新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

甲冑 鎧の考察 女鎧の間違い

2019-05-21 14:32:07 | 古代から現代史まで

甲冑 鎧の考察 女鎧の間違い

昔の鎧の本物には胸板の裏側には乳あての、水コケが入った麻袋が付いていた。
これは一体何を意味するのか考えてみる必要が在る。

 さらに顔を隠す面頬にしても、小さなおちょぼ口になっていて、男の武将の物ではこれはない。
これは優しく見えないように女が素顔を見せないため、まあ、こけ脅しの為に当てていたものなのである。
 吉良上野介の妻のところでも「女でも鎧を着て戦った」例を記しておいたが、戦国時代の女は
上杉謙信も伊達政宗も女だったから、勇ましく戦ったのである。
従って現在見られる派手な赤糸縅等の色物は女鎧なのである。
 関西では卸値で三万円、売値で十万円の等身大の兜甲冑も、五月人形並みに
量産されている。
 勿論、昔からの物に見えるように、胸板や腰板やおどしの紐を、灰汁に漬けたり、ぼろぼろに
燻して古めかしく見えるように加工された物が、古道具屋で十倍から百倍の値をつけて売られている。
 
 勿論、スペインあたりでも、中世期の騎士がつけたみたいな甲冑を、今でもトッテンカンと金槌で叩いて
作り、トレド当たりではインテリア商品として観光客に売っている。だが日本のように家康だ信長が
着用したとは言っていない。
 ドンキホーテ着用の鎧だなどとも勿論言ってなく、純然たる現代の作品とうたっている。
 日本ではヤクザの組事務所や親分の邸宅や、天下り官僚が総裁や理事長をしている公社の
応接室には、時たま真田幸村着用とか、織田信長公着用の大鎧が名札立てで飾られている。
これらは皆後世の作で、言わば偽物なのだが、税金から高い金を出して購入だから、
よくやってくれる。
 一般の日本人の歴史への郷愁たるや、まあロマンを求める恰好だけである。
「歴史は考えることであり、真実の探求」なのに、日本の歴史屋共は全くの怠慢である。
 東大や京大の史学科の秀才共も、困難な真実探求へ首を突っ込んで進むよりも、研究もせず
恩師の説を御無理御もっともと従い、駅弁大学の助教授に推薦して貰うよう努力し、
隠れたベストセラーの国史教科書の編集者になって、膨大な印税と現世利益を願うだけの
だらけた人間に成り下がっている。
 明治維新後、落ちぶれて金に困った大名や旗本は自家の道具類を大量に現金化するため
放出した。
 
  だが、徳川幕府は寛永時代の武家諸法度から、大名の反乱を警戒して、甲冑の男物の
新調は許可しなかったのが真実である。
 しかし女の嫁入り道具としての鎧は認められていたのてある。
だから維新後派手な女鎧は古道具屋に沢山買われた。
 これらに目をつけたのが、綱吉時代の神仏混合期から維新では神仏分離政策に変わったため、
寺に客を奪われていた各地の神社が、客寄せのため、寺には有り難い仏像があるが、神社には無い。
 
   よって神社の奥殿に勿体付けの為飾るのにうってつけの、紅白や紫、蒼や緑の色鮮やかな鎧を購入して飾ったのである。これは客寄せのためである。
 
 
   それらに八幡太郎義家着用などともったいぶって展示したから、当時日本画の前田画伯らが
絵空事と知っていながら、美麗な源平合戦絵を描き、台頭してきた西洋画に対抗したのである。
 そしてこの絵を見て歴史屋は真に受け、今に至っている。
 だから日本では架空の信じられぬことを「絵空事」という。
 

 

 


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