ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

特攻隊の本当の姿とは

2013年03月27日 | Weblog
 今頃になって特攻隊の話をどうこうと
いう戦争の実体験のないわたしが言う資格はないのだが
日本の戦後というのは、特攻と広島の原爆投下が戦争の総決算の
ように語られ、特に特攻隊にあっては改め当時の軍部の常軌を逸脱した
作戦がいつしか、若者の志願によってなされたと
実に事実のすり替えが行われているように
思えてなえらない、なぜ今このような疑問がでてくるのかというと
アリラン特攻として名が知れる光山少尉(卓庚鉉)
彼は慶尚南道の出身で幼いとき家族とともに京都にやってきた。
そのご京都薬科大学にいき、特攻隊に志願し日本のために
命をささげたとされ、靖国に彼の顕彰碑を作る計画までされ、
知覧特攻隊の代表的な人物として語り継がれているのだが
知れば知るほどその背景が朝鮮人が日本国に進んで命を
ささげたような話ではないとさまざまな事実が出てきており
特攻を慰霊よりも顕彰を優先する考え方に大きな疑問を
覚えるのである。
※写真  出撃前の光山少尉と富屋食堂の鳥浜トメ




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