年々物忘れが酷くなり、最近のことはすぐに忘れてしまい困ったものです。
それなのに、昔の思い出はますます色濃く、輝いてくるのは不思議です。
私が40年前過ごした大分は、今も胸の中で輝き
そこで出会ったAさんは、生涯の友となりました。
大分で濃密な4年間を過ごした後、私は転勤で各地を転々としましたが、
Aさんとは遠く離れて会うこともなかった長い間も、変わらぬ友情はつづき、
常に心は近くにありました。
Aさんとの出会いは、
あれは、夫の転勤で大分に赴任した日でした。
温かいはずの大分にその日は雪が降り、 引越しの荷物の到着が遅れました。
午前中に入る予定の荷物が、午後遅くになってガタガタと運び込まれました。
寒い冬の夕暮れ、小1と3才の子供たちは、寒い寒いと足踏みし、
私はたくさんの荷物の中からこたつを探し出して、子供たちを入れると
薄暗くなってくることにあせりました。
当時は電気サークルまでも、引越し荷物として運びました。
たくさん山積みされた荷物の中から、サークルは探し出せません。
それに頼みの夫は、着くと早々着任挨拶で会社に出向き、そしてそのまま歓迎会で、
荷物の受け取りにも立ち会っていませんでした。
当時は高度経済時代。
今では考えられない、家庭は二の次の猛烈サラリーマン時代でした。
私は電気をつけなくては、荷物も探せない。
電球を買おう・・・と外に飛び出しました。
家から30mほど離れたお向かいに、運よく電気屋さんがありました。
知らない町で、ほっと胸をなでおろしたことを今も鮮明に覚えています。
その電気屋さんの奥さんがAさんだったのです。
私と同じ年。
誰一人知った人のいない町で4年間、心の支えとなってくれたAさんとの
出会いでした。
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