ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

恵みを分かちあう

2018-07-07 | アメリカ事情

http://www.pursueaction.org

"Empathy"とは「思いやり、いたわりの心を持つ」という意味。




今晩、私がBest Buy(米国の家電チェーン店)を出た時、ある人物が店の外でゴミ箱をあさっているのに気がついた。 車へ歩いて行く時、彼はゴミ箱に入っていたファーストフードのゴミ袋の全てを引き出し、その中に入っていた捨てられた物を点検していた。 彼は数分間これをやっていた。 そして1つの袋の中にいくつかのフレンチフライを、別の袋からハンバーガーを1つ、あるいは2つ見つけた。 彼の膝の上にハンバーガーの包み紙を広げ、見つけた食べ物をそこに置いていたのを私は見ることができた。


彼は誰をも気にしなかったし、入店したり、出店したりする人々を呼び止めて、施しを乞うこともしなかった。 彼はゴミ箱をことごとく漁ると、その一帯をきれいに片付け、見つけた食べ物をきれいとは言えないハンバーガーの包紙でつつんだ。私の心は文字通り、彼のために痛んだ。 私は、多くのホームレスが実際にはホームレスでないのを知っていたから、金銭をたやすく施さず、頻繁にホームレスの人々を助ける人間でもなかった。いままで、食べ物を見つけようと実際に誰かがゴミ箱を漁っているのを見たことは、その時までなかった。

 

私は彼を助けなければならないことを知っていた。座っていた車から出て、彼に食べ物を買いましょうかと尋ねた。彼は私が彼のために得ることができるものはなんでも感謝します、と言った。彼は自転車に乗っていたので、私の車についてきてもらうように彼に頼んだ。ついてきた彼に、その区画の角にあるファーストフードストアでそこで買える一番大きな食事セットを買った。彼が私に乞うた唯一の願いは、甘いアイスティーの大きなカップだった。


私が彼にその食事を持って来ると、彼はたいへん感謝した。そして自分の名前はスティーブだと言い、昨年9月に妹が亡くなって以来ずっとホームレスであると言った。ホームレス生活から抜け出そうと試みたが、とても難しかったとも言った。私は神が彼を愛していると言い、私は彼のために祈りますよ、と言った。彼は食事をどれだけ感謝しているか、再び言った。


私が車に戻った時、心はこの男に対する気持ちで非常に重かった。道路を運転し始めたのだが、まだ彼にすることがあるような気持ちになり、私は取って引き返した。戻ってくると、彼は食事を終えてその場を自転車で走り去ろうとしていた。私は彼の傍に車を寄せて、どうしたら彼を助けることができるか、どのようにしたらよいか、彼に尋ねた。彼は別に思い当たりません、と私に言った。決して私に金銭を乞わなかった。私は彼に少々の食事代をギフトカードに入れて彼に渡したら、使ってもらえるだろうかと尋ねた。彼は、それはたいへんなご親切です、と私に言った。私はマクドナルドに運転していき、ギフトカードを購入し、それを彼に渡した。


彼は、泣き崩れた。彼は今日私について祈ったと言った。彼が何を意味するか分からなかった(私が彼のためにしたことについて彼が私のために祈っていたと仮定していた)ので、私はそんな彼にただ感謝した。彼は言った、 「いいえ、あなたはお分かりにならないでしょう。私は神に、今日私に温かい食事を買うために私にどなたかをお送りください、と祈ったのです...そして、神は私にあなたを送ってくださったのです!」私は何を言ったらいいのか、わからなかった...私には返す言葉がなかった。温かい食事への祈りは、私が今日祈った祈りの類ではなかったのだ。考えてみても、そうした類の祈りをしたことはなかったのだ。もちろん食事への感謝の祈りは捧げるが、それは決して食事が与えられることへの祈りではなかったのだ。つまり私は食べることができないとは決して疑ったことがないのだった。みるみる涙が私の目を満たした。ああ、私はどれほど恵まれているのだろうか。神はこの男の祈りに答えるために私をお使いになったのだろうか。そうではなくて、この男をお使いになって、神は私に、私がどれほど恵まれているか、私がそれをあたりまえだと思っている祝福の多いことを私に知らしめようとなさったのかもしれない。


彼は言った、「私は癌を患っているんです」と、彼はシャツをたくし上げ、胃のあたりから突き出ている巨大な塊を指さした。彼は自分がそれほど長くはないことを知っていた。私はイエス・キリストを御存じですかと彼に尋ねた。彼は私に、はい、と答えた。彼のために祈ることが今ここで、できるかどうか尋ねると、はいと答えた。私たちはマクドナルドの歩道で、祈った。彼の目には、滂沱の涙が溢れた。彼は自分が死ぬことを知っていて、その準備ができているし、苦痛に疲れていて、又このように生きるのは、死んだほうがずっとましである、と言った。私は必死に涙を堪えて、その後しばらく彼のそばにとどまり、励ました。私の祈りは、今日私が彼にイエスがその愛をお示しになったように、私が言ったことが彼に小さな希望を与えているように、だった。


ご覧のように、すべての人々には物語がある。今私はスティーブの物語を知っている、それは、何故か彼を助けるように、強く感じたからで、そしてそれは私の心を強く打ったのだ。


私が彼から去った時、私は神が私にしてほしいとお思いになったことをなさったのかもしれない、と思った。誰かを助けることへのこのような気持ちを感じたことは今までなかった。私がどれほど祝福されているか再び思い起こさせてもくれた。場所から場所へ移動できる車があり、頭の上に屋根があり、清潔な服、ふんだんにある湯水、電気、健康、仕事、温かい食事を買えること、家族、そして友人たち!時々、神は、私たちがどのように祝福されているかを思い出させるために今日私がスティーブに会えたような状況を作ってくださる。ここまでお読みになったあなたが、今日あなたの祈りの中でスティーブを覚えていらしていただけることを切に願う。


  

スティーブ(Steve)  https://www.facebook.com/john.brantley.9



ジョン・ブラントリー(A.C.ムーア小学校校長)の真実の話から

https://www.facebook.com/john.brantley.9

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