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東日本大震災により亡くなられた方々に心からご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災者の
皆様にお見舞いを申し上げ、ご健康と一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
また、石巻市の大川小学校の小学生の70数名(全校生8割余)と教師職員数名も亡くなれ余りにも
悲惨な悲しい現実に涙しに哀悼をささげます。
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東日本大震災の群発性の余震が多発していますが、66年前、東南海地震の翌年の余震「三河地震」で名古屋市の学童疎開児童と教職員が亡くなれたことと、亡き大川小児童の記憶を永遠に語り継ぎ、同じ悲劇を繰り替えされなようにと、多くの方々に知っていただきたいと願っています。
三河地震(みかわじしん)は、1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生した直下型地震である。 1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1000名を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震)の一つである
震源地は三河湾 北緯34度42.1分 東経137度6.8分、深さ11km。三重県津市で震度5を記録したが、震源に近い現在の西尾市などでは震度6(現在の震度階級では7)であったといわれる。
震源が浅く、マグニチュード6.8と規模が比較的大きかったにも関わらず、被害報告はごく僅かしか残されていないために、現在に至ってもこの地震について詳しいことは判っていない。地震が発生した当時は太平洋戦争中であり、『戦意を低下させないよう』、当時の政府当局によって(敵への情報流出も作戦へ影響するため)報道管制が敷かれ、三河地震のことを一切報道するなと圧力をかけたからであるとも言われる。1ヶ月前の1944年12月7日に発生した東南海地震の最大規模の余震ともいわれており、地震発生当初は第一次地震と呼ばれた東南海地震に対して第二次地震と呼称された。
死者1180人、行方不明者1126人、負傷者3866人。家屋の全壊は7221戸、半壊1万6555戸、全焼2戸、半焼3戸、その他2万4311戸。
この地震により深溝断層(ふこうずだんそう)が生じた。断層の総延長は28km、最大の高低差は約2m、横ずれ変異量は約1mである。死者が多かったのは幡豆郡福地村、西尾町、三和村、横須賀村(以上現・西尾市)、碧海郡桜井町(現・安城市)、明治村(現・西尾市、安城市、碧南市)、宝飯郡形原町(現・蒲郡市)などで、矢作古川周辺では液状化現象も見られた。
被害状況は集落ごとに大きな差があり、ある集落は壊滅している一方で隣の集落はほとんど被害がないという状況も随所で見られたと言われている。深溝断層は逆断層で、隆起側での家屋倒壊などの被害規模が大きく、沈降側での被害は断層からの距離が10m以内に集中した。また、三河湾で小規模な津波の発生が確認されている。
局地的な被害は一般の直下型地震よりも深刻で、上記の被害が甚大な地区では、どの家族にも死者が出るほどの高い死亡率だったと言う。なお、震源を離れた葉栗郡や中島郡、名古屋市から一宮市付近でも一部で家屋の倒壊があった。
この地震で形成された深溝断層は、1975年に愛知県指定天然記念物に指定されている。
地震活動および発光現象
1月11日頃から形原町や西浦町では有感地震5〜6回を含む前震(マグニチュード5.9、5.2を含む)が発生していた。余震活動も非常に活発であり、近年余震が特に多かったといわれる新潟県中越地震を凌ぐ数の余震が観測された。最大の余震は、本震発生後3日目に発生したM6.4の地震である。
また前震や余震の前後に三ヶ根山周辺(地震断層の直上)で夜空が発光するなどの宏観異常現象が確認されたとの報告があるが、当時は灯火管制が敷かれており、人工の灯りである可能性は低いとされる。
出典:ウィキペディア(Wikipedia)
◆考察
※ この三河地震で名古屋から幡豆郡・碧海郡(今の安城市、西尾市及び周辺)に学童疎開していて、犠牲となった疎開学童の人数は三河大地震では55名にも及び先生2名、寮母さんも2名亡くなられました。
あるお寺に疎開していた国民学校疎開児童は本堂が崩壊して数十人の学童と先生一人が亡くなられました。
海溝型大地震の余震は数年後でも直下型活断層大地震の可能性を秘めています。
常に地震災害は歴史と先人の語りに学び、忘れずに記憶する事が大切ですね。
※ 東日本大震災での被災・災害は、津波と原発事故が大きいのですが、私はこの分野は勉強不充分で、今だ筆にできません。本ブログでは地震に関する情報と見解でご容赦お願い申し上げます。
(筆者記載)
☆地震情報は、
①震度、震央情報は、国土交通省気象庁ホームページ
http://www.jma.go.jp/jma/index.html
②中央防災会議公表情報は、内閣府防災ページ
http://www.bousai.go.jp/
③活断層情報は、独立行政法人 産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター(AIST)
活断層データベース
http://riodb02.ibase.aist.go.jp/activefault/index.html
④活断層評価情報は、地震調査研究推進本部事務局
(文部科学省研究開発局地震・防災研究課)
活断層の長期評価(位置図)
http://www.jishin.go.jp/main/p_hyoka02_danso.htm
を参考にしてください。
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住宅耐震診断・耐震補強工事:専門技術者
増改築リフォームの
「リファインおおぐち」
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NPO法人 住まいの構造改革推進協会・正会員(2-0603)
(財)住宅リフォーム・紛争処理支援センター・会員
NPO法人 東海耐震マイスター倶楽部・正会員
ウッドピタ工法協会(woodpita)会員・正規代理店
☆ 総合建設業・㈱酒井建築
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http://sakai-kenchiku.co.jp/
※地震と耐震の総合ページ (更新いたしました。ぜひご覧ください。)
http://sakai-kenchiku.co.jp/woodpita/index.htm
ウッドピタは矢作建設グループの耐震化外付け工法です。
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東日本大震災の群発性の余震が多発していますが、66年前、東南海地震の翌年の余震「三河地震」で名古屋市の学童疎開児童と教職員が亡くなれたことと、亡き大川小児童の記憶を永遠に語り継ぎ、同じ悲劇を繰り替えされなようにと、多くの方々に知っていただきたいと願っています。
三河地震(みかわじしん)は、1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生した直下型地震である。 1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1000名を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震)の一つである
震源地は三河湾 北緯34度42.1分 東経137度6.8分、深さ11km。三重県津市で震度5を記録したが、震源に近い現在の西尾市などでは震度6(現在の震度階級では7)であったといわれる。
震源が浅く、マグニチュード6.8と規模が比較的大きかったにも関わらず、被害報告はごく僅かしか残されていないために、現在に至ってもこの地震について詳しいことは判っていない。地震が発生した当時は太平洋戦争中であり、『戦意を低下させないよう』、当時の政府当局によって(敵への情報流出も作戦へ影響するため)報道管制が敷かれ、三河地震のことを一切報道するなと圧力をかけたからであるとも言われる。1ヶ月前の1944年12月7日に発生した東南海地震の最大規模の余震ともいわれており、地震発生当初は第一次地震と呼ばれた東南海地震に対して第二次地震と呼称された。
死者1180人、行方不明者1126人、負傷者3866人。家屋の全壊は7221戸、半壊1万6555戸、全焼2戸、半焼3戸、その他2万4311戸。
この地震により深溝断層(ふこうずだんそう)が生じた。断層の総延長は28km、最大の高低差は約2m、横ずれ変異量は約1mである。死者が多かったのは幡豆郡福地村、西尾町、三和村、横須賀村(以上現・西尾市)、碧海郡桜井町(現・安城市)、明治村(現・西尾市、安城市、碧南市)、宝飯郡形原町(現・蒲郡市)などで、矢作古川周辺では液状化現象も見られた。
被害状況は集落ごとに大きな差があり、ある集落は壊滅している一方で隣の集落はほとんど被害がないという状況も随所で見られたと言われている。深溝断層は逆断層で、隆起側での家屋倒壊などの被害規模が大きく、沈降側での被害は断層からの距離が10m以内に集中した。また、三河湾で小規模な津波の発生が確認されている。
局地的な被害は一般の直下型地震よりも深刻で、上記の被害が甚大な地区では、どの家族にも死者が出るほどの高い死亡率だったと言う。なお、震源を離れた葉栗郡や中島郡、名古屋市から一宮市付近でも一部で家屋の倒壊があった。
この地震で形成された深溝断層は、1975年に愛知県指定天然記念物に指定されている。
地震活動および発光現象
1月11日頃から形原町や西浦町では有感地震5〜6回を含む前震(マグニチュード5.9、5.2を含む)が発生していた。余震活動も非常に活発であり、近年余震が特に多かったといわれる新潟県中越地震を凌ぐ数の余震が観測された。最大の余震は、本震発生後3日目に発生したM6.4の地震である。
また前震や余震の前後に三ヶ根山周辺(地震断層の直上)で夜空が発光するなどの宏観異常現象が確認されたとの報告があるが、当時は灯火管制が敷かれており、人工の灯りである可能性は低いとされる。
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※ この三河地震で名古屋から幡豆郡・碧海郡(今の安城市、西尾市及び周辺)に学童疎開していて、犠牲となった疎開学童の人数は三河大地震では55名にも及び先生2名、寮母さんも2名亡くなられました。
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海溝型大地震の余震は数年後でも直下型活断層大地震の可能性を秘めています。
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※ 東日本大震災での被災・災害は、津波と原発事故が大きいのですが、私はこの分野は勉強不充分で、今だ筆にできません。本ブログでは地震に関する情報と見解でご容赦お願い申し上げます。
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☆地震情報は、
①震度、震央情報は、国土交通省気象庁ホームページ
http://www.jma.go.jp/jma/index.html
②中央防災会議公表情報は、内閣府防災ページ
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③活断層情報は、独立行政法人 産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター(AIST)
活断層データベース
http://riodb02.ibase.aist.go.jp/activefault/index.html
④活断層評価情報は、地震調査研究推進本部事務局
(文部科学省研究開発局地震・防災研究課)
活断層の長期評価(位置図)
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