天に星、地に花、人に愛

30代後半にして一児の母となった、三十路サラリーウーマンの徒然日記。

キャリア派女性動く!~上京転職

2005-03-08 22:35:26 | キャリア・雇用
3年前の自分の上京を思い出すような記事が、日経新聞上京転職、キャリア派動くに掲載された。

私が北関東の田舎から、東京に上京してもう3年になる。31歳の頃だった。以前の会社にはただの事務職で入社。1年間は社会保険事務等をしながら過ごした。私の人生が少し動き始めたのは、本当に突然だった。ある朝社長室に呼ばれ、“今日から広報を担当してもらうから”と親会社の広告戦略当者を紹介された。勿論、全く新しい部署の立ち上げだった。常日頃社長は“チャンスの女神には後ろ髪が無い。チャンスだと思った時に、そのチャンスに乗れるかどうか。日頃の心の準備にかかっている”と言っていた。勿論私は快諾した。その日が私の人生の転機だった。ただの事務員として定時に帰宅。バレーボールにテニスに競技ドッヂボール等々、アフター5を満喫する生活は終わった。広報担当と言われた日から、生活は目まぐるしく変わった。全く新しい広報という仕事。全く未経験のWeb作成という仕事。仕事はどんどん広がり、最終的には、親会社の新卒採用をお手伝いすることになる。仕事の幅が広がるたびに、楽しさも広がる。“仕事って楽しかったんだ。。。”

そんな目まぐるしい生活を2年ほど過ごした頃、再度の転機が訪れた。ITバブルがはじけ、親会社の業績が落ち込んだ。大好きだった採用の仕事も無くなった。そんな中、転職を考えるようになった。しかし、北関東の田舎では30歳を過ぎた女性の転職先はほとんど無い。やりたい仕事をやるにはここにいてはいけないのかも知れない。私は地元が大好きだった。大学も4年生になった頃には地元に戻り、地元で中学や高校の同級生を集め、テニスのチームを作った。バレーボールのチームにも所属していた。仲間も沢山いる。転職で地元を離れるという事は、それらを全て捨てるという選択をしなくてはならなかった。考えに考えた挙句、結局私は地元を捨てる決心をした。親は、こんな田舎の娘が、30歳を過ぎて東京に転職などできるはずがないと思っていた。

インターネットを使い就職活動を行った。出張のついでに面接に行った。そんな事を1.5ヶ月程行い
6社ほどの内定を貰った。今まで通り人材関係に進むのか、新卒採用に進むのか、採用コンサルを目指すのか。。。東京は、30歳を過ぎた女性にも、欲しいだけの選択肢を与えてくれた。上京転職により、沢山のものを失ったが、手放す勇気を持った分、それ以上のものを得た。

しかし、残念ながら必ず成功があるとは限らない。私の友人は、私の上京転職成功を見届けた後、後を追って北関東の田舎から上京した。しかし、仕事もなかなか決まらず、やっと得た派遣の仕事も途中で断念した。ただ親元を離れたいという理由で順調に行くほど、上京転職は甘くない。企業が30歳過ぎの女性を採用するという事は、その女性の出産や育児でのキャリアの中断のリスクも負担するという事だ。その負担に見合う人材であるかどうかは、かなり厳しい目で見られている。その厳しい目に受入れられるだけの“エンプロイヤビリティー”が必要なのだ。自己研鑽。それを怠らない女性に対し、上京転職は大きなチャンスである。