古代史考察
銅文化
石斧や石槍だけが武器だった弥生時代に、何人種が日本列島へ銅器をもちこんできたのか、各地で銅鐸が発掘されるたび問題視される。
しかし考古学者も歴史学者も正解は出せないでいる。どうやら従来の通史は、みな誤りなのではないか。
土地ブームで宅地開発が進み、宅地造成の際発掘されて、各地で縄文期や弥生時代の物が発見される。
土器類はさすが破片として出てくるが、銅鐸だけは金属性の物なので、そのままの型で埋もれていて、考古学上から改めて従来の日本通史が、誤りだらけであったとしきりに糾弾されています。
これまでは「弥生時代の青銅器にして、鐘型で5㎝からlmの巨大な物まで中部地方から北九州迄の地域で発掘される。単なる楽器というよりは呪詛的な司祭宝器」というのが歴史家達の説です。
そして紀元前15世紀の中国の殷は、青銅文化をもっていたから、紀元前7世紀頃の中国の難民が、衣服と共に銅鐸をも吾国へもたらした物とするのが定説で、
沖縄経由説と、山東省から韓国へ入って九州渡来との二説が、おおまじめに検討されています。
だが春秋時代の終りの呉や越が滅ぼされた時に、そこの難民が日本列島へ入ってきて銅鐸をもちこんできたという裏付けは、考古学的には何もなく、ただ布地を「呉服」とよぶ事からの、言いがかりみたいな事柄にすぎない。
仮に日本列島に弥生文化をもちこんだのが、国を失って流入してきた呉や越の流民だったら、銅鐸の他に銅剣や他の銅製品も一緒に発掘されなければ、まるで話として辻つまが合いません。
というのは当時の日本列島は、馬韓・辰韓・弁韓の朝鮮半島の三韓の植民地の時代でして、今もその名残りが越前・越中・越後とか、備前・備中・備後といった三段式地名になって今日でも伝わっています。
ですから銅鐸をもって祭祀などする前に、当時の権力者の三韓人を征服せねばなりませんから、まず銅の穂先のついた槍とか剣をもちこんで来なくては、常識的に考えてもまったく意味なしです。
「倭人のルーツ」はインドだと主張した浜田説は、日本列島へ銅鐸をもたらしたのは歴史家の説く、中国大陸呉越の人々ではなく、マレーシアからインド、海南島に分布していた、「モン・クメール族」としている。
なにしろマレーシアの古典スジャラ・ムラユの〈マレー神代紀〉では、白象に跨った三人の神がシグンタッーマ(メルの高峰に天下りたもうて水田耕作を、焼畑耕作しか知らない住民に教え、彼らを率いて革命寫一言。
そこで到底もはや石斧や竹の弓では防戦できぬと観念したパレンバンのドマン・レバル・ダウンは、渡来の天ッ神に国土を譲って己れは地ッ神となって退位したのだとあります。
「この三人の天ッ神は何を隠そう、かつてアラブのスサを陥落させ、そこの住民をマレーシア(英語読みではバハン、ラテン語ではヤバアン)のニコバルへ集結させて極東植民地にした、アレキサンダー大王が
土地の娘に生ませた息子の子孫であって、名をピチトラム、パルダダニ、ニラタナムという」
と神がかりではなく、理論的に説得性をもたせた碑文が、パレンバンの西のセーグンタンの丘に立つシュリーヴィジャ石碑の文面で、西暦6世紀の六八三年の建造と、それには彫られています。
しかしそのインドネシアからベトナムまで、版図をひろげて勢力をふるったシュリーヴィジャヤ王国も13世紀に入るとジャワのマジャパピト王国に、
そして次の世紀に入ると完全にジャワのマジャパヒトによって、だんだんと襲われて変わってゆき亡国となっていく。雲南も山奥へ移らされます。
この過程で日本へは元の来攻がくり返されていますが、インドネシアやベトナムの難民が、黒潮に乗って流入してきた事も充分に考えられます。
ベトナムの褌姿が日本では六尺で残っています。ジャワに連れてゆかれたシュリーヴィジャ人が、やはり逃がれて日本列島へきたのが、今でも各地に残るジャワ模様や、
黄色人種化にては茶っぽい日本人で、ジャワの被圧迫民共も流入していた。
つまり韓国史観では、自己優越性を示したがって、日本人はみんな大陸や半島系だという。だから今の学校歴史も其の儘ですが、実際はアラブ、ベトナム、雲南、インドネシア系で、
吹き溜まりのように日本列島に定着して住んでいたのです。
何でもかんでも中国や半島経由で入ってきたと言って「有難がり史観」は改めるべきです。
日本人の血のルーツも、文化も大陸ではないのです。縄文時代から住み着いていた勤勉で頭の良い日本原住民が独自の素晴らしい文化を作り上げ現在に至ってます。
「中国四千年の歴史」と豪語するかの国は、夏、殷、周、春秋戦国時代と王朝同士の戦争と謀略に明け暮れ、人民などは虫けらでした。しかし縄文時代は一万年も続いた素晴らしい時代でした。
こんなに長く続いたのは人間の心が綺麗だったからです。
争いや、独占、強欲、差別、権力のない「良質な精神性」の時代だったのです。
だから私は「人類よ、縄文の精神へ帰れ」と提唱しているのです。
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