天に星、地に花、人に愛

30代後半にして一児の母となった、三十路サラリーウーマンの徒然日記。

私の適職発見史 ~進路~

2005-09-07 00:08:19 | キャリア・雇用
思えば私の20代半ばまでの人生は、母親の人生だった。
高校時代、父親の事業の失敗から両親は離婚。
ある日帰宅すると、父の荷物は何一つ家の中から消えていた。

短大を出て直ぐに父と結婚した母は、就職した経験がなかった。

そんな母親が、40歳で子供二人を抱えて社会に放り出された。
高校生だった私は、母親と一緒に内職を探す電話を方々にかけた事もあった。
母は、直ぐに医療事務の学校に通い始めた。通学で一通りの勉強を終えると、
スクールの斡旋で歯科医の仕事を始めた。年配の女性同士のチームの中で、
いじめられ、ののしられ。初めて社会に出て働く母には、過酷過ぎる環境だった。
ストレスで体調を崩しながらも頑張る母。

直ぐに、独立して仕事ができる事になり、高校2年生だった私は、
その頃から大学に通う間もずっと、月末月始の10日程は母の仕事を手伝った。
自分で学費を稼ぎながらの大学進学。

大学を選択する際、母は2つの選択を迫った。
法学部か医(歯)学部か。
離婚を経験した母は、自分の娘には、決して同じ思いをさせたくないと考えた。
女性も、資格を取り、自立して生きていくべきだ。そう考えた。
祖父も叔父も弁護士だった。そして叔父2人は歯科医だった。
それぞれの生活を良く知っていた母は、私の為を思って、私の前に2つの選択肢を置いた。

ものを書く事が好きだった私は、芸術学部や文学部に進学したいという望みがあった。
しかし、母の苦労を見てきた私は、“私は母に逆らってはいけない。母を悲しませてはいけない”
そう思った。そして、2つの選択肢から一方を選択した。
小さい頃から弁護士の親族を見てきた。そんな環境の中にいた為、自然な選択にも思えた。思おうとしていた。
だって、私だけは母を悲しませてはいけないから。。。

こうして私の進路は決まった。

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