪ねたが、車で北上するにつれ、右側(東)のシエラ山脈に沿って煙雲がたなびいているのがわかる。ヨセミテ国立公園の西を焼き尽くしつつあるファーガソン山火事の影響である。7月23日月曜日の時点で、すでに33,743エーカーに広がっており、それでも鎮火比率は13%と伸びたが、まだ13%である。大気は汚れ、私の住む街でも、時間によっては煤の浮遊が見える。通り過ぎる町々に見える星条旗は半旗だ。消防士が一名この火事で命を落としているのだ。すでに10日以上100度F超えの気温で、摂氏で言えば、40度C超えの日々が続いているので、特に喘息持ちには苦しい。日本の「命の危険に及ぶ」高温の酷暑は、こちらでは夏の決まり事であるが、湿度は20~30%ほどしかないので、エアコンディショナーのある屋内で過ごせば、快適である。100度超えが続くと、街には、いくつかクーリング・センターと呼ばれる冷房の効いた建物に避難所が設けられ、冷房設備のない人々、あるいは電気代を賄えない事情のある人々が日中そこで過ごせるようになっている。

 

日本ではゲリラ豪雨が多発するが、加州は、ここ数年むしろ日照り気味で、晩秋から冬にかけて起こる雨季が、少しでも多く雨をもたらしてくれることをいつも州民は願っている。ただし、今から9月初めまでは雨は、実はないほうがよい。と言っても、それはナッツ農家やブドウ農家にとっては今の時期は乾燥して暑くなければならないからである。来月半ばからは、ブドウの天日干しが始まり、さらに9月の初め頃までには、そのブドウをひっくり返して裏面を干さなければならない。私は農家ではないが、夫が農業に関する金融を扱うので、そうしたことへの関心は持ち、天気によって杞憂を繰り返している。そんなことを考えながら北加への道を夫が運転していく車のなかで考えていた。

 

今回義理の長兄を訪ねるのは、2月に再婚して以来、ゆっくり新しい奥さんと話す機会もなく、ケンタッキーに住む義理の姉夫婦もやってくるし、義理の長兄の長女一家もはるばるアフリカ・ザンビアから訪問するので、夫にとっては小さなファミリー・リニオンである。日本で言ったら、お盆に合わせて帰省して一族が集まる、といったような感じだろうか。当初、「あなたの御家族だから、一人でいらっしゃいよ」とつれない私だったが、夫は、「僕が一人で行くよりも、君にみんなは会いたがっているし、行かなかったらみんなが僕を責めるよ?」と言うので、同行した。結果は? 同行して正解だった。

 

夫の長兄の新しい奥さんは、苦労がたくさんお有りの半生だったようだが、非常に明るく気さくで、なによりも二年間寡夫であった義兄が、しあわせそうな笑顔をよく見せてくれるほど、よい御縁だったようだ。その義兄の亡き妻の葬儀が二年少し前にあり、その時夫の姉にあったのだが、その時に比べて、彼女は骨粗鬆症のせいで、短期間に2インチ(役3.2センチ)も背が縮んだそうで、以前は私の背丈と変わらなかったのに、今回はそれがわかるほど低い。二年前よりも背が丸くなっているし、私より二歳上なだけなのに、少々悲しかった。けれど来月彼女は夫婦でマチュピチュへ旅すると言っていた。非常に高所だから、高山病にはくれぐれも気をつけて、などと話した。私にとっては、義理関係でも、やはりそれも40年以上経つから、会えば会話も懐かしく、楽しく、また義兄の長女一家と話すことも楽しかった。

 

この長女Cは、夫が国務省勤務で、結婚して22年になるが、18年はずっとアフリカ、南アメリカ、バングラデシュ等の開発諸国勤務をしていて、四人の子供達は皆南ア共和国で生まれている。任地のインターナショナルスクール(アメリカンスクール)へ幼稚園から高校まで通い、先月長男がザンビアで高校を卒業した。母親のCは、ハワイ州で検事となり、結婚するまで働いていた。現在は育児に忙しく、またインターナショナルスクールの国際教育委員会役員の任も持ち、そのため文字通り世界中を飛び回る。どこの航空会社が一番飛び心地がよいか、サーヴィスがよいか、など非常に詳しい。ちなみにアメリカ系ではない、シンガポールやUAEの航空会社が一番よいそうだ。又家族休暇はヨーロッパや南米を訪問することが多く、今夏は、まだ一度も雪を見たことがない子供達のために、スイスへ飛んだ。

 

こうしたことは、開発途上国勤務が続く故、経費節約ができ、貯金から賄っている。そうした国々では家政婦や調理師も雇えるのである。先進国はその点人件費が高く生活費も非常に高くつく。どこの大使館がどう良いか、などなど興味のある話をその経験からたくさん話してくれて、飽きることがない。四人の子供の世話だけでなく、我が家の子供達についても、いつも心を向けてくれ、先日も一家でアムステルダムからスイスへ車で行くので、フランクフルトの息子家族に会いたいと連絡をしてくれたのだが、あいにく息子家族はスエーデンへ向かうため、延期となった。どの従兄弟・姉妹にも気を配るその母性が、母を亡くして、なお広がり、その優しさは、途切れることがない。勿論父親の新しい妻に対しても、その優しさと思いやりは、ひとかけらも嘘がない。

 

こうした家族の集まりに行くと、大抵家系図の話になり、日本から来た日本人の私に、夫の先祖について質問してくるのである。確かに私は、一人で調査をして、すべての証拠書類を探して用意し、夫と息子達をNational Society of the Sons of the American Revolution (SAR or NSSAR)(アメリカ独立戦争の息子達)の、娘達をDaughters of the American Revolution (DAR) (アメリカ独立戦争の娘達)の会員にしたが、もともと研究やリサーチの好きな性格なので、たいした労力ではなかった。そして夫の家系を調査しているうちに、先祖が16世紀にはすでにアメリカ大陸へ移り、その理由は主に宗教の自由を求めてで、その宗教がクエーカーやフランス・ユグノー教であったこと、などを解明した。そうした史実は、裏づけの記録書類がなければ、ただの「伝説」だが、私は、そうした文書なども探し、証明したのだった。


例えば、夫の両親や兄姉は、先祖が多くのアメリカ史に残る出来事に関わっていたり、独立戦争以前にあった英国に対する反抗運動などで名前が残されていたりしているのを一切知らなかった。それも面白いが、私にとって心を揺さぶられたのは、信仰の自由を求めてやってきた先祖達である。もともと宗教改革には並々ならぬ興味を抱き、それに関する多くの書物を紐解き、ドキュメンタリーも見てきた私である。初期クエーカー教徒の先祖がウィリアム・ペンと共にペンシルヴァニアを開拓し、コミュ二ティを作っていく過程で残された先祖の名を史書で見つけたり、人物評伝を見つけたりした。初期ユグノー教徒にしても、ヴァージニアでマナキンタウンを作るためにフランスから航海してきた時の船客名簿に先祖の名前を見つけたりすることには、寝食を忘れるほど熱中したものである。夫の家系を辿り、より詳しい系図を作成するのに、費やした年月は14年ほどである。その間は、まるで自分が冒険しているかのようにさえ、感じたものだ。



    

                     ヴァージニア州マナキンタウンはユグノー教徒の町である。              ウィリアム・ペンが、デラウェア原住民と土地購入について話している。

                               http://etc.usf.edu/clipart/55500/55538/55538_penn_purchas.htm



探し出した先祖達の名前は、私には忘れがたく、夫が、「このナンシー・F.って誰だっけ?」と言えば、「それはあなたの5代前の祖母よ。」などと、さっと答えられる自分が、恐ろしい。夫だけでなく、夫の兄姉、甥、姪、が私に聞くのはいつも彼らの先祖についてである。ふと我に返って、「あのう、私は日本から来た日本人で。。。」と言いたくなる時もある。けれど、調査した結果がすべて私の頭の中にはあって、聞かれると答えられてしまうのだ。おこがましいことである。

 

そのようなわけで夫の家族が集まると、悪い意味ではなく、往々にして私にお鉢が回ってくるのだ。知ったかぶりするわけでも、自慢するわけでもないが、結局系図探求に関しては、単に私がオタクだからであろう。先祖の話や系図の話では、皆多いに盛り上がる。又夫と私の行った大学には、系図探求のラボがあり、そこでは「親戚探し」という無料のアプリケーションがあり、登録すると、どなたとつながるか瞬時に教えてくれる。そのアプリケーションで、例えば合衆国大統領のどなたとつながるか、とか、有名人や小説家や俳優や科学者などとの結びつきを調べてくれる。メイフラワー号の乗客の一人とは夫もつながる。ただし、それは12代前の「はとこ」、というような具合である。家族が集まる時に、コンピューターでこうしたことを調べるのも、一種の余興である。もしどなたかの御先祖の誰かひとりでも独立戦争前に移住していれば、大概は要人や有名人につながるものである。

 

こうして様々な話をしてお互いに楽しんだ週末を過ごして、夫と私は帰途についた。110度Fにまで到達した我が街周辺だった週末を多少涼しい北加で過ごせたこともプラスであった。実のでも、義理のでも、家族はやはり集まると楽しいものである。